ピンチ&逆境の切り抜け方

結果が出せず焦ってばかり・・・、忙しくてやるべきことが見出せない・・・、現代社会を生き抜くビジネスマンにつきまとうピンチや悩みの連続。今を輝く若きリーダー3人は逆境をどう乗り切ってきたのか、そのポイントを聞く。 《2005年9月号より抜粋》

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■お話を伺った方々
熊谷正寿 GMOインターネット株式会社 代表取締役会長 兼 社長
南場智子さん 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) 代表取締役社長
山村幸広 エキサイト株式会社 代表取締役社長
 
 
エキサイト株式会社
代表取締役社長

山村幸広
 
 
86年大手アウトソーシング支援会社入社。同社副営業本部長、同社米国法人の取締役、同社取締役事業企画開発副本部長等を経て日本ダブルクリック代表取締役社長に。99年エキサイトの日本法人責任者を経て、2000年同社代表取締役社長に就任
 
 
Q.新卒入社後、営業マンとしてすぐに力を発揮できましたか?

A.新卒で大手アウトソーシング支援会社に入社した、最初の4年間は不遇でしたね。入社後すぐに大阪から東京に異動し本社の新設営業部隊に配属されたのですが、既存の営業部隊からは、どのお客様に行こうとしても「そこはうちのテリトリーだから」と言われ、新規顧客を訪問すればしたで「そこは俺がツバをつけていた」と言われる。 そんな折、彼らがどうしても取れなかった大手企業の契約が取れ、風向きが変わったと思った瞬間に今度は上司が失脚してしまったんです。部隊は解散し、その後は大阪に戻ってエンジニアリングやOAのショールームを転々としました。

まさに八方ふさがりでしたが、「営業は数字を出せばいい」と割り切りました。まだ若く、自信過剰なところもあったかもしれませんが、何より「必ずやれる」と確固たる信念を持ち続けていました。その後担当したインターネット・ビジネスの新規事業では波に乗ることができ、100億のビジネスを7、8倍に拡大することができました。



Q.エキサイト日本法人責任者に就任直後、なんと親会社が買収の憂き目に遭われたとか。

A.初出社の10日後にエキサイトがアットホームに買収されまして。親会社が変わればトップをすげ替えることも珍しくなく、入社早々クビの危険にさらされたわけです。翌々年には新しい親会社も倒産し、伊藤忠商事資本の会社に移行。そんな厳しい時期を乗り越えられたのは「明日クビになっても食える」という自信があったから。いつ辞めても平気なだけの実績やスキル、人間関係を自分は積み上げてきた。その確信があったからこそ乗り切れたと思いますね。


Q.ヤフーとの戦いで経営ピンチに陥ったことも。どう乗り越えたのですか?

A.エキサイトの歴史はヤフーという圧倒的ナンバー1との戦いの歴史でもある。「ポータルサイトの利用者全員がヤフーのユーザーとしたら自分たちがやる意味はどこにあるのか」と悩みました。活路を開くため、20歳〜34歳の都市型ライフスタイルを楽しむ層にターゲットを絞ったのが成功し、04年に株式上場。これはポータルサイトとしてはヤフーに次いで2社目です。存在価値を認めてもらうために挑戦し続けてきたことの、ひとつの結果かもしれませんね。
 
 
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