ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 酒徳峰章
必要は発明の母。「なでしこ」の前身である「ひまわり」の開発は、自分の仕事を効率化したくて始めたのがきっかけだ。上海の大学を2000年に卒業した酒徳は、不動産会社に就職した。当時はまだアナログ全盛の業界で、紙の物件情報を一枚一枚めくって見ている状態。社内業務の情報化も進んでいなかった。 「学生時代からプログラミング経験があったので、ExcelやVB、Delphiなどを使って、顧客管理システムを実現したり、物件情報をタッチパネルで検索して見られるシステムを自作するようになりました」 酒徳は言語の特性を活かすプログラミングに取り組んでいた。しかし、社内の情報化が進むにつれ、つぎはぎ開発の弊害が表面化。日々の作業に時間がかかり、システム環境を少し変えるにも煩雑な作業が必要だった。酒徳の仕事量はほとんど減らなかった。 「だったら、各プログラミング言語のいいところを統合したオリジナル言語を作って、もっと仕事が楽にできるようにしよう! そう思って『ひまわり』の開発を社内でこそこそ(笑)と始めました」 ただ、当初は「日本語」によるプログラミング言語開発にこだわっていたわけではない。プログラマーにとってはむしろ、英語と記号で記述する言語のほうが使いやすい。わざわざ日本語にする必要はないというのが常識である。だが、酒徳は試作段階で重要なことに気づいた。逆転の発想である。 「クリエイティブな自分の時間を作り、現場の業務を本気で効率化するには、事務系の社員やアルバイトまで使えるものでないとあまり意味がない。日本語なら、プログラミング経験のない人も理解しやすく、ハードルが低いと考えたのです」 言われてみればその通りだが、酒徳には他のPG以上に「日本語」環境にこだわる原体験がある。上海の大学では当然、中国語中心の生活なので、日本や日本語に飢えた日々を過ごした。もっともそれだけなら、留学経験者たちと大差ない。しかし、酒徳は違う。ミュージシャンを目指していた大学生時代に作った「サクラ」というフリーソフト開発の実体験だ。 「カタカナで『ドレミ』と書くとその音が鳴るように改良したところ、いろんな層のユーザーから反響がありました。母国語のプログラミングだと多くの人が身近に感じられると知ったのはこのときです」 業務の合間を縫って酒徳はひまわりを開発。ひまわりでプログラミングを覚えた社内の事務系社員やアルバイトの中には、簡単な仕事の自動化に加え、ゲームを自作した人もいたという。手応えをつかんだ酒徳は、「なでしこ」の開発に取り掛かろうとしていた。 IPAの支援を受け「なでしこ」を開発 プログラミング言語もまた一度開発して終わりではない。酒徳は新たな機能が必要となる度に、ひまわりでできることを拡張していた。だが、各言語の良い点を統合した、悪く言うと寄せ集め言語の限界があった。 「一度、すべてをチャラにしてゼロから作り直そうと思いました。『なでしこ』を開発する時間を十分確保するため、2002年に独立してフリーになったのです」 2001年に一般公開したひまわりの反響は大きく、さらにサクラは「オンラインソフトウェア大賞2001」に入賞。自分を試すには絶好の機会に思われた。しかし、その目論見は外れた。収入が保証されないフリーは自力で稼ぐしかない。酒徳は生活費のためにPC教室の講師、中国貿易の仕事、フリーソフト雑誌の原稿執筆などを掛け持ちし、開発の時間がほとんど取れなかったのである。 フリーでも、なでしこの開発時間を確保する環境を作る方法はないものか?。方法を模索していた酒徳がたどり着いたのが、IPA(独立行政法人・情報処理推進機構)が公募する2004年度未踏ソフトウェア創造事業「未踏ユース」プロジェクトだった。 「プロジェクトが採択されれば、開発費をもらえます。こんないい制度はないとさっそく応募しました」ひまわりの開発実績がある酒徳のプロジェクトは未踏ユースに採択された。なでしこの開発に専念できる環境が整ったのだ。その約1年後、酒徳はなでしこの開発に成功した。 同じ日本語プログラミング言語の「ひまわり」と「なでしこ」だが、その文法には大きな違いがある。ひまわりは、文の区切りごとに「、」(句読点)を打ち、一つのまとまりは( )で括る必要があった。しかし、それは日本語として不自然な文法。そこで、なでしこでは句読点や( )をなくすなど、日本語らしい文法に近づけた。プログラミングのハードルをさらに低くしたのだ。 |