キャリア Vol.233

派遣会社の元営業マン→養豚家へ。「一次産業の新3K」を体言する30代社長が語る「稼ぐ」ということ

人材派遣業大手パソナで新規事業を手掛けるなど、ビジネスの最前線で仕事をこなしてきた営業マンが、突然の転身。「一次産業を“かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業”にする」という「夢」を掲げ、元営業マンが選んだ仕事は養豚家だった。

元営業マンの養豚家は、実家の農家を継いだ翌年、家業を株式会社化。生産する豚肉を「みやじ豚」と名付け、わずか2年で県内有数のトップブランドに押し上げ、農林水産大臣賞を受賞するまでに育て上げた。そして、ネット販売、銀座・松屋デパートや飲食店への納入、さらにバーベキューイベントの定期開催など、単に生産し出荷するだけだった実家の養豚業を「稼げるビジネス」の領域に押し上げている。

こうして、「夢」と「商売」の両立を成し遂げ、着実に一次産業を新たな3K産業へと展開し、農業プロデューサーとして、日本各地で講演も行うようになった宮治勇輔氏に、新3Kの一つでもある「稼ぐ」とは何かを聞いた。

株式会社みやじ豚 代表取締役/NPO法人農家のこせがれネットワーク 代表理事  宮治勇輔/みやじ・ゆうすけ

株式会社みやじ豚 代表取締役/NPO法人農家のこせがれネットワーク 代表理事
宮治勇輔/みやじ・ゆうすけ

1978年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、株式会社パソナに入社。営業・企画・新規プロジェクトの立ち上げなどを経て、2005年に退職。実家の養豚業を継ぎ、2006年9月に株式会社みやじ豚を設立。生産は弟の大輔氏、自らはプロデュースを担当し、独自のバーベキューマーケティングにより、神奈川県のトップブランドに押し上げる。日本の農業の現状に強い危機意識を持ち、日本の農業変革を目指すためにNPOを設立。一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にするために、さまざまな方面で活躍中

商売としてやっていくきっかけは“バーベキューマーケティング”

現在は、その実績、ノウハウを背景に農業プロデューサーとしても活躍し、講演会などにも積極的に赴く宮治氏。

そんな彼が、日本の農業の問題点を解決すべく4年3カ月勤めた大手人材派遣会社パソナを退社したのは26歳の時。もともと、30歳までの起業を目指し、社会人1年目から出勤前の勉強を欠かさなかったと言う。

そして、家業の養豚業を継いだ宮治氏が、まず始めたのが自分たちで育てた豚を食べてもらう「バーベキュー」であった。この行動の裏には、かつての苦い経験があったそうだ。

株式会社みやじ豚/農家のこせがれネットワーク 宮治勇輔

「大学2年の時、友達を呼んでバーベキューをしました。うちの豚を食べた友人が『こんなうまい豚肉は食べたことがない』と感動してくれたのです。でも、次の瞬間、『この豚肉、どこで買えるの?』と聞かれ頭が真っ白になりました。ここに農業の問題点があったのです」

宮治氏は会社員時代に農業関連書籍を読み漁る中で、日本の農業が抱えている問題が見えてきたと言う。

「問題点は大きく2つ。一つは農家には『商品価格の決定権がない』ということ。現状の市場では、生産し出荷したものを全量買い上げてくれる。ただし、価格は相場で決められてしまうので、価格の決定権がありません。もう一つが、『生産者の名前が消されて流通する』という問題。生産物は一緒くたにされスーパーに並び、お客さんからのフィードバックもない。それでは仕事に対する評価が得られず、やりがいを感じられません」

この問題点を逆手に取った方法がバーベキューだった。自分が育てた豚だから、価格の決定権を握ることができる。さらに、食べた人からは「おいしい」といった生の声でフィードバックが返ってくる。あとは売り先の確保だ。

宮治勇輔氏の仕事アイテム

「まず手始めに名刺管理ソフトとメール一斉送信ソフトを買ってきて、友人や名刺交換した人のデータベースを作ったら850人のリストができました。それが僕の最初の見込み客候補。彼らに自分が実家の豚農家を継いだことや、一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にするために頑張ることなどを知らせ、ついてはバーベキューをやるから、ぜひうちの豚肉を食べてほしいというメールを送りました」

とはいえ、当初の予測では、バーベキューでの稼ぎはごくごく小さなものだったそうだ。

「月に1回、お客さんを30人ほど呼んでバーベキューをやり、1人4000円として売り上げは12万円。諸々を差し引いて、手元に残るは3万円。でも、実家なので家賃も食費もタダ。まあ、3万円あれば生き延びることはできるなという程度でした(笑)。リスクの少なさは、家業を継ぐメリットでもありますね」

また、宮治氏はバーベキューだけでなく、飛び込み営業も積極的に行った。

株式会社みやじ豚 代表取締役/NPO法人農家のこせがれネットワーク 代表理事  宮治勇輔/みやじ・ゆうすけ

「飛び込みと言っても、飲食店に食事の予約を入れ、前もって『実は豚農家で』ということをちらっと伝えるんです。そして食事後に、シェフが挨拶に来た時『サンプルも出せるので使ってくれ』と営業していました。結果は全然ダメでしたけどね(笑)。おいしいものなんて世の中にあふれていて、銘柄豚は日本に400種以上もある。相手にもされませんでしたよ」

しかし、宮治氏の予測に反し、バーベキューは当初の売り上げ目標の月12万円を大きく超えていた。

「バーベキューを始めて3カ月後には、手応えを感じました。みやじ豚の直販体制の仕組みも整い、毎回60人ぐらいのお客さんが集まるようにもなり、これはイケるぞと思いました」

この背景には、バーベキューに訪れた人々の口コミが影響していた。おいしいみやじ豚を求めるだけでなく、夢の達成を目指す宮治氏を応援する人たちの輪が広がっていったのだ。

中には、自分が行きつけの飲食店の料理人やオーナーを連れてきてくれた人もいて、実際にその店で使用されたこともあったそうだ。

「相手の方から『ぜひみやじ豚を扱わせてくれ』と言われるようじゃないとダメなんですよね。それにはマーケティングが重要。だから、僕はこのやり方を“バーベキューマーケティング”と呼んでいます」

現在、湘南をはじめ神奈川や東京を中心に全国で約70の店がみやじ豚を扱っている。ネットショップの『みやじ豚直送便』は、生産が追いつかず売り切れることがあるほどの評判を呼んでいる。

また、こうした実践経験があるからこそ、農業プロデューサーとしての話にも説得力が増すのである。

一次産業の変革に欠かせなかった、会社員時代のビジネススキル

宮治氏がバーベキューマーケティングの方法論を見出した時、営業マン時代に身に付いたあることを思い返したそうだ。

株式会社みやじ豚/農家のこせがれネットワーク 宮治勇輔氏

「ビジネス書を毎朝4時5時に起きて読んでいました。そういった書籍の中に、『営業マンは、商品を売る前にまず自分を売れ』という言葉があり、僕はその通りだと思っていました。無数のおいしいものの中で、みやじ豚を選んでもらうには、味以外の部分も重要。僕の場合なら、一次産業を3K産業化するために頑張っているという自分の姿と、営業担当としての熱意を伝えること。これが、みやじ豚を選んでもらう大きな理由になるんです」

こうした積極的な宮治氏のスタイルにも、営業マンの経験が活かされている。

「もし僕が大学を卒業して、そのまま父親の後について農業だけやっていたら、自分と父親という小さな社会しか経験できません。当然、電話応対や名刺の渡し方といった、初歩的なビジネススキルすら身に付かない。農作業がうまくなって、いくら情熱があっても、今僕がやっているようなビジネスはできません」

また、別の理由でも宮治氏は、「営業」という職業の強みを感じているという。

「営業は、すべてにおいて潰しの効くスキルです。あらゆる業種において、営業は必要。営業マンは、商材の価値を見出し、その価値を伝え、メーカーが出す以上の値段で売って利益を生むんだから、営業ってすごいスキルなんですよ」

夢の実現のために「稼げる人間」に

今、世の中には「社会を変えたい」という思いを持った社会起業家に憧れる人は多い。宮治氏が目指すのも、まさに一次産業を変えたいという社会の変革である。では、そうした思いを実現するためには、何が必要なのだろうか。

株式会社みやじ豚 代表取締役/NPO法人農家のこせがれネットワーク 代表理事  宮治勇輔/みやじ・ゆうすけ

「まずは自分が得意で、飯を食える分野=稼げる分野を作ること。何も強みのない人に頼めることは少ないですが、何か能力があれば地域や社会に必要とされる人材になります。加えて、夢を実現するには、それが本当に自分のやりたいことなのか?ということ。今、経営環境はどの業界も厳しい。それでも続けていくには何が大事かと言うと、『自分の思い=情熱』なんです」

ビジネスの側面を持ったみやじ豚の営業マンとして、また自らの夢である一次産業の変革を推し進める農業プロデューサーとして活躍する宮治氏。そんな宮治氏は、今後どんな目標を目指すのか。

「ビジネスの部分で言うと、みやじ豚のビジネスモデルを真似してもらったりで、波及効果もありました。『農家のこせがれネットワーク』というNPOも立ち上げ、自分のノウハウを全国に広め、実家が農家の都心で働いている人にも、家業を継ぐのも良い転職だよと話しています。これからはこの輪をもっと広めたいですね」

そして、輪を広げて言った先には、一次産業を「かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業」にするという夢の実現がある。この夢を具現化するまでの青写真はどんなものなのか。

株式会社みやじ豚/農家のこせがれネットワーク 宮治勇輔氏

「最終的にはバトンタッチ。次の世代にいかに引き継ぐかです。これがファミリービジネスの最大の魅力だと思っていて、それを夢見てやっていくのが大事ですね。今は、僕のネットワークによるところが大きくて引き継げません。では、何が必要か。例えば、地元の方に贔屓にされるお肉屋さんを作ることです。みやじ豚を買いにくることができ、豚だけでなく、牛や鳥にお惣菜、それにパンなどもあって、ワンストップで買い物ができるお店があれば安心してバトンタッチできます。次の世代が、後を継ぎたいと思えるステージを残すことができるかどうか。これは農業界全体の課題ですので、何かしらの答えを出したいと考えています」

一次産業を変えたいという宮治氏の思いは、日本全国に波及し、宮治氏の背中を追うように農家を継ぐ若者も増加している。20代で養豚家へ転身した元営業マン。彼は今、農業を営業マンが活躍できる仕事にまで拡大しようとしている。

取材・文/questroom inc.、頓所直人 撮影/柴田ひろあき


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