「数値の目標なんて、今をつまらなくするだけでしょう?」映画監督・紀里谷和明氏が明かす“本能的”仕事論
CMやPVの制作、広告や雑誌のアートディレクションを経て、映画監督として印象的な作品を世に生み出してきた紀里谷和明氏。2004年公開の『CASSHERN』、09年公開の『GOEMON』に続き、15年11月に『ラスト・ナイツ』を公開する。
職業としての営業とは無縁に思える「映画監督」という仕事だが、意外なことに、紀里谷氏は映画作りにおける営業を数々こなしてきているという。しかもそのマインドは普通の営業マンとはどうも異なるようだ。それはなぜなのか。彼のキャリアを辿り、自身によって語られた「営業の本質」とは――。
相手のリスクをゼロに近づけることで信用を得る
紀里谷氏は、「映画作りは過酷極まりない、極限まで厳しい労働環境」だと語る。企画から撮影、宣伝、公開に至るすべての過程を含めれば、数年掛かりになることは当たり前。そのすべてに全力を尽くすタイプの紀里谷氏は、毎回「死んでしまいたくなるほどの気分になり、絶対に二度と撮るものかと思う」と顔をしかめる。
「それでも、完成するとなぜか、またやろうという気持ちが湧き上がる(笑)。そんな魔力を秘めているのが、映画なんです。モテるとか、儲かるとかじゃなく、僕にとってはこの労働そのものに、没頭できる喜びがある、そういうことです」
そんな映画監督の大きな仕事の一つに、出資者に対する営業活動がある。映画制作には、何十億という大金が必要だ。そのお金を納得して出資してもらうために、紀里谷氏は一つだけ心掛けていることがある。
「映画だってビジネスですから、成功もあれば失敗もあります。でも、相手のリスクを極限までゼロに近づけてあげるのが、営業における誠意だと思うんです。ですから、最初の作品である『CASSHERN』の時は、『監督である僕も出資しますし、ギャラは一切受け取りません。その代わり、映画がヒットして資金が回収できたら、その一部をいただきます』という約束を交わしました。すると出資者は、『こいつは絶対にヒットさせようとするはずだ』と、僕を信用してくれるわけです。つまり、信頼を得ることこそが本来あるべき営業の姿なんじゃないでしょうか」
紀里谷氏は、「信頼」という言葉をことのほか大切に考えている。その理由は、幼いころから父親に、「人間にとって最も大切なのが信用。信用だけはお金では買えない」と、耳にタコができるほどに聞かされて育ってきたから。そのため、監督として映画の質を上げる努力はもちろん、興行成績を上げて出資者にリターンをもたらすための宣伝活動にも積極的に関わっている。そのことが、映画を撮るたびに死にたいほど疲弊してしまうという要因の一つなのかもしれない。
本能に忠実に、やりたいことだけをやる
その極端とも言える「営業論」はなぜ生まれたのか。キャリアをさかのぼると、15歳のときのある決断にたどり着く。
「実業家の父は既成概念というものがない人で、こうしなければならない、前例がないからダメなどといったことは一切言いませんでした。だから僕がアメリカに行かせてほしいと言ったときも、ダメとは言わなかった。今思えば、中学生の男の子一人で渡米させた親父は、相当変わった人だと思います(笑)。それが僕のキャリアのスタート地点であり、その後も僕は本能に忠実に、やりたいと思ったことをすべてやってきました」
父親には、「行ってもいいが、帰ってくる場所は無いと思え」と言われて送り出された紀里谷氏。渡米当初は公立の学校に通っていたが、アートで有名なマサチューセッツのケンブリッジ高校に転校したことで、自由な発想力をさらに大きく開花させていく。
その後、アート系の大学に進学したものの、高校のとき以上の刺激を感じられずに中退。いくつかの失敗や挫折を経験した後に出会ったのが、写真の世界だった。「これなら勝負できる」と直感した紀里谷氏だが、その当時は、カメラも持っていなければ、写真の撮り方も知らなかった。
「知り合いのカメラマンに頼んでカメラを貸してもらい、そのついでに撮り方を教えてもらいました。僕は、写真や映像、映画に関して、専門の学校に行ったこともなければ、誰かに弟子入りしたこともありません。ただ、本能的に興味を持ったものに没頭し続けていった結果、カメラマンからPVを制作するようになり、映画監督へと至ったんです」
数値化した目標は魂を死なせる
紀里谷氏は、この『ラスト・ナイツ』が、ハリウッド進出第一弾である。
異例のスピードに思われる展開だが、紀里谷氏本人にとっては大幅に遅れたハリウッド進出なんだそう。実は『CASSHERN』のすぐあとにハリウッドから声が掛かっており、その数年後にハリウッド進出第一弾が公開されてもおかしくはなかったのだ。その原因は、『リーマンショック』などといった本人の能力に関係ない、外的要因たちだった。
ただし紀里谷氏は、「人生なんてそんなものだ」と意に介さない。
「当時は、本当に悔しかったですよ。でも振り返れば、これで良かったのだと思います。この10年の間にさんざん苦労して、さんざん勉強したから、今の自分がいるのだと。もしあのまま順調にハリウッドデビューしていたとしても、あと1~2作多く撮影できていただけかもしれないですから。だから、キャリアプランなんて、あまり意味がないと思いますよ。いつ何がどう変わっても自分はやるのだ、という覚悟の方がよっぽど大切」
映画にしろ、その他の仕事にしろ、結果ではなく、どれだけそこに熱を持って取り組んだかが大切だと語る。
「もちろん結果も大切。でも、結果だけ見ていたら、人類のほとんどが落伍者ですよね。結果は数値で示せますが、数値化した目標を掲げることで魂が死んでしまうような気がするんです。何年後にどうなっていたいから今はこの数値を追う、って何の確証もない未来との交渉のために今を犠牲にするのなんてつまらないでしょう。来年とか、10年後20年後ばかりを追及するのではなく、今何をしたいのか、今何をするべきかといった本能的なものに、もっと目を向けていきたいと思いませんか?」
信用を失うような行動はせず、今この瞬間するべきこと、したいことのみに没頭することを繰り返していけば、おのずとキャリアは積まれていく。紀里谷流の仕事論は、あまりにも明確で潔い。
取材・文/朝倉真弓 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)
RELATED POSTSあわせて読みたい
「トップを目指す理由が多いほど、レースは楽になる」五輪表彰台を目指すトライアスリートが1年半の回り道で気付いたこと【スポプロ勝利の哲学】
「年収は幸せにした顧客の数に比例する」年収が3倍になって分かったお金を稼ぐことの意味
「無責任な営業はBtoBマーケット全体の足を引っ張る」泥臭い方法で最新技術を顧客の価値に変えるIT企業の営業マン
“オートレース界の彗星”が逆境から這い上がる日【スポプロ勝利の哲学】