太賀が“売れない俳優”から仕事のオファーが絶えない人に変わるまで「闇雲に働くより、自分の勝算を分析することが大事」
才能のある同世代を見ると、誇らしさと悔しさの両方が湧いてくる。今、20’s世代にとって、最も刺激を与えてくれる同世代の有名人の一人が、俳優の太賀さんだろう。ドラマ『ゆとりですがなにか』(日本テレビ)で一躍全国区のスターに。視聴者をイラつかせる強烈な“ゆとりモンスター”ぶりで、お茶の間に絶大なインパクトを残した。
以降、数々のドラマ・映画・舞台で活躍。2018年6月1日(金)公開の映画『50回目のファーストキス』でも筋トレ好きの弟・慎太郎というキャラクターをハイテンションに演じ、コメディーパートの屋台骨を担った。
その急激なブレイクから新進俳優の印象も強いが、実はデビューは13歳のとき。10年以上の芸歴を誇る一方で、一般に名前が知られるまでには相応の時間を要した。その間「焦燥に駆られることもあった」と太賀さんは振り返る。では、どうやって苦悩の時期を乗り越え、今のブレイクに至ったのだろう。試行錯誤して手に入れた「俳優・太賀」という唯一無二のブランドが確立されるまでを聞いた。
いかに自分の存在感を示すか。鮮烈なインパクトを残す俳優・太賀の“爪痕力”
画面に映れば、何かしてくれるような期待感が募る。太賀さんは20代の中でも異色の存在感を放つ俳優の一人だ。
「作品の中でどうやったら存在感を示せるかっていうのは、自分の中でも常に課題にしてるところです」
そう控えめに語るが、彼の“爪痕力”は数々の出演作で実証済み。映画『50回目のファーストキス』でも、短期記憶障害を負った瑠衣(長澤まさみ)を姉に持ちながらも、その突き抜けた明るさで笑いをもたらすクセの強い役どころを、抜群の間のセンスと緩急の効いた演技で見事に成立させている。
「結局、お芝居ってあくまでつくりもの。どれだけ喋っていても自分の内から出た言葉ではないし、僕と長澤さんも本当の姉弟ではない。言ってしまうと、そういう嘘の積み重ねなんです。でも、そんな中に小さな真実というのは確かにあって。いつも演じるときは、それを大事にしています」
本作で言えば、何があっても陰ることのない明るさ。そこに慎太郎という役の真実を見た。
「慎太郎のあの天真爛漫さは、瑠衣が1日で記憶を忘れてしまうという障害を負っても、家族が楽しく過ごせている理由の一つ。だから、とにかくイキイキのびのびやろう、と。あの明るさが慎太郎の素敵なところだし、それが上手く伝わればいいなと思って演じました」
くすぶっていた時期に取り組んだのは、徹底した業界リサーチと戦略立案
これまで出演した映画は延べ30本以上。その確かな演技力で同世代の俳優からの信頼も厚く、菅田将暉、染谷将太らとは10代の頃からの盟友だ。逆に言うと、駆け出しの頃を共にした仲間が次々とメジャーになっていくのを近くで見ている立場でもあった。
「くすぶっていた時期というのは、確かにありますね。いちばん苦しかったのは、19~20歳くらいの時かな。自分の思うような芝居ができなくて、周りと自分を比べて劣等感を感じることも多かった。焦りや悔しさとの戦いでしたね」
ビジネスの世界でも20代は修行の時期と言われることが多い。なかなか日の目を見る機会がなかったり、自分よりずっといい仕事をしている同世代の人間を見て嫉妬に駆られることも少なくはないだろう。だが、そんな潜伏期間をどう過ごすかが、未来を決める。
「僕は自分がくすぶっていた頃、とにかくリサーチをしていました。いろいろな作品を観たり、沢山の人と会って話を聞いたりしながら、どういう流れがあって今の映画業界が成り立っているのかを自分なりに勉強したり。監督についても、それぞれの人の特徴を調べました。一言で映画監督と言っても、商業的な成功を収めるのが得意な人もいれば、商業では今いちだけど国際的な評価が高い人もいる。ただ闇雲に何でもかんでも一生懸命やるのではなく、一旦そういう分布図をつくった上で、自分はどのポジションに行きたいのか戦略を立てることから始めました」
それはつまり自分のビジョンを明確化し、実現のプロセスを設計するという作業だ。まだ20代を迎えるか否かというタイミングで、太賀さんは自分の将来像を見据えた上で、露出の仕方をイメージングしていた。
「いろいろな作品に沢山出ることで成功するタイプの俳優さんもいると思いますが、僕はそういうタイプじゃない。それぞれ得意不得意はあるし、焦って何でも飛びついても仕方ない。どの戦場に立つのが自分にとって最も勝算が高いか。そういうことを真剣に考えるようになりました」
そこから徐々に風向きは変わっていった。象徴的なのは、21歳で受賞した『TAMA映画賞最優秀新進男優賞』。太賀さんは「若くして名優の佇まいを感じさせる」と評された。人知れず過ごした時間は、決してただの潜伏期間ではない。自分の未来を占う“作戦タイム”だ。無為に時間を消費するのではなく、勝てるマーケットポジションを確立するための戦略を練ることができたから、太賀さんは今に繋がるステップを築くことができたのだろう。
「一緒に仕事をする人に喜んでもらいたい」今、太賀に仕事のオファーがたえないワケ
かつて自分を苦しめた劣等感も「今はあまり感じない」とリラックスした表情で語る。
「結局他の人と比べたって仕方ない話。今はだいぶ肩の力が抜けてきた気がします」
なかなか人から見つけてもらえなかった頃とは、違う。今では多くの監督と観客が、俳優・太賀を求めている。その中で、太賀さんを突き動かしているものは一体何だろうか。
「原動力は何かと聞かれたら、一番は家族。そして監督やプロデューサー、キャストやスタッフといった一緒に仕事をしている人たちです。皆、一緒に作品をつくるパートナー。そういう人たちに喜んでもらいたい。それが一番嬉しいです」
本作でタッグを組んだ福田雄一監督とは、ドラマ『勇者ヨシヒコと導かれし7人』以来2度目。10月スタートのドラマ『今日から俺は!!』(日本テレビ)でも再度タッグを組むことが決まっている。多くの監督が「また太賀とやりたい」と熱望するのも、一緒に仕事をする人に喜んでもらいたいという彼の姿勢によるところが大きい。
「昔はもっと自分主語だったと思います。でも21歳くらいの頃からかな。自分じゃなくて、周りの人たちのために頑張ろうと思えるようになったのは」
そう聞いて、21歳で受賞した『TAMA映画賞最優秀新進男優賞』でのスピーチを思い出した。彼は壇上で「今まで周りの期待とか信じていなくて。自分自身のことも正直あまり信じていなかった」と告白した。その上で「僕が賞を頂けると決まった時に、自分のことのように喜んでくれる人たちがいた。今まで一人で戦ってきたつもりでいた自分が馬鹿だったなと気付かされた」と感謝の気持ちを述べた。
脇目も振らずに走っていたら、沿道で誰が手を振っていても気付くことなんできない。どんなに日の当たらない道だと思っていても、一度じっくり周囲を見渡してみれば、そこかしこに光の兆しは見える。決して人生は孤独なレースではないことに気付く。太賀さんが自分ではなく周囲を主語に語れるようになったのは、そんな心境の変化があったからかもしれない。
「今は自分が周囲からどんなふうに見られているかはそんなに気にしていないです。褒められたら嬉しいなって、それくらい(笑)。ちゃんとお金を稼げる俳優でいられたらそれでいいし、良いお芝居ができる俳優であり続けたい。それだけですね」
そう屈託なく言えるのは、無用な競争心や劣等感と決別できたから。
自分を見つめ、将来のビジョンを明確化すること。徹底したマーケット調査の上で、最適な戦略を立てること。そして、他人と比べ合うことをやめ、周囲への感謝を第一に行動すること。それが、苦悩と焦りの多い潜伏期間を切り開いた太賀さん流の“自分ブランド”のつくり方だ。
映画『50回目のファーストキス』2018年6月1日(金)全国ロードショー
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取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太
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