ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 杉山 竜太郎
半年ほどアルバイトとして働いた後、フリーの業務委託としてセガで働くようになった。クラブでのVJ経験が活き、杉山は主に3D CGや映像エフェクトなどの仕事を任されるようになる。同社のPS2用ゲーム『スペースチャンネル5』のオープニング・ムービー制作では、従来にないアブストラクトな感覚の映像が受け、「かっこいい映像を作るなら竜ちゃん」との評価も定着した。こうして、セガでゲーム・デザイナーとしての存在感を高めていく。 一方で、杉山は相変わらず、弟・浩二とVJユニットの活動も続けていた。このVJユニットを通じて、杉山兄弟は1999年に『回向』という画期的なソフトウエアを生み出す。これはビデオカメラと連動して、大画面のライブ映像にリアルタイムにエフェクトを付けられるというもので、GPGPU(※1)という新しい技術を採用していた。『回向』は映画『マトリックス』のような斬新な視覚効果を可能にし、活躍の場はクラブイベントからビデオ・パフォーマンスへと広がっていった。フランスからの招待で、ルイ16世の血族が集まるプライベート・パーティーにVJとして参加したこともある。平日はセガでゲーム・デザインに取り組み、土日はVJユニットで活躍する充実した日々が続いた。 そんな生活にも陰りが見え始める。2003年にセガ傘下のUGAが解散し、ソニック・チームに営業譲渡されたのだ。これを機に、杉山は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内の起業家育成施設であるイノベーション・ビレッジに入居。『回向』を世に出すため、起業の道を模索し始める。独立するにはセガの仕事を辞め、『回向』の共同開発者である弟にも会社を辞めてもらう必要があった。しかし、ナムコのゲーム・プログラマーとして看板タイトルを手掛けていた弟の反応ははかばかしくなく、杉山自身も安定した職場を失う不安にさいなまれた。さしもの楽天家もストレスで十二指腸潰瘍になり、体重も激減した。 世界中から求められる『LoiLoScope』 しかし、道は思わぬ形で開けた。同ビレッジのインキュベーション・マネジャー、辻佳博氏の提案でIPAの未踏ソフトウェア創造事業に「一億総放送局化を実現するノンレンダリング映像ソフト“回向”開発」というテーマで、2007年12月に見事採択。杉山兄弟はIPAのスーパークリエータとして認定され、900万円の資金が提供された。これを元手に『回向』をベースとした動画編集ソフト『LoiLoScope』を開発。2008年8月に提供を開始した。 反響は上々で、『LoiLoScope』はWeb上でも注目され、「Microsoft Innovation Award2007」のコマーシャル部門優秀賞を受賞。世界的なグラフィック・ボード会社からは技術提携の話も舞い込んだ。「『GPGPUをフルに活用しているソフト』ということで『LoiLoScope』を応援してくれている。それが追い風になっています」と杉山は語る。来年はシリコンバレーにオフィスを開設し、米国での事業を本格化させる予定だ。 フリーターからゲーム・デザイナーへ、そして国際的なベンチャー起業家への転身。紆余曲折の末に学生時代の夢が実現しつつあることを、杉山はどう感じているのだろうか。 「自分の予想を超え過ぎちゃってて、楽し過ぎます。エンジニアって井の中の蛙になりがちですよね。でも自分が起業してみて分かったのは、世の中には本当にいろいろなプロフェッショナルがいて、その人たちに仕事を頼めるということ。僕はもともと、名刺交換がトレーディング・カード集めに思えるぐらい人と会うのが好きだったので、経営者が一番の適職だったのかもしれません」 逆境を好機に変えた原動力は「便所の100ワット電球的な、明るくポジティブな性格」と杉山は自己分析する。 「相手の反応にビクビクせず、自分は相手を幸せにできるはずだと信じて行動した方がいい。それと、悩んでいるならジャンプするべき。井の中の蛙でいると、塀はすごく高く見えるかもしれない。でも、ジャンプしたら天国が見えるかもしれない。止めた方がいいという人は必ずいる。でも、落ちたらまたジャンプすればいいんです」
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