ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 鵜飼裕司
入社1年目は組込みシステムの開発に従事。その後、先行開発グループに異動し、次世代デジタルカメラ・イメージングの研究に携わった。一見、セキュリティとは無縁のようだが、ここで学んだ画像処理の技術は、後に生体認証のパターンマッチングなどのセキュリティ・ソリューションを提案する上で大いに役立った。コダックでの3年間は、セキュリティ・エンジニアとしての「勘」を養うための貴重な準備期間だった、と鵜飼は振り返る。 その一方で、米国のマーク・メイフレットからは再三にわたって渡米を誘われていた。「カリフォルニアにはいつ来るんだい?」。英語に自信がないこともあって悩み続けていた鵜飼だったが、ついにコダック退社を決意。2003年、南カリフォルニア州アーバインのeEye Digital Security社に赴任することとなる。 日本におけるセキュリティの伝道師として活躍 初めて目の当たりにする米国のIT事情は、日本とはあまりにかけ離れていた。国内では孤高のトップランナーであった鵜飼にとって、優秀なエンジニアたちがひしめく競争環境は、願ってもないものだった。鵜飼はeEye社で、セキュリティ脅威分析やセキュリティ脆弱性の発見・解析・攻略・保護手法、脆弱性診断技術、P2Pシステムセキュリティなどの研究開発に従事。世界の第一線で活躍するセキュリティ研究者と切磋琢磨しながら、人生における最もエキサイティングな4年間を過ごした。 一見、順風満帆に見える鵜飼のキャリアだが、先駆者ゆえの苦悩を感じなかったわけではない。セキュリティのコア技術を極めるためには、ソフトウエアの脆弱性を発見するだけでなく、「本当に攻撃できる」ということを証明しなければならない。だが、日本ではなかなか理解されない時期が続いたという。 『鵜飼裕司はハッカーに役立つ情報を配信している』とWebに書かれたこともあります。でも、技術者は確固たる研究成果をベースとして、自分の研究を淡々と進めるべき。Windowsのセキュリティホールを修正したパッチが世界中に配信されれば、脅威が取り除かれ、世の中に貢献することができる。最近は日本でも重要性が認識されてきたので、少しホッとしているところです」 子ども時代の夢を実現し、セキュリティ界をけん引するトップランナーとなった鵜飼。その成功の秘訣とは、「好きこそものの上手なれ」の精神だと言う。のみならず、会社や大学という枠を超え、一個人としての研究成果を世界に向けて発信し続けていった積極性こそが、鵜飼自身のキャリアを切り拓いたことは言うまでもない。 「エンジニアは3Kなどと言われますが、本来はもっとリスペクトされるべき。エンジニアがクリエイティブで楽しい仕事であることを社会に認知されるためにも、"クールな成果"を世の中に発信し続けなければならない。世界のエンジニアと一緒に、ボーダレスな感覚で最先端の研究開発ができる日本発の文化を作っていきたいですね」 |