キャリア Vol.645

「お前、明日から会社こなくていいよ」って言われたらどうする? 大手企業の看板を捨て、自分の足で稼ぐ28歳に学ぶ

高層ビル群が立ち並び、高級車が行き交う経済成長真っ只中の新興都市、フィリピン・マニラ。そこにはかつて同国にあった「貧困」「汚い」といったイメージはない。そんな急成長する国、フィリピンの不動産を売りまくる28歳がいる。

川北憲史、その人だ。日本最大の住宅メーカーで研鑽を積んだあと、不動産ベンチャーでさらに自らを鍛え上げ、現在はフィリピン不動産を扱う会社を営む。今は自らトップ営業マンとして全国を飛び回り、“足で稼ぐ”28歳だ。

彼は常に「個の力」とは何かと自問自答を続け、「埋もれずに生きていく」ことを課してきた。そんな川北さんに、自分の力を高めて、新時代を渡り歩くヒントを聞いた。

Globis

株式会社Enbition 川北憲史

1990年生まれ。高校時代は名門・東山高校のテニス部キャプテンとして部を率い、全国大会へと導いた。大学時代は、“人生ネタ作り”をモットーにヒッチハイクの旅や東南アジアのバックパッカーの旅を通して、多くの「人生の先輩・師匠」と出会う。卒業後は新卒で大手ハウスメーカーに入社し、戸建て住宅販売に勤しむ。3年間勤めた後、不動産ベンチャーにてリフォーム業や国内不動産販売、フィンテック事業など様々事業に従事し、“どんな商品でも売れる営業力”を身に付ける。2017年12月、株式会社Enbitionを設立し現職

全員揃いの黒スーツ。このままじゃ、社会で埋もれてしまう

ずらりと居並ぶ500人の新入社員。誰もが真っ黒なスーツを身にまとい、似た柄のネクタイを締めている。それは川北さんが大手企業の入社式で見た光景だ。

「皆が同じ人間に見えて、急に怖くなりました。ここで埋もれるのは絶対に嫌だって、直感的に思ったんです」

そんな新入社員だった川北さんは、子どもの頃から「どうせ行くなら、皆と違う道がいい」と考えるタイプだったという。その考え方をさらに強くしたのは、京都の名門・東山高校でのテニス部時代。テニスは高校から始めたが、全国大会に出場し、部をまとめるキャプテンにも抜擢された。

「僕のいた高校は、全国大会の常連校で、とにかくめちゃくちゃ厳しかったんです。でもそこで鍛えられたのはテニスのことよりも、人間力や人としての器を大きくすることでした。監督・コーチからは、『社会で埋もれる人間になるな、社会に出てから通用する人間力を身につけろ』と口を酸っぱくして言われていました。おかげで、人として大事なことは何なのか、高校時代に叩き込まれましたね」

川北

そこで就職活動では、どこでも活躍できる人になるために「人間力が試される仕事」をしようと考え、高額商品の営業職を志した川北さん。業界のリーディングカンパニーとしてブランド力の高い大手企業なら将来必ず役に立つと思い、門を叩いた。

大手企業で気付いた危機感
「明日から来なくていいよ」って言われたら何ができる?

実際に大手企業で働いてみると、川北さんの不安は募るばかりだった。

「入社して5年上、10年上の先輩たちを見ると、自分の未来の姿を見ているような気がしました。これから先、終身雇用や年功序列は崩壊しますし、国や企業が守ってくれる時代では無くなってきている。いつ会社の業績が傾いて路頭に迷うことになるかも分かりません。でも、未だに“公務員や大手企業にいれば安泰だ”という昔の考え方は色濃く残っているなと。世の中が変わっているという実感は皆あるはずなのに、企業という“箱庭”の中では、時間が止まっているような気がしました。将来を見据える上でこれはかなり危険だな、と思いましたね」

もし明日から大規模なリストラがはじまって、「お前、来月から来なくていいよ」と言われたらどうするのか。その時、守るべき家族がいたらどうする? それは決して、ただの妄想なんかじゃない。

「安泰な環境で何も考えずに、毎日を当たり前に過ごすことの方が、実はハイリスクなんじゃないかと。大企業を経験したからこそ、『自分でお金を稼ぐ力・増やす力・守る力を身に付けなければ、これからの時代は生き残れない』という危機感が強くなっていきました」

「どうしたら自分の力で稼げるか?」
フルコミ営業をしながら、毎月100人に会う中で問い続けた

川北さんは大手企業時代も、とにかく時間を見つけては外部の人と積極的に会うことを意識した。世の中で活躍している人や、影響力がある人に自ら会いに行き、さまざまな知見を得る中で「どの時代でも通用する個の力」とは何かを模索し続けた。

そしてたくさんの人と会う中で、「この人の下で働けば、もっと自分の力を磨ける」と感じた“人生の師匠”に出会い、3年間勤めた大手企業を辞める決断をした。

「辞めると決めたときは、周りにボロカス言われましたよ(笑)。転職なんてうまくいくわけない、こんな安定した大手を辞める必要がどこにあるのか、絶対後悔するぞ、と。ただ自分の中では腹が決まっていたので、誰に何を言われようが気持ちが揺らぐ事はなかったですね。特に親には反対されるのが目に見えてたので、辞めたことは事後報告でした(笑)」

川北

そんな川北さんの“人生の師匠”とは、大阪で不動産やリフォーム業を営む経営者。そこで最初に命じられたのは、なぜか不動産とは畑違いの、プロパンガスのフルコミッション営業だった。静岡を舞台に、1日300件近く一般家庭を訪問していく日々が続いた。

「既に開拓されているエリアへの飛び込み営業だったので、簡単に契約が取れる訳がありません。それでも毎朝バンに乗って担当エリアへ行って、地図を片手にひたすらピンポン。成約できなければ報酬はゼロです。この時は本当に極貧生活でした。水を買うお金も勿体無かったので、家の水道水をペットボトルに入れて持ち歩いたり、大型スーパーの試食コーナーで食事を済ませたりして(笑)

大手にいた時はそれなりの収入もあり何不自由なく生活できていたので、『何で俺がこんなことを』と思うことはもちろんありました。でも、このとき経験した辛さや鍛えられたフットワークが今でも生きてるんです。特に飛び込み営業は若いうちに経験しておいてよかったですし、今となっては極貧生活も良い思い出ですね」

自分の力だけで、どうにかしないといけない」というのは大手企業にいたら得られなかった感情だと、川北さんは笑い飛ばす。

川北

配属から3カ月経った頃には大阪に戻るよう辞令を受け、その後は無形商材を中心にさまざまなジャンルの営業を手掛けた。そして並行して、『1カ月100人と会う』という行動目標も継続していた。

「大手勤めという肩書きがなくなってからは、個の力をもっと身に付けたい、稼げるようになりたいという強迫観念のような危機感がありました。そんな中で、対人コミュニケーションは、どんな時代でも絶対必要なスキル。いろんな人と会うことで教養を身に付けていき、今ではどんな人とお会いしても、必ず何かしらの共通項を見出して関係性を深めることができると自信を持って言えます。それは、自分の足で稼いで、経験という名の引き出しをたくさん持つことの重要性に気付いたからだと思います」

甘えることなく自らを厳しい状況に追い込み、一貫して自身の人間力を強化してきた。それが今、最大の強みとなって川北さんの人生を輝かせている。

いつの時代だって「やるやつはやるし、やらないやつはやらない」

川北さんにとって「個の力」とは何か。改めて聞いてみると、答えはいたってシンプルだ。

「『個の力』とは、これからどんな世の中になっても自分の人生を舵取りできるような『考えて実行する力』だと思うんです。今、世の中は激変の時代でしょう。これまで10年かけて変わってきたことが、AIやIoT、ブロックチェーンなどの技術革新が出てきたことにより、たった1カ月で丸ごと変わってしまうことも多い。誰も想像できない世の中がどんどん進む中、思考停止してられません」

川北さん自身も、大手企業時代は「毎月25日に、給料が自動的に振り込まれることに何の疑いも持っていなかった」という。そこから、「もし明日会社がなくなったらどうしよう」と必死に考えて、今の自分をつくり上げてきた。

「個の力を鍛える中で、僕がたどり着いたのは、『自分には何ができるか』を常に考え続けることの大切さ。それは『自分の力で1万円を稼ぐにはどうすればいいのか』を考えてみれば、自ずと答えは見えてくるんです。例えば、英語が得意なら1時間1000円で英語を教えてみる。テニスがうまいなら、他人に教えてコーチング料を貰う。コミュニケーションが好きなら交流会を主催して、参加費を貰う。それらは紛れもなく、自分の能力を使って稼ぎ出したお金です。今すぐできる自分だけの力って、意外と簡単に見つかるものだと思います。ただ、大半の人が出来ない理由や言い訳を探してやらないだけ。だったら自分が少数派の“やる人間”に入ったほうがいいと思います」

川北

最後に、川北さんがなぜあえて“茨の道”で自分を鍛えあげてきたのか、聞いてみた。

「僕にはすごく好きな言葉があるんです。昔、矢沢永吉さんがテレビのインタビューで『今の若い人についてどう思いますか?』って聞かれたとき、『どんな時代だって、やるやつはやるし、やらないやつはやらない』って答えていて。ああ、世の中の本質っていつの時代でも一緒なんだな思いましたね」

どんな時代でも、やるか、やらないか。答えはシンプルだ。それでも「行動した人」だけが見られる景色は必ずある。川北さんのキャリアが、それを証明している。

取材・文/石川香苗子 撮影/赤松洋太


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