ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 堀田峰布子
松下電器産業株式会社は2008年10月1日よりパナソニック株式会社へ社名変更いたしました。
ウィルコム『9(nine)』のコンセプトをひと言でいうと、「潔さ」だという。あれこれ機能を詰め込んだ携帯端末が多いなか、あえて機能を絞り込み、1枚の板を切り出したようなシンプルな形にした。そのデザインを担当した堀田峰布子は次のように説明する。 「30代以上の世代なら、普段どんな機能が必要かをわかっています。不要な機能の多い最新機種を見て、ピンとこないユーザーも多いのではないでしょうか。これまでも機能を絞った端末はありましたが、主にシルバー世代向けのものでした。中間の層に向けたものはなかったので、マーケットにも9(nine)のような端末を受け入れる土壌があるのではと思ったのです」 同社の予想を上回るヒット商品に成長した9(nine)は、W-SIM(ウィルコムシム)を搭載したウィルコムの戦略商品の1つ。W-SIMはアンテナなどの無線通信機能や電話帳などの個人情報を持つ汎用的な多機能通信モジュールで、ユーザーは1枚のW-SIMについて契約するだけで、それを抜き差しして他の対応端末でも使うことができる。 「W-SIMという形でモジュール化することで、端末の参入障壁が大幅に下がりました。小さなメーカーや異業種でも端末を作ることができるのです。9(nine)を作っていただいたケーイーエスもデザイン部門を持たない比較的小規模な企業なんです。ケーイーエスが外部にデザインを発注するという選択肢もあったと思いますが、今回はW-SIMの立ち上げ時期でもあるので、ウィルコムの考え方をきちんと消化して形にできるよう、私がプロダクトデザインを担当することになったのです」 最低限の機能だけを搭載した9(nine)だが、ちょっとした遊びの要素も入っている。たとえば、壁紙の色は豆腐色やスイカ色、なす色といった和名の単色。音声のバリエーションや時刻表示にも工夫を凝らした。 「ちょっとだけ自慢できる」といった要素をさりげなく盛り込んでいる。こうした潔さが過剰な携帯端末に食傷気味の大人の支持を集め、大人のユーザーの間にじわりと浸透している。 ?海外向け携帯電話のデザインで学んだこと? 2005年9月、堀田はウィルコムに中途で入社。日本大学と筑波大学の大学院でインダストリアルデザインを学んだのち、新卒で入社したのは松下電器産業だ。子供のころは「発明家になりたかった」という堀田は、もともと絵を描くことやモノを作ることが好きだった。そんな堀田にとって、メーカーでの仕事は当然の選択だっただろう。 「モノだけでなく、その周辺のサービスやアプリケーションも含めた提案ができる仕事がしたいと思っていました。行きたい部署はあったのですが、配属先は松下通信工業でした」 監視カメラや超音波診断装置のデザインチームで1年半ほどアシスタント的な仕事をしたのち、入社2年目に海外市場向け携帯電話のデザインを担当することになった。その後の約5年間、携帯電話のデザインに携わる。入社した当初は配属への多少の不満もあったが、携帯電話は性に合っていたようだ。 「携帯電話の生産台数は非常に多くて、ユーザーにとってはもっともパーソナルなツールです。急成長している中国などの海外市場では、初めて購入するユーザーも多く、会社のブランドイメージにも大きな影響を与えます。ですから、やりがいがありましたね」充実した時間のなか、堀田はモノづくりに関するコストやスケジュールの感覚を身につけていった。海外のエンジニアと英語でやり取りする必要もあった。 「自分で描いた絵を使ったりしながら、つたない英語で『こうしたいんだ』と説明する。これは英語力の問題というよりも、コミュニケーション能力の問題だと思いました」 デザインの現場では権限委譲が進んでいたので、入社して数年目の堀田でも経験を積んだデザイナーと同等の権限を与えられていた。「端末の量産に向けて、色や形といった部分は、その時その場で私が判断し、変更や修正を決めるという場面も、何度もありました。 自分でも『こんな小娘が』と思いますよね」と笑う堀田にとって、そんな経験は今も大きな財産になっている。しかし、就職するときの「モノだけでなく、その周辺もやりたい」との気持ちは抑えられなかった。 「プロダクトデザインだけでは、自分の分野が限られてしまうのではないか。そう思って、ウィルコムには企画職で応募しました。デザインもできるプランナーになりたい、自分を試してみたいと思ったのです。新卒で入った大企業にずっといれば安全ですが、ドキドキ感はあまりないんじゃないかという気もして」 |