ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 仲宗根徹也
仲宗根がPCおよびプログラミングに興味を抱いたのは小学校1年生だった1982年。当時はわずか8ビットのPCだったが、仲宗根はその魅力に強く惹かれてプログラミングの基礎を学び始めた。 「とにかくプログラミングをやってみたいと考えてBASICから始めました。4?5年生になるまでにはひととおり身についていましたね」 子供のころに学んだプログラミングのスキルを磨き、エンジニアとしてキャリアを広げていく決意を固めたのは大学へ進学した後だ。IT業界のどの分野で働くかは明確にはなっていなかったが、どの会社へ行っても通用するスキルと技術力とを身につけたいと考えた、と仲宗根は言う。 「C言語からC++やJava、それにスクリプト系も含めて、次々に本やマニュアルを読んでは実際にやってみるという繰り返しでしたね」 仲宗根の持論でもあるが、やりたい仕事ややるべき仕事に関連したスキルだけを磨くのではなく、基礎から応用へと発展させていくように幅広く学んで自分のものにしていく姿勢――。それが卓越したエンジニアと呼ばれる原点となった。 「基本的なことさえ最初にしっかり身につけておけば応用がきく。僕はとにかく好奇心が旺盛なので“わからない”という状態が嫌だった(笑)。それで、あれもこれもと手を伸ばしていったのが結果的に良かったのかもしれません」 仲宗根の即修ぶりを示すエピソードがある。専門書やマニュアルを2?3時間で読んだらすぐにやってみる。これで複数の言語やプログラミング手法を次々に“攻略”してきたと彼は話す。 あれこれ考えるより手を動かして「見せる」 2000年、複数の企業やプロジェクトを経験して必要なキャリアと実績を積んだ仲宗根は、インフォシークに就職する。同社が手がけていたのは、アメリカから日本へ進出したITビジネスのひとつで、高度な検索エンジンや多彩な機能を持つことで知られていたポータルサイトだ。彼の入社を待っていたかのように、インフォシークの日本法人は同年12月に楽天の傘下となる。これが彼のキャリアの幅を一気に広げることにつながった。 「99年に日本法人ができたばかりで、エンジニアが4?5人しかいなかった。だから新しいサービスを考えてすぐに運用開始するためには、一人ひとりが必要なことを素早くやるしかありませんでした。業務は多忙を極めましたが、ここでさまざまな経験ができたことが良かったですね」 ポータルサイトはその名称のとおり、不特定多数のユーザーへ向けた“玄関口”。使いやすさはもちろん、便利で多彩な機能を実現しながら広告収入やタイアップ、他企業との提携や連携事業といったビジネスモデルがうまく運用されるようエンジニアには多種多様な課題が求められる。 「今もそうですが、業務の目的によって関わる人たちが違う。なかにはプログラミングのことや技術的なことに明るくない人もいます。だから今も仕様やスペックから取り組むのではなくて、とにかくサービスを実際に作って見せる『アジャイル開発』を心がけています。修正が必要な部分、細かいところはそれから手を加えていけば良いと思っています」 エンジニア同士の会議でも、完全な資料を用意するのではなくホワイトボードにあれこれ書きながら仕様やスペックを決めていくなど、仲宗根は徹底した“現場主義”を貫いている。煩雑で込み入った課題が多い複数のプロジェクトを進行させるためには、最適な方法といえるだろう。 06年より楽天の主力事業であるショッピングエンジンのプロデュースを手がける立場となり、同時に複数のプロジェクトを抱えて若手エンジニアの教育・育成にもあたるリーダーに抜擢された。 「僕は根っからのプログラマ。ですから“コード”を思う存分に書けていない状況は不安に思うし、ストレスになることもある(笑)。しかし、当社のビジネスにとって重要なプロジェクトに携わっているので、仕事を前に進めていくのが今の自分の最優先ミッションであると納得しています」 |