「マンゴーが僕を見て微笑んだ」宮崎県のセールスマン・東国原英夫氏がヒットを連発できた理由
小学生の卒業文集で「夢はお笑い芸人と政治家」と書いた。
その男は1981年にビートたけし氏の一番弟子となり、以降、『そのまんま東』の芸名で芸能界を席巻。そして、小学生時代のもうひとつの夢を叶えるため、早稲田大学で地方自治を専攻し、2007年1月、故郷・宮崎県の知事選に出馬。見事当選を果たした。東国原英夫、第52代宮崎県知事、その人である。
自らを「宮崎県のセールスマン」と称した東国原氏は、決してメジャーとは呼べなかった宮崎マンゴーや宮崎地鶏を次々とヒットさせ、地域活性化を実現した。その類稀な経験を活かし、現在も全国各地で地方活性化についての講演活動を行っている。
日々営業活動に取り組む中で、同業他社の商品と比較され、なかなか自社の商材に自信が持てず、顧客に胸を張って提案ができないと悩みを抱えている営業マンも多いだろう。政治とビジネス、フィールドこそ違えど、さまざまな逆境を乗り越え、商材の価値を最大化させた東国原氏の手腕と功績は、きっとすべての営業マンのヒントとなるはずだ。
コスト競争に風評被害……
東国原流・逆境を味方にする営業術
「もともと故郷・宮崎にコンプレックスがあったんです。東京で地元の話をしても、『宮崎県』と『宮城県』を間違われる始末でしたから」
もっと宮崎を有名にしたい。その想いが、地方自治を学び、県知事を志すきっかけとなった。圧倒的な得票数を獲得し、県知事に就任した東国原氏が最初に取り組んだのが、宮崎県のブランディング向上だ。
「農業が、宮崎の基幹産業。だけど市場では、毎日、農産品の全国大会が行われているようなもの。その中でどうやって勝てるか。僕なりに分析し選んだのが、マンゴーでした」
今でこそ人気フルーツとして定着した感のあるマンゴーだが、2007年当時、まだそれほど世間への浸透度は高くなかった。しかもハウス栽培する宮崎マンゴーの価格は1玉1万円前後。格安で買える沖縄や台湾のマンゴーに対し、価格優位性においては完全に不利だった。
しかし、東国原氏はこれを逆手に取る。
「安いものを求める人は捨て、富裕層にターゲットを絞る。そして、その人たちが『高くてもこれが欲しい』と思う付加価値を付ける。宮崎マンゴーを贈られた人が『こんな高級なものを』とありがたみを持てるようなブランドにしようと考えました」
政治の話題以外でも積極的に東国原氏がメディアに露出していたのもその一環だったという。
「僕がメディアでPRするとそれ自体が付加価値となって、『これが東国原が言ってたマンゴーね。高いけど、買ってみようかしら』と思ってもらえる。包装も一般のマンゴーが段ボールに詰められているのに対し、こちらは木箱に入れる。そうやって高級感を演出し、付加価値を付けていくんです」
いいものをいい価格で売る。そのことに徹底し尽くした結果、最高級の完熟マンゴー『太陽のタマゴ』の名は全国に知れ渡った。
また、他にも東国原氏の実績として有名なのが、宮崎地鶏の普及だ。だが、就任当初、東国原氏はこれ以上ないほどの逆風にさらされていた。県内3カ所で鳥インフルエンザが同時期に発生し、何十万羽単位の家禽の殺処分が決まったのだ。壊滅的な打撃を受け、養鶏関係者が肩を落とす中、東国原氏だけは意気揚々だったという。
「僕が知事に就任して間もなくということもあって、何度も全国ネットでこのニュースが取り上げられました。つまりそれは、宮崎が鶏の産地であるということをいろんなメディアが宣伝してくれているということ。おかげで、たくさんの人に地頭鶏(じどっこ)や宮崎地鶏を知ってもらうことができた。こんなにオイシイことはない。だから僕はこの状況をどう逆に利用しようかということをひたすら考えていました」
食の不安が広まる中、東国原氏は「人体に害はない」という事実を何度も繰り返しアピールし続けた。結果、風評被害は消え、終息宣言を発表した2007年3月、宮崎地鶏の売上は宮崎市の物産館で前年比約11倍、東京のアンテナショップでも前年比約9倍を達成。一気に日本中にブームが広まった。
「人がやらないことをやる」
たけしイズムから生まれた逆転の発想
成果が出ないと、コスト競争や景気低迷などの外部要因を売れない言い訳にしてしまいがち。しかし、東国原氏はこうした逆境をあえて逆手に取ることでヒット商品を連発し、宮崎の認知度を高めた。この逆転の発想は、どこから生まれているのだろうか。
「それはやはり(ビート)たけしさんの影響が大きいですね。僕が弟子入りした35年前からずっと師匠は笑いとかものづくりに対して人がやらないことをやるタイプの方でした」
人がやらないことをやる。あらゆるピンチをチャンスに変えた「宮崎のセールスマン」の根底には、たけしイズムが流れていた。
事実、東国原氏は知事就任後、PRの場ではさかんに法被姿で登場した。
「これまでの県知事といえば、官僚出身の学問エリートの人が主流でしょ。公の場に出るときはスーツを着るのが常識で、法被や作業服を好んで着る首長はほとんどいなかったんです」
ここでも“たけし譲り”の逆転の発想が活きた。
「知事らしくない知事でいよう」と考えた東国原氏はあえて法被を愛用することで、多くの市民の支持を得た。今では、東国原氏のスタイルに倣い、法被や作業服を着る知事も増えつつある。
「つまり僕は営業マンであると同時に戦略家なんです。鳥インフルエンザの時もどうやって風評被害を払拭するか戦略を練り続けた。もちろん現場にも足を運びますが、現場の営業マンが売りやすい環境を整えることが、知事としての僕の役割だったんです」
現場で先陣をきる一営業マンでありながら、「宮崎県」の社長でもある。全体を見て、方策を講じる、この戦略家視点が次々と宮崎ブームを起こした最大の要因なのかもしれない。
商材の表情が分かるほどに商材を愛する。
尽きない情熱を支えるのは、作り手との対話
マンゴーや地鶏の他にも、肉巻きおにぎりやチキン南蛮など、次々とブームを生み出し、宮崎のブランディング向上に貢献した東国原氏。それを「タレント時代の知名度があったから」と鼻白む人もいるかもしれない。
だが、東国原氏の影響力をもってしてもなかなか市場に広がらないものも数多くあったという。
「正直言って、成功したものと同じくらい伸び悩んだものもあります」
結果が出なければ責任を問われ、批判も浴びる。自らの商材に自信を失ってしまいそうになったとき、折れない心を保つために、東国原氏はどんなことに取り組んでいたのか。
「生産農家との対話ですね。生産農家さんの情熱と愛情、それを聞いて、見て、体験することが僕の原動力になっていました。たとえば、『完熟きんかん たまたま』という商品があります。研究開発から30年、生産農家の方々がものすごい労力をかけて、品種改良を重ねてきた逸品です。正直に言うと、マンゴーほどの認知度は今も得られていません。でも生産農家のみなさんは一生懸命、愛情をかけて育てている。その姿を現地で見て、心打たれて、僕も気持ちを持ち直すことができたんです」
では、営業マンの視点に置き換えれば、どのように考えれば良いのだろう。
「ケースバイケースで違うとは思うんですが、やっぱり商材を愛するためには、商材を知ること、その商材が社会でどう役立つのかを考えておかないとダメなのかなと思います。県知事時代の頃ね、出荷されるマンゴーを見たら嬉しそうな表情をしているんですよ。みんな顔が輝いていた。ついには僕も周りに“マンゴーに似てきたね”なんて言われたりして。“そりゃもともとだろ”ってツッコんでたんですけど(笑)」
照れ臭そうに笑うその顔には、マンゴーへの並々ならぬ愛情があふれ出ていた。商材の表情が分かるほどに、商材を愛する。それは、営業マンにとってはこの上無く幸せなことだろう。
もしも自分の商材に自信を失ってしまいそうになったら、部署の垣根を超え、商品開発側に話を聞いてみてはどうだろうか。そこにはきっと開発側の愛情と情熱があるはずだ。その一端を感じ取れた瞬間、今まで気づけなかった商材の表情が見えるかもしれない。
取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太
RELATED POSTSあわせて読みたい
「勝つことに必死になってはいけない」日本初のプロゲーマーが辿りついた強者の法則【スポプロ勝利の哲学】
転職で年収17倍!「能力ではなく可能性を信じる」26歳アメフト元日本代表営業マン、芦名佑介の仕事哲学
女性営業マンが持つ6つの強みと、それがデメリットに変わるとき【連載:太田彩子】
新人営業マン、サポートしてあげたくなるのは「もじもじ系のおとなしい男子」? 「意識高い系の積極的な男子」?