「トップを目指す理由が多いほど、レースは楽になる」五輪表彰台を目指すトライアスリートが1年半の回り道で気付いたこと【スポプロ勝利の哲学】
若さゆえの“暴走”により、逃した日本代表の座
2016年8月、リオデジャネイロ五輪が開催となる。アスリートなら誰もが憧れる夢舞台に向け、トライアスロン選手の細田雄一も日々厳しいトレーニングに励んでいる。前回出場したロンドン五輪では43位。「一時は引退も考えた」としながら、なぜ細田は再びオリンピックへの道を歩むことに決めたのか。
「ロンドンは出場することが目的でした。出場できたことに満足してしまい、レースが始まる前にはすでに勝ちたいという気持ちが消えていたんです。だけど、周りは違った。僕が43位で帰国したら、いろんな人がガッカリした顔をしていました。そこで自分がどれだけたくさんの人から期待されていたかに改めて気付いたんです。だから、今度は期待に応えたい。メダルが獲りたいんです。そのためにもう一度、オリンピックを目指すことを決めました」
スイム(水泳)、バイク(自転車ロードレース)、ラン(長距離走)の3種目を連続して行う耐久競技。それが、トライアスロン。鉄人レースとも称されるこの過酷な競技で細田は長年第一線で活躍し続けている。
しかし、そんな細田にも、かつて大きなスランプがあった。2005年冬、21歳のときだった。
中学時代からオーストラリアに留学し、地元のトライアスロンクラブでトレーニングを積んできた細田は17歳で帰国。めきめきと頭角を現し、05年にはジャパンカップランキングで1位に輝いた。自らの能力を過信した細田は、それまで師事を仰いでいた山根英紀コーチのもとを飛び出し、大阪を拠点に『チーム・レジェンド』を結成した。
「当時はカッコいいことを言ってましたけど、結局は好き勝手やりたかっただけなんだと思います」と細田は述懐する。
しかし、自由を求めて行き着いた理想郷は、張りぼての楽園に過ぎなかった。翌年、細田はヒザの痛みに襲われ、低迷。前年3位だった日本選手権は、33位にまで落ち込んだ。
「それまで大きな怪我をしたことがなかったから、ケアの仕方もまるで分かっていませんでした。今でこそ笑えますが、痛む膝を叩いたりつねったりしながらトレーニングをしていたくらいですから(笑)。本当に幼稚で、意味のないことばかりを繰り返していましたね」
そんな生活が1年半続いた。成績が下がれば、スポンサーも潮が引くように離れる。自分たちが間違っている自覚はあった。けれど、飛び出してきた意地もある。何とか自力で結果を出して、正しさを証明したかった。試行錯誤の日々の末に待っていたのは、北京五輪の代表落選。細田は失意のどん底に叩き落とされた。
どん底を経て芽生えたトップトライアスリートとしての覚悟
再び頂点へ這い上がるべく、細田は山根コーチのもとへ戻る決意をした。後足で砂をかけるように飛び出したかつてのクラブチーム。罵声も覚悟の上だった細田を、山根コーチは叱責ひとつせず迎え入れた。ただひとつ、提示された条件は「1年間、俺の指示に全て従うこと」。そこから細田の生活は一変した。
「朝5時半に起きてトレーニング。そこから午後には練習を切り上げ、自転車屋でアルバイト。19時に帰宅し、21時に就寝。そんな規則正しい生活を1年間続けました。10代の頃は無茶ばかりで、もっと不規則な生活をしていました。でも、こうして生活をコントロールすることで、自分の中で何かが整っていく感覚があったんです」
細田は、それを「覚悟」だと言い表す。それまでもトライアスリートとしての覚悟は漠然と持っていたつもりだった。けれど、その1年で培ったのは、「トップトライアスリートとしての覚悟」だ。トップ選手として結果を出し続けるために生活を改善し、練習メニューも質と量のバランスを追求するようになった。
「最悪だった1年半の期間が教えてくれたことはいっぱいあります。一つ目はトライアスロンが人生の全てだと思わないことです」
それまでトライアスロンは、細田の人生の全てだった。だからこそ何でも自分がやらなければと決め込んでいた。だが、決してそうではない。自分の代わりはいくらでもいるし、休むことも重要だ。そう思うようになってから、心身ともに楽になったという。
「二つ目は、人のアドバイスを聞くことです。実際に取り入れるかは聞いてから決めればいい。でもまずは耳を傾けることが大事なんです」
どんな会社にも、必ずトップセールスはいる。「トップになりたければ、まずはその人の話を聞いてみればいい」と細田はアドバイスする。ただし、一方的な「教えてくれ」の姿勢では、認めてもらえない。トップと対等に話をするためには、「どんなことでもいい、相手にとって有益な情報を提供できるだけの強みをつくることが大事」と付け加える。
なぜトップになりたいのか目的を明確にする
「三つ目は、支えてくれる周りのありがたさですね」
自分1人の力で頂点には立てない。それはアスリートの世界もビジネスの世界も同じだ。落ち込んだときに「大丈夫」と励ましてくれる仲間。厳しくも的確なアドバイスをくれる先輩。疲労の蓄積した身体をケアしてくれるトレーナーたち。そして、愛する家族。全てが、今の細田を支えている。
「トップになるというのは、あくまで目標でしかないんです。なぜトップになりたいのか。トップになって何がしたいのか。目的が明確になっていれば、モチベーションが尽きることはないと思うんです。家族の生活のため、自分の夢のため、トライアスロンの普及のため。僕には、トップになりたい理由がたくさんあります。その数が多ければ多いほど、たとえ困難な状況に陥っても、苦しみを相殺できるんじゃないでしょうか」
細田は今年、自ら最も重要と位置付けた世界シリーズのリオ大会とシカゴ大会で満足な結果を出せなかった。「狙ったレースで成績を挙げられなかったのは数年ぶり」と唇を噛みしめるが、決して悲観的にはなっていない。なぜなら、全てはリオへのステップだからだ。
「僕の目標はオリンピックでメダルを獲ることです。僕がオリンピックでメダルを獲るなんて、今は僕以外誰も信じていないでしょう。僕だって焦るし、自信が揺らぐことはあります。でも、その自信を確かなものにするのも、自分です。結果を出すために何から取り組めばいいのかを、このシーズンオフにしっかり考えていきたいと思います」
勝利への最短ルートなどない。栄光を掴むには、あらゆるピンチや失敗から学び、自分を信じて前へと突き進んでいくだけだ。それはまるでトライアスロンのように、長く厳しいレースとなるのだろう。だが、その道のりが自分だけのビクトリーロードとなるのだ。
取材・文/横川良明 撮影/柴田ひろあき
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