「楽できそう」で転職を決めた25歳はなぜ「やりたいこと」を見つけられたのか
仕事にやりがいを感じたいと思いながらも、そもそも「自分は何をしたいのか?」がよく分からないという20代は多い。
今回登場する株式会社BuzzSoluの荒川将輝さんも、学生の頃から「やりたいことが分からない」若者のうちの一人だった。
しかし営業代行や飲食コンサルティング、Webサービス開発など幅広い事業を展開する同社において、荒川さんは求められることに対して率直に応えていった。3年間働き、25歳という若さで営業部長に就任した現在は、心の底から「やりたい」と思える目標に出会うことができたという。
荒川さんが「やりたいこと」を見つけられたのはなぜなのか? その過程について話を聞いた。
「なるべく楽がしたい」から、自分に向いていそうな営業職への転職を決意
専門学校を卒業後、バーへの就職を決めた荒川さん。当時は「これをやりたい!」という強い思いはなく、「バーテンダーってなんとなくかっこいい」という漠然としたイメージで仕事を選んだという。
「高校時代にラーメン屋やコンビニでアルバイトをしていて、接客には自信があったんです。だからお客さんと話が出来て、さらに専門知識が身に付くようなところで働きたいと思って。ワインを専門に扱うバーに、正社員として就職しました。1年間お世話になって、ワインにも詳しくなれましたし、リピーターをつくるための接客術も学ぶことができました」
しかしバーテンダーの仕事は、深夜まで働き、常に立ち仕事。当時は休みも少なく、年齢が上がれば体力的にキツくなることが予想された。荒川さんは次第に転職を考えるように。
「そもそも僕は向上心が強い人間ではなかったので、『意地でもここで頑張るぞ!』という思いはなくて、なるべく楽をしたかったんです(笑)」
そんなときに、BuzzSoluの役員と出会い、同社の飲食コンサルティング事業に店舗スタッフとして入社しないかと誘われた。環境を変えたかった荒川さんはすぐに転職を決意したというが、職種は営業を希望したという。
「僕は人とコミュニケーションを取るのが苦ではないので、周りの人から『営業が得意そうだよね』とよく言われていました。だから『営業になったら、もっと自分を生かせて楽になるんじゃないか』と思い、希望を出したんです」
荒川さんは自ら手を上げて、高い営業スキルが求められるが給与の高い、訪問営業を担当することに。得意そうな営業であれば、比較的楽に給与を上げられるのでは、と考えたのだという。しかし初めてのクライアント対応には悩むことも多く、始めの頃は神経をすり減らしながら働いていた。
「正直、何度も辞めたいと思いました。でも上司である代表に相談しているうちに『もう少し頑張ってみようかな』と考えるようになって。何でも相談できましたし、信頼できる人でしたから。向上心がなかった当時の僕が仕事を続けられたのは、トップの人徳だと思っています」
楽にはなってないけど、期待に応えたくなってしまった
訪問営業を半年ほど経験した頃、BuzzSoluはウォーターサーバーの販売代行事業を立ち上げ、荒川さんもその仕事に携わるようになった。ここから彼の才能が開花し、快進撃が始まる。持ち前のコミュニケーション力を生かして、次々と契約を獲得。2カ月目には全国の代行営業者の販売ランキングで2位にまで上りつめた。
「営業トークのテンプレートがメーカーから送られてくるので、初月は忠実にそのトークをマネするようにしていました。そうするとある程度は売れるけど、そのうち限界が見えてくるんです。2か月目に入ってテンプレを完コピできるようになったら、優秀な成績を上げている人の行動をマネしながら、自分なりのトークにアレンジするようになりました。
これって当たり前のことに思えますが、意外とできていない人も多いんですよ。かなり売れたので、この頃から仕事がとても楽しくなりましたね」
3カ月目には事業部のリーダーを任されるようになり、それから1年経った今では営業部全体を見る部長職として活躍するようになった。
転職を決めたのは「楽をしたいから」という理由だったが、当初は営業の仕事に苦戦し、今では責任重大なポジションを任せられるようになった荒川さん。しかし「まったく楽にはなっていないんですけど、求められたらその期待に応えたくなってしまうんですよね」と笑って話してくれた。
今の目標は、“後輩の夢を叶える部署”をつくること
結局、現在も多忙な生活が続いているというが、そのモチベーションには過去の経験が影響している。
「僕が新人の頃は、営業の仕事を教えてくれる先輩がほとんどいなくて、会社がバックアップしてくれるような体制が全く整っていなかった。一人一人の負担が重く、とても大変だったので、後輩には同じ思いをしてほしくないんです。それならどうすればいいのか。自分がこの会社を良くすればいいんだと気付いたんです」
バーテンダー時代と現在では、価値観がだいぶ違ってきたそうだ。
「バーテンダーの時は楽したいとか休みたいとか、自分自身の幸せを優先していたんですけど、今は自分のメンバーのために働いています。『頑張っている荒川さんのために働きたい』といってくれる部下もいるので、これまで自分なりに任されてきたことに対して、真正面から向き合ったことに意味はあったのかなと感じています」
こうして荒川さんの目標は、自然と一緒に働く仲間たちに関するものとなっていった。
「営業部は将来の投資をするためのお金を稼ぐ事業部。でも頑張って稼いだお金がすべて他事業の投資に回されるのでは、営業部の人たちが気の毒です。昔の僕と違って、メンバーには夢を持っている人が多い。たとえば『いつかは自分のお店を持ちたい』とか『稼いで家族を楽にしてあげたい』とか。
だから営業部で出した利益のうち、一定額は営業部でプールできるようにする制度を立ち上げました。まずはそのプール金で、ある社員の夢であるバーをつくろうと考えています。稼ぎたいという夢がある人にはそこの店舗運営を任せて売上をつくってもらうようにするなど、さまざまな夢を応援していけるようになりたくって。僕は営業部を“自分が頑張れば、誰かの夢が叶う部”にしたいんですよ」
周囲からの「営業が向いているんじゃないか?」という評価で自分の進路を決めたかつての荒川さん。「これをやりたい!」という自らの強い意思ではなかったものの、その環境において最大限の努力を行った。結果的にその努力が、自分の新たな目標を見つけることへとつながったのだ。
「自分の環境って、誰も変えてくれないんですよ。僕があのとき嫌々仕事をしていたら、未だに置かれた場所に対して愚痴っているだけのダメ人間だったかもしれない。でも目の前のことに一生懸命になっていたら、働く環境も自分の意識も変えることができました。今はメンバーにも、『自分で環境を変えられるような人間になろう』と伝えています」
最初から明確な目標を持っていなくてもいい。置かれた場所で経験を積み重ねるうちに、荒川さんのように「やりたいこと」が分かってくるケースも多い。まずは自分の目の前にある仕事に向き合うことが、まだ見ぬ目標に続く道への第一歩となることもあるのだ。
取材・文/キャベトンコ 撮影/赤松洋太
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