昨年12月某日。経営破たんしていた老舗靴下メーカーの福助を再建し、脚光を浴びていた藤巻幸夫氏は、知人の紹介で、イトーヨーカ堂の鈴木敏文会長に会うことになっていた。その日、藤巻氏はイトーヨーカ堂の衣料品を何点か持参、単刀直入にこう意見を述べた。
「いくら大衆向けの服といっても、もっとこだわりが必要だと思います。これからは宣伝などにも工夫を凝らし、躍動感を打ち出さないと」
鈴木会長はその話をひと通り聞き終えた後、こう切り出した。
「“福助の社長”ではなく“バイヤー藤巻”として、私と一緒にイトーヨーカ堂の改革をやってみないか」
「いや……」と断りかけた藤巻氏に、鈴木会長が再び語りかける。
「今のイトーヨーカ堂は、いわば大河。その流れの中にあなたが入っても改革は無理だろう。だから、もう一本別の河(会社)を私が作ろう。社長はあなた、一緒に働くメンバーの選定もすべて任せる」
こうして藤巻氏をトップとするイトーヨーカ堂のシンクタンク・IYG生活デザイン研究所が誕生した。
「時速200キロで成果を出します、と言うと、『いや、2000キロでやってくれないと困る』と。その気持ちを意気に感じて、とても僭越だけど、僕は鈴木会長を男にしたい!!と思ったんです」
仕事のイロハと厳しさを教えてくれた伊勢丹の先輩たち
自分に機会を与えてくれる人や救ってくれる人に出会うと、常に「この人を男にしたい!!」という思いで仕事に打ち込んできた藤巻氏。パワフルな行動力の源は、この「人への思い入れ」にある。
「転機になった出会いで最初に思い出すのが、伊勢丹の新人時代。3人の先輩が、販売員としての仕事のイロハを叩き込んでくれたんだ。とても厳しかったけど、『この人はすごい!!』と思ったら徹底的にへばりついて何でも吸収しようとしていたよ。余談だけど、その中の一人は、体育会出身でダサかった僕を、西麻布のオシャレなお店に何度も連れていってくれてね。その後、僕が通い詰めて、先輩よりもなじみの客になっちゃった(笑)」
29歳の時には、業界の最先端だった米国のバーニーズへ出向。これも、当時の上司が「気合と根性だけはあった自分を見込んでくれて」、出向スタッフに選んでくれたのがきっかけだった。
この時期の経験がバイヤーとしてキャリアを築くきっかけとなるが、一方で、浮ついて遊びすぎ、帰国後に振り出しの販売員に戻されるという挫折を味わった。
「もう会社を辞めようかと自暴自棄になっていた時に、今度は遠藤さんという先輩に出会った。落ち込んでいる僕に、『もう一度、婦人服をやらないか』と声をかけてくれたんだ。そんな先輩を男にしたいと思って作ったのが『解放区』。この大ヒットで僕は復活、先輩は偉くなったんだよ」
その後も、伊勢丹を退職後はキタムラの北村宏社長に声をかけられ、経営の奥深さを学んだ。そして、そこでの実績が評判を呼び、福助の再生を手がけていたMKSパートナーズの川島隆明氏(現・カレイド・ホールディンス代表)に「再建社長」として呼び入れられた。藤巻氏の転機には、必ずといっていいほど人との出会いがあり、そこで濃密な信頼関係を築いてきた。
幸せな循環を生み出す「寅さん流」信頼構築術
「信頼し合う友人は2000人以上」と話す藤巻氏の出会いのストーリーは、まさにキリがない。ではなぜ、ここまで強い信頼関係を広く作ることができたのか?
「若いうちは、自分の“親分”を見つけていくことが大事なんだと思う。そして、子分は親分のために、親分になったら子分のために、一緒になってドロまみれになるしかないんだと思う。僕は、ずっとその繰り返し。打算や計算をしたらダメなんです。自分だけ得をしようと思った瞬間に信頼関係は逃げていくからね」
学生時代から『男はつらいよ』が大好きだったという。ビジネスの世界に入ってからも、寅さんばりの“男気”と“人情”を貫いてきた。だからこそ周囲に人が集まり、自分を引き上げてくれる数多くの出会いに巡りあえた。
今回、IYG生活デザイン研究所に集まったのは、藤巻氏が信頼を寄せるその道の超プロたち。「藤巻さんのためなら」と新会社に転職してきた彼らの力を借り、今年4月の代表就任後わずか1週間で、さっそく大宮店と溝丿口店の店舗改革に乗り出している。今後、巨大スーパーをどう変革していくか楽しみだ。 |