20代で人生に行き詰った男が大海原に出た理由「田舎と船が好き。だったら漁師になればいい」
「なんかもう、行き詰まっていたんですよね。そんな時に思ったんです。漁師になろうって」
石川県で漁師として日々沖に出て魚を獲る河村洋平さん。彼の20代は“迷走の期間”だった。
大学の商学部を卒業後、税理士を目指して会計事務所に就職したが、事務仕事が性に合わず1年で挫折。公務員試験に目標を切り替えて2年間勉強をするも、再び挫折し、今度は飲食店に就職。4年間働いたが、ハードな働き方にまたまた挫折した。
そうしてたどり着いたのが、漁師だったという。東京で生まれ育ち、大学を出て、同級生と同じような道を歩もうとしていた彼は、なぜ急に漁師を志したのか。
魚を獲って、市場に出荷するのが基本の仕事。魚を獲る手法はマグロの一本釣りから、遠洋漁業、底引き漁などさまざまで、漁のスケジュールや働き方も漁法や船によって大きく異なる。
河村さんの場合は定置網漁で、漁期は毎年4月中旬から11月まで。12〜1月で2カ月の休漁を挟み、1月下旬〜3月にかけて網のメンテナンスや設置作業など、漁の準備を行うのがおおよその年間スケジュール。
収入も漁法や船によって大きく変わる。河村さんが乗っている船の場合、休漁期間中を含めて常に支払われる基本給のほか、漁期中の手当や漁獲量に応じた歩合が付く。定置網漁は漁獲量が比較的安定しているため、生活に困ることはまずないそう。なお、第1次産業である漁師の仕事は労働基準法の適用外。残業代などの手当はない。
憧れだった「田舎」と「船」。だったら漁師になればいい
漁師とは全く縁のない人生を歩んでいた河村さんが今の仕事にたどり着いたのは、当時勤めていた飲食店を辞めた30歳の頃だった。
「明け方までお店に立って、その後のランチ営業にも出るような、かなりハードな働き方をしていたんです。仕事自体は嫌いじゃなかったけど、体が持たないし、先も見えない。ある日体力的に限界を感じて、辞めて実家に戻りました」
河村さんは当時のことを「完全に行き詰まっていた」と振り返る。同じ30歳の友人は、結婚したり昇進したりと身を固めつつある。そんな中、何もない自分に対して肩身の狭さを感じていた。
この先、自分はどうしたらいいのか。そう考える中で立ち返ったのが、昔から漠然と抱いていた、「船」と「田舎」という2つの憧れだ。
「昔から船に乗りたかったんですよ。あとは、東京の暮らしがあまり好きじゃなくて、将来的に田舎に住みたいとも思っていて。両親の実家が石川県なんですけど、子どもの頃、毎年夏休みに遊びにいったのが楽しかったんです」
そこから漁師という職業に至ったのは、彼の中では自然なことだったという。
「昔から漁師のドキュメンタリー番組をよく見ていました。田舎に住みたいけど、とはいえ田舎で会社員やるのも違う気がして。それなら『田舎で船に乗って漁師をやればいい』とつながっていったんですよね。一大決心したわけでなく、漁師になるって選択がストンと腹に落ちた感じでした」
漁師の仕事についてネットで調べ、全国の漁師が集まる『漁業就業支援フェア』にも足を運んだ。馴染みのある石川県で日帰りの漁法をとっている船を探し、見つけたのが現在乗っている船だ。
「漁師になることに対して、両親は『やりたいようにやればいいんじゃない?』って感じでしたね。変な話、僕が落ちるところまで落ちていたので諦めていたんだと思います(笑)」
反応が大きかったのは、むしろ友人だったという。「みんなのリアクションの大きさに、逆に僕がびっくりした」と河村さん。友人は大手企業に勤めていたり、資格を活かして仕事をしたりしている人がほとんど。そんな中、周囲とは大きく外れる選択をすることに、迷うことはなかったのだろうか。
「漁師になることは決めていたので、ブレることはなかったです。もう落ちるところまで落ちていましたから、今更人の目を気にすることもなかったというか(笑)。いい加減ちゃんとしようって思っていたし、ここで頑張んなきゃどうにもならないっていう気持ちが強かったですね」
漁は朝3時にスタート。休みはないけど、ライフスタイルには大満足
現在は、漁師になって5年目。最初は専門用語やロープの結び方を覚えるのに苦労したこともあったが、今は船舶免許やフォークリフト免許などの資格も一通り取得し、楽しく仕事をしているという。
「漁師さんっておじいちゃんが多いイメージがあったんですけど、うちの船は34歳の僕がちょうど年齢的に真ん中で。19歳から70代までのメンバー8人で、軽口叩きながら和気あいあいと漁に出ています」
漁師といっても漁の方法はさまざま。河村さんが乗る船では定置網漁と呼ばれる漁を行っている。漁業を行う権利を買い、決められたポイントに網を仕掛け、そこに入った魚を獲るのが基本の仕事だ。
「うちの船の場合、漁場は3つあって、1カ所に仕掛ける網は東京ドーム1個分ぐらいの大きさ。めちゃめちゃでかいんですよ。特定の魚を狙うのではなく、『今日は何が入ってるかな~?』みたいなスタンスの漁で、毎日2カ所の網を回ります」
河村さんの船が魚を出荷している橋立の市場では、夕方に競りが行われる。朝3時に漁に出て、10〜11時に港に戻り、昼食をとって一休み。その後、魚のサイズを揃えて箱に詰め、出荷作業を行い、昼過ぎには仕事を終える。
漁期は毎年4月中旬から11月まで。12〜1月で2カ月間の休漁を挟むものの、漁がある期間中、基本的に休みはない。それでも「ライフスタイルには大満足」と河村さんは楽しそうに話す。
「年に数回、競りが始まるギリギリまで作業をすることもありますが、繁忙期の5〜6月でも15時には帰宅できますし、逆に夏の魚が減る時期は午前中に仕事が終わることもあります。飲食の仕事をしている時よりも、自由な時間はだいぶ増えました」
サイズが合わなかったり傷付いてしまったりと、商品として出荷できない魚は各自で持ち帰る。最近は農家に毎日魚を持って行き、お米や野菜と物々交換しているのだとか。
「農家の人がめちゃくちゃ喜んでくれるんです。そうやって喜んでくれる人の姿を見ると、やっぱりうれしいですね。それに、僕らが獲った魚は多分、加賀の料亭あたりに出回っているんですよ。そういうお店に出る魚を毎日食べられるわけで、もうスーパーの鮮魚コーナーには戻れないです(笑)」
漁師の仕事は“初めての自分の選択”だった
漁師がいなければ、私たちが魚を買うことはできない。流通の根本を担う重要な仕事だが、河村さんはあくまでも「仕事はお金を稼ぐ手段」とあっさりしている。
「僕にとって『船に乗りたい』『田舎に住みたい』っていう理想の生活を実現する手段が漁師なんです。特に船から見る景色は最高で。星空はとにかくキレイで流れ星もたくさん見えるし、夜が明けていく時の朝日もすごく良い。この仕事をやっていてよかったって本当に思います」
山登りや自転車などアウトドアを楽しんだり、ネットでメンバーを募ってバンドを組んだりと、プライベートの時間も満喫。「今の生活が本当に楽しい」と満足げだ。
「20代で試行錯誤したから余計そう感じるのかもしれないけれど、今が人生で一番充実している気がします。仕事も今までで一番自分に合っていると思いますね。体を動かしている方が性に合うし、正直デスクワークは耐えられなかった(笑)。もし人生をやり直せるなら、高卒ですぐに漁師になりたいくらいです」
同僚と楽しく仕事ができ、自分が獲った魚を喜んでくれる人がいて、憧れだった「船に乗る」と「田舎暮らし」を実現した河村さん。オフの時間には趣味にも打ち込んで、死角なしの充実っぷりだ。
強いて不満を上げるなら? という質問にも、「うーん……バンドメンバーが金沢にいて、遠いんだよな」と朗らか。
収入だけを見れば同世代より低いものの、そこに対する不満もない。
「昔から物やお金がほしいって願望はなかったし、こっちの物価は安いんですよ。例えば今住んでいる家は2DK、駐車場2台、外付けの倉庫が付いて、家賃約5万円。だから貯金ができるくらいの余裕もあります。この先家庭を持つとなると分からないですけど、今は独り身で結婚の予定もないですしね」
漁師の仕事は労働基準法の適用外。定年はなく、体が元気であれば生涯現役でやっていける。「続けられる限りは今の船でずっと漁師をやっていきたい」と河村さん。
「親には申し訳ないですけど、漁師になるまで『これがやりたい』っていうものがなかったんです。附属高校からなんとなく商学部に進学して、周りが税理士を目指していたから自分も勉強しただけで。今思えば、当時から税理士の仕事をしてお金を稼いでいるイメージって全く持てなかったんですよね」
河村さんにとって、本当の意味での“初めての自分の選択”となった漁師の仕事。自分の本当にやりたいことが見つかったのも、そしてその道を選べたのも、20代で迷った経験があってこそだ。
「僕が漁師になると決めてからパッと動けたのは、行き詰まっていたからこそ。あとは、若くて身軽だったのも大きいと思います。漁師であれば大抵の船には体験乗船があるから、そこで合うかどうかを判断すればいい。崇高な動機なんかいらなくて、『船が好き!』くらいで十分です(笑)。20代ならなおさら、あまり深刻に考えずに、とりあえずチャレンジしてみるのが一番だと思いますね」
取材・執筆/天野夏海 撮影/川松敬規(編集部)
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