ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 斉藤のり子
つい最近まで、1976年前後に生まれたWeb系起業家やエンジニアが「76世代」としてもてはやされたが、最近では「81世代」が注目されているという。インターネットのヘビーユーザーとして育ち、仲間と腕を競いながら個人でWebサービスを開発、新たな市場を創り出してしまうのが「81世代」の特徴だ。1982年生まれのディレクター兼プログラマー・斉藤のり子も、その1人である。 斉藤は高校中退後、ニート時代を経て、システム開発会社に入社。エンジニアとして働く傍ら、趣味で開発したWebサービスが注目を浴び、次世代Webエンジニアの旗手と目されるようになった。家計簿SNSとして話題になった『散財.com』をはじめ、『うわさメーカー』、『3lines.info』、『IJIRY』など、ユニークなWebサービスを次々に発表。その個人ブログも、月間25万PVに達するほどの人気ぶりだ。その足跡をたどってみたい。 高校では推薦で体育科に進学し、100m走とハードルで県大会にも出場した。だが、腰を痛めて陸上を断念し、高校を中退。自宅でのひきこもり生活が始まった。 携帯電話のWebサイトにのめり込んだのは、そのころのことである。好きなバンドのファンサイトを作って日記の書き込みを続けるうちに、アクセスが月に8000件まで急増。「サイトをもっと派手にしたい」と考えた斉藤は、本を買ってHTMLを独習し、要望に応えてサイトをバージョンアップ。ユーザーと一緒にサイトを作り上げる喜びを知った。「ユーザーに近いところで仕事をしたい、という気持ちが私には常にある。それは、この時の経験から来ているんだと思います」と斉藤は振り返る。 「HTMLしかできないけど、雇ってください」 携帯サイトとの蜜月は長くは続かなかった。携帯電話の通信料金が月8万円に上り、7カ月が経過したところで親の堪忍袋が切れた。いとこに相談すると、パソコンを買うことを勧められた。 「でも、パソコンなんて気持ち悪い人がやるもんじゃん」 そう言いつつもパソコンを購入。ケータイ以上にさまざまな可能性を秘めたパソコンの世界にどんどんのめりこんだ。「プログラミングで食べていこう」と考え、ネット系企業に片っ端からメールでアクセス。「HTMLしかできないけど、雇ってください」と頼みこんだところ、「君、面白いね」と東京のシステム開発会社から反応があった。18歳の時、契約社員として就職。ケータイ少女からのエンジニア・デビューであった。 入社後はLotus Notes/Dominoの本を渡され、いきなり省庁のホームページ開発という大仕事を任された。 「無我夢中でしたね。よく趣味を仕事にすると嫌いになると言いますが……。楽しかったですね」 ヘソ出しルックで登庁するギャルに警備員も困惑したのか、入館証を下げていても毎朝のように呼び止められた。仕事を通じてHTMLやWebデザインを学び、1年後にモバイル系のシステム開発会社に転職。ゲーム・アプリケーション『熱血硬派くにお君』の開発を担当した。 「ゲームのユーザーさんから要望があったサービスを実装すると、『実装してくれてありがとう』とすぐに反応が返ってくる。それが楽しくて、『ああ、プログラマーになってよかったなあ』と思いましたね」 その後、思いがけず転職することになったのは、入社して2年近くが経過したころ。当時、斉藤はブログで、『2ちゃんねる』管理人のひろゆき氏と一緒に「うまい棒料理を作る」企画ブログを開設していた。これが人気を呼び、ブログ全体でアクセスランキング2位に。そこで、ブログのタイトルに転職したい企業名を入れたところ、その企業の人事担当者から本当に連絡が来たのだ。 |