入社3年目で花形部門からの異動を志願! ログハウスブランド『BESS』最年少リーダーの転機「道筋は自分で決める方が頑張れる」
仕事を覚えるだけで精一杯だった時期を乗り越えると、新人時代のつらさがウソのように仕事がラクに回せるようになる。本来ならさらに大きな仕事に挑戦しようと意欲を燃やすべきだが、なかには「仕事がラクな状態」という甘い誘惑に負け、成長が停滞してしまう人もいるだろう。
そんな20’sに紹介したいのが、今多くのアウトドア専門誌などで特集が組まれる人気沸騰中のログハウスブランド『BESS』 開発リーダーの平峻一郎さんだ。
平さんは、『BESS』を手掛ける株式会社アールシーコアの商品企画部門へ新卒で入社。花形の部門で人気商品の設計を任されるなど順調にキャリアを重ねていた。だが3年目の時、自らの意志で「現場に異動したい」と願い出る。設計者から、現場への転身は同社では異例のことだ。
入社8年目の現在は「一番年が近い人でも、10歳年上」というベテラン揃いの商品開発部門に戻り、最年少でリーダーに抜擢された。25歳の彼はなぜ、現状に満足することなく、自らの意志で成長を加速させられたのだろうか?
「暮らしの手間暇を楽しめる人が選ぶ家」を作りたい
大学では、景観の保存や町おこしの研究に取り組んでいた平さん。就職活動のときは、経済合理性と機能性に重点を置くイメージが強いハウスメーカーは、理想の就職先とは思えなかった。古きよき建物や町並みを愛している自分には合わないだろうと感じていたからだ。
「機能性だけを追い求める家作りに携わるなら、インテリアデザインなど『日々の暮らしを楽しむ』ことをサポートする方が、自分の気持ちに正直でいられると思っていました。だから、ハウスメーカーに就職するつもりはなかったんです」
そんな平さんの気持ちを動かしたのは、合同会社説明会で目にした「家は、道具」という目を惹くキャッチコピーだったという。
「道具を長く使い続けるには、日々の手入れが欠かせません。『手間をかければかけるほど、手に馴染んで手放したくなくなるのは道具も家も同じ』という価値観は、景観や町並みの保存を研究していた私にとってとても共感できるものでした」
このキャッチコピーを謳っていた企業こそ、『BESS』を手掛けるアールシーコアだった。
「『BESS』は、暮らしの手間暇を楽しめる人が選ぶ家です。当然、住む人の強い思いがこめられているし、それは世代を超えて受け継がれていく。アールシーコアなら『息の長い家作り』に関われそうだと考えて、入社を決めました」
「確かな手応えがないまま設計を続けたくない」
現場監督への転身を決意
望み通り入社を果たした平さんが最初に配属されたのは、ハウスメーカーのなかでも人気の高い商品企画部門だった。ここで平さんは、3年にわたりコンセプトやデザインイメージを実際の商品規格に落とし込む設計業務に携わることになる。
「壁一面を本棚にできる『ハシゴde本棚』など、前例のない商品の設計を任せてもらっていましたから、仕事に不満はありませんでした。むしろとても大きなやりがいを感じながら日々の業務に取り組んでいたと思います」
しかし入社3年目のある日、平さんは上司に異動願いを申し出た。設計にやりがいを感じているからこその決断だったという。
「お客さまと接する機会が乏しく、自分が設計したものがどのように施工されているのかよく知らないまま設計士としてキャリアを積むことに不安を感じるようになったからです。家作りの見聞を広めたい。そんな思いで異動願いを出しました」
「確かな手応えがないまま設計を続けたくない」と思った平さんは、入社4年目に施工管理部門に異動。設計者から現場監督への転身は同社では異例のことだ。
「いずれ商品企画に戻り、現場で得たものを設計に生かしたいという気持ちはありましたが、戻れるという保証はない。それでも長い目で見れば、必ず自分にとって良い経験になると思えたから、不安はありませんでしたね。たしかに勇気はいりましたが、『エイヤ!』という感じで上司に言ってしまえば、後はやるしかないなと思えました」
現場に出て初めて分かった、家をつくる責任の重さ
平さんの予想通り、設計者から現場監督へ転身したことで得られた発見は多かった。
「以前自分が設計した『ハシゴde本棚』の施工を担当した大工さんが『こんな分かりづらい設計図、誰が描いたんだ!』と愚痴るのを耳にして、肝を冷やしたこともありました。施工のしやすさを考えず設計したことを見透かされたようで、とても恥ずかしかったのを覚えています」
しかし、効率を追求するあまり、見た目の美しさや安全性をないがしろにしてしまっては、顧客の期待には応えられない。現場に入ってみて初めて、そのバランスを取る難しさを痛感したと平さんはいう。
「他に、図面に間違いがあっても大工さんは持ち前の技量でなんとか現場で収めてしまうため、図面の間違いがなかなか訂正されないという問題にも気付けました。現場経験があったからこそ分かったことはいくつもあって、こうした一つ一つの経験が私にとっては大きな収穫になりました」
もちろん顧客と直接接するようになったことで得た学びもある。
「会社経営から引退されたお客さまを担当したときのことです。現役時代から、将来ログハウスに住むことを目標に頑張ってこられ、いよいよその夢が実現する段階になって、突然オーナーがお亡くなりになったことがありました。とても親しく接してくださるお客さまだったこともあり、訃報をうかがったときの悲しさや悔しさは今も忘れることができません」
平さんは、このとき「ハウスメーカーが提供する家は、施主の思いが詰まったかけがえのない存在である」ことを痛感したとともに、自身の責任の重さも改めて感じたという。
自分の頭で「成長の筋道」を立てよう
異動から丸2年。会社側の人事を受け、当初の希望通り商品企画部門に戻ることになった平さんは、現在複数ある商品ラインナップのコンセプトづくりや設計に携わりながら、ベテランの設計メンバー9人を束ねるリーダーを務めている。同社史上もっとも若いリーダーだ。
「商品開発部門に戻って3年が経ちましたが、リーダーになってまだ3カ月。メンバー全員が、私よりも経験豊富な設計のエキスパートなので、ゼネラリスト志向の私が皆さんの信頼を得るのはこれからの頑張り次第。マネジメントやファシリテーション技術を高めながら、部署一丸となって商品開発に取り組める体制をつくっていければと思っています」
平さんは現在30歳。設計者としてのキャリアを中断してまで、施工部門へ異動した25歳の時の決断をどう思っているのだろうか。
「『BESS』は個性的な外観を持つ家を数多く手掛けているので、家としての基本性能はほどほどだと思われがち。でも実際には安全性や耐久性、暮らしやすさついて徹底した研究を行っています。その点を強調しないのは、暮らしの豊かさに焦点を当てるのがBESS流のやり方だから。
私は商品開発と施工現場の両方を経験したことで、BESSが大切にしているソフトとハード両面からの家の在り方を考える機会が得られ、顧客理解も深まったんです。その結果、見た目の美しさ、安全性、作業効率などさまざまな観点を持って家作りができるようになりました。だからこそ今は、あのタイミングで決断してよかったと思っています」
平さんは今でも、チャンスがあれば営業部門やメンテナンス部門を経験してみたいと思うことがあるという。
「あらゆる利害関係にある人の気持ちや立場を理解することで、かえって決断しづらくなる場面もあるかもしれません。それでも豊かな知識と幅広い経験があって初めて最適解が導けると信じている。だからこれからも好奇心を失わず、いろいろなことに挑戦し続けるつもりです」
学習欲と成長欲が強い平さんだが、自らの能力を高めるためにもう一つ大切にしていることがあるという。それは自らの意思でキャリアを選択することだ。
「人に言われてやる経験よりも、自分の意思で掴み取った経験の方が身になりますしがむしゃらに頑張れます。ですから与えられた仕事だけに満足せず、自分の頭で考え、自分の成長の筋道を立てることを大事にしていますね。技術部門でより一層責任ある立場を任せてもらえるよう努力を続けて、後輩たちのロールモデルになれたらうれしいと思っています」
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/赤松洋太
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