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株式会社ダイナシティ
執行役員
住宅営業本部 副本部長
兼 第一営業部長
鈴木雄二氏(37歳) |
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1988年、マンション販売会社に就職。その後、住宅販売会社4社で営業経験を積み、00年3月、ダイナシティに転職。同年4月に部下6名を率いる営業課長となり、10月には次長、入社3年目で部長、4年目で執行役員に昇進する |
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入社時は課長職。ダイナシティの鈴木雄二氏は、転職4年目で執行役員に上り詰めた。スタートダッシュの成功が、短期間の昇進を可能にしたのである。
鈴木氏は1週目で初受注を獲得したが、「もらう給料以上の結果を出さねば、というプレッシャーの方が強かった」と語る。マンション営業の世界では、月に3?4件契約して初めて認められる。それが継続できなければ、優秀とは言えないのだ。事実、入社翌月の契約は1?2件しか取れなかった。
ただ、この結果はむしろ評価すべきものである。同社は「シングル・DINKS向けマンション」の販売が中心。ファミリータイプを売ってきた鈴木氏の「クロージング」とは、やり方が異なる。ライバルでもある同僚のやり方をヒントに、この会社に合う落とし方を試行錯誤していた。
「過去の経験や実績を一度リセットし、転職先では新しいスタイルを確立しなければダメなのです」
また、4名の新入社員を含む6名の部下を率いる営業課長となり、自らの営業活動に時間を割けない事情もあった。課としての目標を達成し、会社を成長させるには、人材育成が急務だったのだ。鈴木氏は数字のプレッシャーを感じつつも、それだけを優先しなかった。
「4?6月の3カ月は本当に生みの苦しみを味わいました」
部下は営業の基本である「見込み客の開拓」すら、ままならない。鈴木氏は受注に関与する喜びを感じ自信を付けてもらうよう、上がってきた見込み客の契約成立に全力を注いだ。その姿を見た部下は夏以降、見込み客の開拓力が高まっていった。課の目標達成時の報奨金は、部下との飲み代に消えた。
半年間の結果が評価され、同年10月には次長に昇進。部長兼執行役員への足がかりを築いたのだ。
▼転職後一週間(00年3月7?3月7日) |
入社直後に初受注するも自分では満足しない
入社1週目、鈴木氏は初受注に成功。モデルルーム来場者の一人とすんなり契約が決まったのだ。「時期はともかく、遅かれ早かれ売る自信はあった」が、優秀な営業マンは月に3?4件契約する。納得のいく達成感はなかった。 |
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▼転職後1カ月(?00年3月31日) |
ライバルの売り方をヒントに鈴木流セールスを試行錯誤
当時の物件はシングル向けがメイン。ファミリータイプを長年扱ってきた鈴木氏の「クロージング」とは、かなりの違いがあった。そこで、ライバルでもある同僚の落とし方にヒントを得て、新しい鈴木流セールスを試行錯誤した。 |
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▼転職後3カ月(?00年5月31日) |
課としての成功を優先し生みの苦しみを味わう
新人中心の部下は「見込み客」すら、満足にリストアップできない。鈴木氏はどんな見込み客でも全力で契約に結びつけ、部下に自信を植え付けようとした。夏以降にようやく、見込み客数が増えていった。 |
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