投資用不動産トップ営業が振り返る、20代で経験してよかったこと「成果の出し方は気合いと根性だけじゃない」
投資用ワンルームマンション売買を手掛けるアルプレイスで、営業部長として働く岩下大輔さんが不動産業界に飛び込んだのは22歳のとき。「当時は全く売れない営業マンでした」と笑うが、その後試行錯誤を重ね、入社3年目の25歳になる頃にはトップ営業マンの仲間入りを果たした。その後現在のアルプレイスに入社してからも、同じく投資用不動産のエース営業として実績を残し、現在は営業本部部長として活躍している。
そんな岩下さんのこれまでを振り返ってもらうと、開口一番に「将来のことなんて何も考えていなかった10代の頃から、よくここまできたもんだと思いますね」と笑った。
「高校を卒業した後の私は、就職せずにガソリンスタンドや運送会社でアルバイトをして、その日その日を楽しく過ごすことだけに集中していました。20歳になってそろそろちゃんとしないとなと思い、アパレルブランドの店員になったんです」
百貨店で1着10万円以上するスーツを売ることになった岩下さん。当時の経験が「ものを売る魅力にはまった」原体験となった。
「当時の店長が売上にすごく厳しい人だったので、自分なりに売り方を勉強し、工夫する努力をした結果、少しずつ私を信頼して買ってくださるお客さまが増えたんです。1年足らずで全国の販売ランキングに名前を連ねるところまでいくことができました。やればやるだけ成果が出て、お客さまにも喜んでもらえる。そんな“売る仕事”が楽しくて仕方なかったですね」
順風満帆なアパレル販売職のキャリアを経て、22歳になった岩下さんは「もっと稼ぎたい」という思いから満を持して不動産業界へと飛び込んだ。選んだのは、40~50代を顧客ターゲットにした投資用マンションの営業職。売ることには自信があったが、初めての営業職は困難の連続だった。
「毎日400〜500件も電話をかけて、アポイントが取れるのは2、3日に1回。それでもアポが取れればラッキーな方です。商談がない日が何日も続くと『どうせ暇なんだろ?』と言われ、雑用や役員の鞄持ち、運転手なんかもずいぶんやらされました。自尊心はだいぶ傷つきましたし、毎朝会社にいくのが苦痛で仕方ありませんでしたよ。先輩や同僚がどんどん成果を出している中、自分だけ全く売れないわけですから」
それからというもの、岩下さんは徹底的に自分の営業スタイルを見直した。結果として入社3年目で頭角を表し、4年目に入る頃には、10人で毎月6〜7戸のマンションを売上げ、2億円近い売上げを上げるチームをつくるまでに。
25歳で「土日祝休みで残業も少ない、働きやすい不動産会社を目指す」アルプレイスの立ち上げメンバーとして転職してからも営業として躍進し、36歳になった今では営業本部部長にまで登りつめた。
トップ営業マンが「20代で経験してよかった」3つのこと
1年目に全く売れなかった岩下さんが営業本部部長として活躍できているベースには、20代での試行錯誤がある。その中でも特に「やっておいてよかった」という3つの経験を教えてもらった。
1.「他の人がやらないこと」を考える癖をつけた
全く成果が出なかった岩下さんは、「多少無理をしてでも皆に追いつきたい」と焦っていた。そこで注目したのが「他の人がやらないこと」だ。
「同僚たちが休憩を取る昼休みにあえて重点的にテレアポをしたり、前職では休日に商談を入れたりするようにした結果、お客さまに『それなら都合が合うよ』と話を聞いてもらえることが増えました。正直いって最初はキツいと感じることもありましたが、結果的にそのおかげで成約率が上がった。それ以来、例えばものすごくきめ細かいフォローをするなど、『他の人ならそこまでやらないだろう』という行動を心掛けるようになりました。そうするうちに『岩下さんから買いたい』と言ってもらえることも増え、自信が持てるようになった。このときの経験がなければ、僕は自分に自信のない、売れない営業マンのままだったと思います」
2.「自分自身を売る仕事」という営業の基本を体感した
入社当初は売れている先輩たちの営業スタイルをマネしていたという岩下さん。ところが、いくらマネしても相変わらず営業成績は振るわない。それならばと思い切って営業スタイルをイチから見直してたことが、売れるきっかけにつながった。
「服装や話し方、提案の仕方をイチから見直して、お客さまと自然体で接するようにしたら、今まで停滞していたのがウソのように営業成績が向上していったんです。今思えば、先輩のマネをしていた頃は、ちょっとイカつい髪形に変えてみたり、契約を急かすようなセリフを言ってみたり、キャラに合わないことを無理してやっていたんですよね。
この経験があったからこそ、アパレル店員だったときにも意識していた『売るのは商品ではなくて自分自身』という営業の基本に従う大切さが身をもって分かりました。これは今でも大切にしている信念の一つで、部下にもよく話しています」
3.成果の出し方は「気合と根性」だけじゃないことを知った
前職は「成果が出るまで気合いと根性で働き続けろ」という社風で、多くの困難を根性で乗り越えてきた。しかし25歳で転職したことで、成果の出し方にはいろいろなアプローチがあることを学んだという。
「週に2日しっかり休むようになっても、営業成績は落ちるどころか、かえって向上したんですよ。高い山には複数の登山ルートがあるように、急な斜面を無理して登るだけでなく、なだらかな斜面を選んでも成果は出せる。そのことに20代で気づけたのは大きな収穫でした。疲れた体にムチ打って働き続けても長続きしませんし、長い目で見ればパフォーマンスもモチベーションも落ちていく。もしも気合と根性で成果を出すやり方しか知らなかったら、今頃は心身ともにすごくつらかっただろうなと思います」
「もっと稼いでいい暮らしがしたい」動機付けはシンプルなものだっていいはず
「20代はがむしゃらに働いた」という岩下さん。売れるための試行錯誤を繰り返すことができたモチベーションは、「目の前の大きな壁を乗り越えれば、今よりもいい暮らしができる」という思いだ。
「10代の頃の私が典型ですが、人は適度なプレッシャーや使命感がなければ、ついつい怠惰に過ごしてしまいがち。私の場合は結婚が早かったこともあって、『家族を幸せにするために稼ぐ』という思いがあったから、成果を出すための努力ができたんだと思います。もしもそういった使命感がなかったら、今でも遊びほうけていたんじゃないかな(笑)」
では、仕事への情熱をかき立てる何かがない場合はどうしたらいいのか。そんな問いに「まずはシンプルに稼ぐことを目標してみては?」と岩下さんはアドバイスを送る。
「最近はお金に重きを置かない若い人も増えていますし、もちろんお金が全てではありません。ですが、もしも仕事を頑張る理由がはっきりしないのであれば、『稼いでいい暮らしがしたい』という、シンプルな動機付けだって悪くないはず。そうやって頑張った先に、もっと成長したいとか、こういう風になりたいっていう人生の目標が生まれてくるものなんだと思いますよ」
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/赤松洋太 編集/大室倫子(編集部)
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