キャリア Vol.183

「小手先のテクニックで得た実績はいらない」プロフリーダイバーはなぜ10年かけて115m潜ったのか【スポプロ勝利の哲学】

スポーツもビジネスも、勝ち続けるのは困難だ
ビジネスパーソンは、常に目標をクリアしていかなければならない。毎日厳しい仕事に立ち向かうその姿は、1試合の勝利のために練習を重ね、努力し続けるアスリートのよう。ビジネスの世界に通ずる「勝利の哲学」をさまざまなスポーツのプロフェッショナルたちに学ぶ!

プロフリーダイバー
篠宮龍三/しのみや・りゅうぞう

1976年生まれ。伝説のダイバーであるジャック・マイヨールをモデルにした映画『グラン・ブルー』に魅せられ、大学2年から競技を開始。2004年、5年間の会社員生活に終止符を打ち、日本人初のプロ選手に。呼吸を止め、フィンをつけて自身の泳力だけで垂直に何メートル潜れるかを競う、コンスタントウィズフィン種目で10年4月、バハマにて水深115mの現アジア記録を達成。現在も日本を代表するトップダイバーとして第一線で活躍している

記録よりもそこまでのプロセスに価値がある

空気タンクを用いず、ひと息でどれだけ深く潜れるかを競う。まさに人間の肉体の限界に挑戦するようなスポーツがある。それが、フリーダイビングだ。現在、このフリーダイビングで国内唯一のプロ選手として世界を転戦しているアスリートがいる。彼の名は、篠宮龍三。アジア記録である115mを持つトップダイバーだ。水深110m以上の世界を知る者は、世界でもわずか7人しかいない。その1人として篠宮氏は海に挑み続けている。

「最初は20m潜るのがやっと。そこからトレーニングを積み重ね、いくつもの大会への挑戦を経て、115mという記録にたどり着いたんです。数字だけを見てすごいと思われるかもしれませんが、僕にとっては、その記録までの長く厳しいプロセスそのものに価値があります」

フリーダイビングの世界に、ブラックアウトという言葉がある。死の恐怖に襲われ、パニックに陥る。その結果、脳が酸素を大量に消費し、意識を失うことを差す。プロに転向してしばらく篠宮氏は大会のたびにこのブラックアウトを繰り返した。

「今思えば、原因は心の甘さでした。海中には水深10mごとに神様がいるんです。『勝ちたい』という気持ちが先行して、実力以上のハードルをクリアしようとすると、その神様が『リスペクトをしていけ』と引き止めるんです」

若き日の篠宮氏は、偉大なる海への敬意を忘れ、ただ栄光を掴むことに躍起になっていた。自らの実力以上の記録を求めた代償が、ブラックアウトだったのだ。

「一度ブラックアウトを経験すると、また次の大会でもやってしまうんじゃないかと負の連鎖に陥ってしまう。失敗したくない気持ちばかりが急いて、またブラックアウトを起こしてしまうんです」

時期を同じくして、篠宮氏は大切なダイバー仲間を海で失った。まさにどん底だった。いつか自分も海にのまれてしまうのではないか。死と隣り合わせの競技に身を置く者にしか分からない恐怖が、彼を苦しめた。

パブリックなモチベーションが新しい力を与える

スランプに陥った篠宮氏がもがきながら行き着いたのは、禅の世界だった。彼が競技を始めるきっかけとなった偉大なるパイオニア、ジャック・マイヨールはかつて禅の世界に傾倒していた。篠宮氏もマイヨールの境地を追うように、禅に関する本を読みあさった。そこで、出会ったのが「因果一如」という言葉だ。原因と結果は一つであるという意味のこの言葉が、篠宮氏を苦悩から解き放った。

「それまで僕はずっと『こんなに練習したんだから結果につながるはず』と考えていた。でもこの言葉を聞いてから結果に期待することをやめたんです。練習は練習でベストを尽くして、それで終わり。試合は試合でベストを尽くして、それで終わり。あれだけ頑張ったから報われたとか、あれだけ頑張ったのに報われないとか思うのをやめたら、その瞬間瞬間を楽しめるようになって、自然と勝てるようになったんです」

長い低迷期を脱した篠宮氏は、順調に記録を伸ばし始める。2008年、バハマでアジア人初となる水深100mを達成し、翌年12月には、憧れのマイヨールの記録を超える107mに到達した。死の恐怖や肉体の限界を乗り越え、海に潜り続ける篠宮氏。そのモチベーションの秘密を聞くと、不屈のダイバーは自らのキャリアになぞらえながら、「モチベーションにはいろんな種類がある」と説いた。

「例えば会社に入った頃はとにかく失敗したくない怒られたくないという気持ちが大きかった。つまり、ネガティブなモチベーションです。そこから仕事が分かってくると、いろんなことに積極的になれるし楽しくなっていった。それが、ポジティブなモチベーションです」

競技においても同様だ。どんどん自分がレベルアップしているのを実感することで結果もついてきた。だが、そこからもう一段上のステージに上がるには、別のモチベーションが必要となる。

「それがパブリックなモチベーション。会社や業界、家族や大切な人など自分以外の何かのために何ができるか考える。この3つを僕はモチベーションの三段活用と呼んでいるんです」

そもそもプロに転向したとき、篠宮氏には3つの大きな目標があった。アジア人初の100mを突破すること、アジア初となる世界選手権を沖縄に誘致すること、そして世界一になることだ。一つ目の目標を達成した篠宮氏は、競技の普及のため、二つ目に目を向け始めた。それが形になったのが、10年7月に開かれた沖縄での世界選手権だった。オーガナイザーを務めた篠宮氏自身も同大会で日本男子チームのキャプテンを務め、銀メダルを獲得。女子は金メダルに輝いた。

「自分の記録のためだけに走っていても燃料はやがて尽きる。背負うものを知り、誰かのために立ち上がることで人は新しいエネルギーを心のタンクに注ぎ込むことができるんだと思います」

小さな勝利を手に入れろ

「僕の好きな言葉に、“easy win first”って言葉があるんです」

大きな成功を手に入れることに必死だった若き日を振り返り、篠宮氏はそう語り始める。

「まずは小さな勝利を手に入れろって意味です。最初からデカい魚を狙いに行ってもダメ。大事なのは、小さい勝利を積み上げて自分なりの成功の方程式を確立すること。そうすれば、もっと大きな結果が欲しくなったときにも、そのロジックをスケールアップして活用できるようになりますから」

それは、大きな結果を出している同期と、自らを比べて焦っている若いビジネスパーソンこそ、胸に刻んでおきたい言葉ではないだろうか。

「僕らの世界にも、ちょっとやるだけで日本記録を出せたり代表になれる人はいます。だけど、そういう人ほどすぐに負けて辞めていく。一生懸命、一つ一つ築き上げてきた方程式がないから、簡単に心が折れてしまうんです。小手先のテクニックや要領の良さで出した結果に執着する必要はない。自分のペースで地道にやっている人の方が残りますよ。皆さんにも自分という人間そのもので、勝負して勝ちに行くような本物を目指してほしいと思います」

10年間という長い時間をかけ、115mの世界に辿り着いた篠宮氏だからこそ分かる1m1mの重み。次々と目標を有言実行してきた男には最後にまだ残された夢がある。それは世界一になること。死の恐怖と向き合いながら、篠宮氏が潜り続けている理由は、そこにある。

「プロである以上、1mでも伸ばして世界記録に近づくことが目標。もうすぐ40歳になりますが、まだやりきっていないという想いがあるから競技を続けているんです。それに、たとえ現役を引退しても後進の育成という道がある。立場が変わったとしても世界一を目指す気持ちはずっと変わりません」

壮大な目標を目指し、一段ずつステップを踏んでゆく。その一歩の大切さを、世界と戦う篠宮氏の背中が教えてくれた。

取材・文/横川良明 撮影/柴田ひろあき


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