ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 登大遊
07年4月に筑波大学大学院システム情報工学科へ進学した現役大学院生の登。ソフトイーサを設立して満4年が経ったが、経営をしながら博士課程への進学を経て大学の教員になることを目指している。 「自分も含めてプログラミングを手がける人間が3人になって、うまくプロジェクト管理する態勢になっています。ここつくばを拠点に、企業経営と教育とに自分の能力を活かしていきたいですね」 ソフトイーサは、登を含め4人の現役筑波大生が中心となって設立された。そのきっかけとなったのが、社名にも採用されている『SoftEther』の開発だ。兵庫県尼崎市出身の登は、大学進学に伴って茨城県つくば市に移り住んだ。通学途中に「自宅から大学のPCに自由にアクセスできないか」と考えたのが、この画期的なソフトが生まれるきっかけになった。 「当時もVPNソフトはいくつかありましたが、どれも使い勝手やスループットの点で満足できなかった。それなら自分で新しいソフトウエアを開発してしまおうと思ったんです」 ベータ版は、この思いつきからわずか4カ月で完成したというから驚きだ。その使い勝手のよさが大学の友人や教授の間で評判となり、登はこれを経済産業省の外郭団体である独立行政法人IPA(情報処理技術機構)に申請して「未踏ソフトウェア創造事業(未踏ユース)」の採択案件として開発費などの支援を受けた。02年12月にWebサイト上で無償公開したところ、個人・法人を問わず大きな反響を呼んだことがソフトイーサ設立の契機となった。 「ライセンスの形で提供して法人向けに商用版をリリースするオファーがあったので、それなら起業した方がやりやすいと思ったわけです」 以後、4年間のビジネスはまさに順調そのものだ。05年12月には『SoftEther』を製品化した『PacketiX VPN 2.0』をリリース。1年後にこのソフトを活用したオンラインサービスの提供を始めたほか、07年1月にはリモートアクセス用SSL-VPN ソフト『PacketiX Desktop VPN』もリリース。07年3月期の決算では、1億円を超える売上高を記録した。 ちなみに、『PacketiX VPN 2.0』は、IPAが主催する「ソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2006」でグランプリを獲得している。多くの専門家が絶賛するのは、登のプログラミングの正確さとスピードだ。一般のプログラマは1カ月あたりで約3000行書くのが精一杯といわれているのに対して、登は最高で1日1万行をこなしたこともあると話す。しかもバグが発生する確率はタイピングミスによるものが中心で、「ミスがあっても1万行に1回くらい」という。 「プログラミング中はあまり記憶がないんです。まさに没頭するような感じでハイ状態、トランス状態でキーボードを叩いていますね。そうすると意識的・肉体的な限界を超えて手が自然に動くし、画面に出ているコードを自分の体の一部分のように感じるようになります。僕にとって、プログラミングはクルマの運転と一緒なんです。僕に人より優れた能力があるとすれば、この感覚だと思います」 ?原点は自動販売機への興味だった? このコメントからもうかがえる登の“天才”ぶりは、想像をはるかに超える。ソフトウエアづくりに興味を持ったのは小学校2年のとき。一般の子どもと同じようにファミコンに夢中になったが、ゲーム内容よりも人の手によってプログラミングされているという「仕組み」の方に惹きつけられたのだ。 「幼稚園のときに『誕生日に何が欲しい?』と聞かれて『自動改札機』と答えたぐらい、身近にある機械や機器の仕組みにすごく興味を持つ子供だったんです(笑)。よく早熟だと言われますが、小学生のうちにPCを使ってプログラミングを始めたのは僕にとってすごく自然なプロセスだったんです」 知り合いから譲り受けたNECのPC8001が当時の“マイマシン”。BASICから始めて中学へ進学したころにはC言語をマスター。あわせてC++やC#、Javaなどひと通りのプログラム言語を習得した。 「今もプログラミングにはC言語を使っていますが、できるだけCPUやHDD、OSに依存しないソフトウエアができないかを当時から考えていました。レイヤーの低いところでの開発スキルを磨くことで、高いパフォーマンスや拡張性を実現できるというのが僕の信念であり、ポリシーです」 高校へ進学してからは月刊の専門誌に連載を持ち、マイクロソフトの『DirectX8』に関する日本語の解説書を複数出版するなど、10代ですでにプロ並みの活躍ぶりを見せる。プログラミングばかりに熱中していたわけではなく、好奇心旺盛で知りたいことがあればフットワーク軽く足を運ぶのも彼の持ち味だ。 「大阪の日本橋(東京・秋葉原のような電気街)にはしょっちゅう行っていましたし、中学生のときから進学する大学選びのために公開講座に参加していました。自分の目で見たり、体験して学ぶ方が性にあっているんです」進学先として、関西の大学ではなく筑波大学の第三学群を目指したのも、大学見学に訪れたときに同大学の地下にある「共同溝(超高速ネットワークの巨大な物理ケーブル)」を見せられ、その存在感に魅了されたからだ。 |