転職でキャリア「最適化」計画
技術者として長いキャリアを積んでからの転職だからこそ、得られたものも大きい。 仕事を変えて毎日を楽しく過ごしている彼らに、転職で一番変わったことを聞いてみた。 | 記事トップ | 1 | 2 | 3 |
株式会社円谷プロダクション
クリエイティブ部門
映像制作 マネージャー
海老澤 広樹 氏(29歳)
2002年、ゲーム会社に入社しCGデザイナー、ディレクターとして3年半勤務。フリーランス期間と大手広告代理店の制作子会社を経て、2008年6月より現職
クリエイティブ部門
映像制作 マネージャー
海老澤 広樹 氏(29歳)
2002年、ゲーム会社に入社しCGデザイナー、ディレクターとして3年半勤務。フリーランス期間と大手広告代理店の制作子会社を経て、2008年6月より現職
キャリア8年目
海老澤氏の転職活動
海老澤氏の転職活動
START 2008.1
フリーランス時代の友人から、円谷プロダクションへの入社を誘われる
フリーランス時代の友人から、円谷プロダクションへの入社を誘われる
面接 2008.4
過去の作品を収録したデモ・リールを持参して副社長と面接
過去の作品を収録したデモ・リールを持参して副社長と面接
内定 2008.5
面談後からはメールでのやりとりが続き、約1カ月後に内定
面談後からはメールでのやりとりが続き、約1カ月後に内定
退職 2008.6
秘密裏に仕事の引き継ぎを進め、万全の対策を講じた上で退職
秘密裏に仕事の引き継ぎを進め、万全の対策を講じた上で退職
2008年8月、『ウルトラマン』で知られる円谷プロダクションにCGプロデューサーとして入社し、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトルシリーズ』最新作などのCG制作のマネジメントを行っているのが海老澤広樹氏。
大学卒業前から、内定先のゲーム会社でCG映像の制作に携わり、その後はフリーランスで数々の有名映画、CM、広告のCG制作に参画した。円谷プロダクションに転職した理由は、CG映像を作る仕事の在り方について常に疑問を感じていたから。
「CG映像制作は受け身の仕事が基本。作業する側の私には、予算にかかわるような手法の提案ができない状況が多かったんです。自分の提案が届く位置にいないと、本当にやりたいことはできない。それまでも最大限力を発揮できる環境を探して動いてきましたが、この時から『プロジェクトを管理できる仕事』を視野に入れた情報収集を始めました」
こうして転職を意識しつつ業務改善に試行錯誤していたころ、フリー時代の海老澤氏の仕事ぶりを知る知人の紹介で、円谷プロダクションへの入社を誘われた。副社長との面談時に、「君はプロデューサー向きだ」と言われたのが印象的だったという。
「正直『チャンス!』と思いました(笑)。オリジナル・コンテンツを持ち、映像制作のみならず幅広い分野でビジネスをしている点に魅力を感じましたし、自分がやりたいと思っている役割を会社からも求められているのだから転職に迷いはありませんでした。ただ、退職のタイミングには気を遣いましたね。身勝手な辞め方をすれば、狭い業界なので悪い評判はすぐに広がります。私個人の信用がなければこの業界ではやっていけませんから」
入社後は当初の念願どおり、CG制作業務のプロデュースを担当。撮影現場に立ち会ったり、シナリオを確認してCG表現が可能かどうかをチェックしたりと忙しい毎日を送る。決められた予算とスケジュールの範囲内で、いかに高いレベルのビジュアルを実現するかの調整が腕の見せどころだという。
「今後、仕事の裁量がさらに広がれば、自分のやりたいことができる可能性も大きくなる。将来的には経験を積んで、CGだけでなく総合的なプロデュースも手掛けていきたいと思っています」
広告制作子会社のCGデザイナーから、オリジナル・コンテンツ制作会社のCGプロデューサーへ――それを可能にしたのは、仕事の実績と信用、それにキャリアアップへの強い意志だった。海老澤氏が転職によって手に入れたもの、それは「自分のやりたい仕事ができる可能性」だったといえそうだ。
前職の仕事内容
大学在籍時からゲーム製作会社でキャリアをスタート。フリーランスを経て入社した大手広告代理店系列の制作子会社で、CGデザイナーとして活躍。約2年間、広告関連のCG、CM制作を担当した
キャリア8年目以降の悩み
作業を請け負う側の裁量の範囲が狭いことで、映像表現が制約されてしまうという業務形態に限界を感じるように。「自分の提案を実現するためにも、予算管理側を知る必要がある」と考えた
転職のきっかけ
同業の友人と定期的に情報交換を続けていたが、2008年1月にその友人が円谷プロダクションに入社することに。これがきっかけとなって入社を誘われ、副社長に会うことになった
大学在籍時からゲーム製作会社でキャリアをスタート。フリーランスを経て入社した大手広告代理店系列の制作子会社で、CGデザイナーとして活躍。約2年間、広告関連のCG、CM制作を担当した
キャリア8年目以降の悩み
作業を請け負う側の裁量の範囲が狭いことで、映像表現が制約されてしまうという業務形態に限界を感じるように。「自分の提案を実現するためにも、予算管理側を知る必要がある」と考えた
転職のきっかけ
同業の友人と定期的に情報交換を続けていたが、2008年1月にその友人が円谷プロダクションに入社することに。これがきっかけとなって入社を誘われ、副社長に会うことになった