醤油杜氏が企む人類総セールスマン化計画~「営業経験が、営業しない道を選ばせた」
香川県小豆島で約150年間続く醤油杜氏、ヤマロク醤油。その醤油のおいしさはもちろん、醤油を醸造する木桶を自社で手作りするなど醤油造りに対する真摯な姿勢から、さまざまなメディアで取り上げられるようになっている。最近では生産が追いつかなくなることさえあるという。
このように全国から注文が殺到する人気商品になった理由を5代目の山本康夫氏に聞くと、「営業をしない」ことにあるという。その真意を聞いた。
売り込みのたびに感じる苦悩
山本氏は家業を継いで5代目となる前に、実は7年間、実家を離れて佃煮メーカーの営業マンとして働いていた過去がある。
「父から『継がんでええ』と言われていましたし、私自身も全く家業を継ぐ気がなかったんです。進学した愛知県の大学も文系でした」
大学卒業後に入った佃煮メーカーで営業部に配属されたことが、彼のその後の人生を大きく変えることになった。
ある日、大手スーパーのバイヤーに売りこみに行った時のことだ。山本氏の商材は、多少値が張るものの、低塩・低糖で素材本来の旨みが味わえ、保存料や着色料を一切使っていないことが売りの佃煮だった。商品への自信を胸に商談に臨んだ山本氏。しかし、バイヤーが発した言葉に、彼は絶望する。
「日持ちしないし、値段も高い。それじゃあいくらおいしくても話にならない。せめてこのくらいに値段下げてよ」
バイヤーが指差したのは、TVで連日CMが放送されていた他社の佃煮。中国の工場で大量生産され、保存料・着色料が大量に使用された商品だった。
山本氏は営業に行くたびに、怒りにも苦悩にも似た感情に苛まれるようになっていったという。
「この人たちは誰のために食べ物を売っているのか」
「値段を下げて売ったとして、それは誰のためなのか」
「あきらかに健康に悪い商品ばかりが店頭に並ぶのを、自分に止めるすべはないのか」
頭の中をめぐる感情は、やがてひとつの答えを導き出す。
「彼らに買い叩かれないくらい圧倒的な商品力を持ち、『売ってくれ』と懇願されるような商品を作ろう」
当時勤めていた会社でそれを行うのは、一営業マンでしかない山本氏には不可能だった。やるなら自分が経営者になるしかない。そう考えた彼は小豆島に帰る決意をした。
行き着いたのは“営業をしない”販路拡大法
山本氏が家業を継いだのは29歳の頃。出納帳を見て最初に抱いた感想は「継がなくていいって、こういうことか」だった。
「両親がやっと食べていけるだけの収入しかありませんでした。父が『継がんでもええ』と言っていた理由が分かりましたね」
結婚して家族が増えていた山本氏は、とにかく収入を増やすことを最優先した。手っ取り早く売り上げを上げるには何をすべきか。まず思いついたのは、やはり営業に行くことだった。退職した翌日、前職の営業先を訪問した彼はしかし、そこでも値切り交渉を受ける。
「こちらから問屋や小売店に営業をすれば、やっぱり買い叩かれる。そもそも、より多くのお店で取り扱ってもらおうと営業に力を入れるとしたら、私の手だけでは足りず、営業マンを増やさなくてはなりません。しかし、営業マンを新たに雇うとなると人件費や交通費、車代などが毎月財政を圧迫する。そう考えたらこのままのビジネスモデルではうまくいくわけがないと思ったんです。そこで、営業経費にお金を使うくらいなら社内のシステム化や醤油作りに全てまわして、お金を掛けない販路拡大を目指そうと思うようになりました」
あらためて“営業をしない”決心をした山本氏。取り組んだのは「お金を掛けずに“営業マン”を増やす方法」だった。
見学に来た子どもたちが未来の営業マン
販路拡大に取り組むとはいえ、当時の山本氏にあるのは限られたリソース。まずは先代が残した過去の顧客の掘り起こしに取り掛かった。
「父の時代からちょくちょく地元のテレビ局に取り上げられていました。なので、TV経由で直販した顧客リストは100件くらいですが、すでにあったんです。まずはその顧客リストにDMを打ち、再度購入してもらうということを狙いました」
醤油の味には自信がある。一度、商品に興味を持ってもらった顧客にはリピーターになってもらえるはずだ、と山本氏は考えた。
「さらに、再度購入した顧客が商品の良さを周囲に話せば、そこから口コミで広がると考えたんです」
小豆島という独特の立地条件も味方につけた。親戚のタクシー運転手に交渉し、観光ルートに醤油蔵の見学を入れてもらったのだ。
「小豆島は観光客が多い。その割には、観光する場所が少ないのではないかと思っていました。そこで、観光ルートのひとつとして、うちの蔵の見学を提案しました」
山本氏は、将来を見据えた長期的な販路拡大法も試している。
「地元の小学生の社会科見学を積極的に受け入れています。子どもたちの勉強のためが第一の目的ですが、実は彼らとつながりを持っておくことも目的の一つにあります」
子どもたちのほとんどは高校卒業と同時に、島から出て行く。大学に進学し、全国に散った彼らは、里帰りの話や自己紹介をする際に、小豆島出身であることに必ず言及する。その時に思い出してもらうフックを作っておくのが、山本氏の狙いだ。
「名産品の話になったときに、『ヤマロク醤油というおいしい醤油を造る会社があってね』と言ってもらえたら勝ち。その人たちが興味を持ってくれて、味わってくれたらまたそこから口コミやSNSで広がるはずと考えました」
「営業をしないこと」に学ぶ営業の心得
商品価値を落とすことを嫌い、仕入れ業者にイニシアチブがある取引からの脱却を図ったヤマロク醤油。このようにして、地道に全国に“営業マン”を増やすことにより、今ではヤマロク醤油の製品を取り扱う店舗も全国に広がった。
「私がいきなり問屋に『この醤油を扱ってくれ』と言っても、買い叩かれます。だから私は、問屋が仕入れざるを得ない状況を作ったんです。各地に散らばった“営業マン”が『ヤマロク醤油の商品、置いていますか?』と小売店に問い合わせる。この件数が多くなると、小売店が問屋に同様の問い合わせをする。すると問屋から『御社の醤油を扱わせてください』と、うちに発注が来るんです」
こうした取り組みの数々を指して、「営業をしないことを選んだ」と話す山本氏。だが、自分が扱う商材の魅力を徹底的に追求して、与えられたリソースを最大限に活用し、短期的な視点だけではなく、長期的な視点で種をまき続けるという販路拡大戦略には、新規開拓営業のヒントが多く詰まっているように映る。
新規顧客の開拓コストが既存顧客の維持コストの5倍とも言われている現代。だが、「一営業マンにできること」もまだまだ残されているのではないだろうか。
取材・文/佐藤健太(編集部)
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