自閉症ラッパーGOMESSが「自分は死ぬべき」から脱して見えた世界「“自分には何もない“なんてわけがない」
やる気はあるのに、仕事がうまくいかない。同期との差もついているような気がする。「自分は何やってもダメだなぁ……」なんて“ネガティブ地獄”に苦しんでいる人に、この人の言葉を紹介したい。
自らの自閉症を公開し活動しているラッパー・GOMESSさん、25歳。パニック障害、解離性人格障害を併発し、10歳で引きこもりに。人と接することができず、気持ちは落ち込み、繰り返すパニックに翻弄される毎日だったという。
しかしラップに出会ってから、人生が変わり始める。17歳で初出場した『高校生RAP選手権』で準優勝を飾り、自身の苦しみを表現した楽曲『人間失格』は多くの人の共感を呼んだ。現在は楽曲制作やライブなど精力的に活動している。
「この世界には理想も希望もないんだという思考に陥っていた」と語るGOMESSさんはなぜ、“ネガティブ地獄”から脱することができたのだろうか?
「正しくない自分は、死ぬべき」パニックの連続から抜け出せない毎日
はっと目覚めると、さっきまで使っていたキーボードがバキバキに割れている。「もしかして自分がやった……?」と思い、手を見ると血だらけで、隣の部屋ではお母さんが泣いている。
「お母さんごめん……」。目の前の現実を受け入れられず、またパニックになり、「わああああ!!!」と外に飛び出しては警察に連れていかれるーー。
こんな発作を、ほとんど毎日です。ひどいときは一日何十回と繰り返していました。10歳で自閉症の診断を受けて、ショックで引きこもってからは、友達が欲しくてもできない。自分も家族も誰も笑わない。地獄のような日々でした。
何年もそういう暮らしを続けていると、もうダメになるんですね、心が。誰の役にも立っていなければ、迷惑ばかりかけている自分を許せなくて。「正しくない自分は、死ぬべきなんだ」と本気でそう思っていました。
子どもの頃からスポ根マンガを読んできた影響もあり、自分に正しく生きれば末路はどうであれハッピーエンドになると信じていて。「正しさへのこだわり」が人一倍強かったんです。
たとえば学校で粘土遊びをしたときとか、自分の粘土を横取りするような奴がいて喧嘩をしたのを覚えています。「お前はお前のもので戦えよ、人の邪魔をするのは正しくないだろう」と。
だから余計に苦しかったんです。誰より正しさにこだわっていたはずなのに、その自分が一番正しくなくなってしまったから。
ラップに出会ったのは12才くらいのときです。引きこもっている間は時間だけが有り余っているから、とにかくいろんな音楽を聴いていて。その中で見つけた『RHYMESTER』の作品をきっかけに、自分でもラップをしてみたいと思うようになりました。実際に始めたのは13歳の頃だったと思います。
最初は見よう見まねで始めて、だんだんとオリジナルの曲を作ったり、インターネットで知り合った人と電話でフリースタイルをするようになったり。文化祭でライブすることを目的に高校にも通い始めたし、ラップを通したコミュニケーションで少しずつ気持ちが外向きに変わっていきました。
そして17歳のときにテレビ番組の企画『高校生RAP選手権』に出場したんです。
当時もまだ引きこもりの性質みたいなのは引きずっていて、周りの人とは馴染めないし、自分のことも嫌いだったけど、ラップだけは「俺が一番だ」と思っていたんですよ。だからそれに懸けるというか、本当は俺だって凄いんだぞって証明したい気持ちがありました。
結果としてその番組をきっかけにCDデビューが決まったので上京をして、ラップを続けていくうちにいろんな人と関わらせていただいて、少しずつですがパニックの症状も落ち着き始めました。昔の自分を思い返してみると、初対面の人とこうして普通に話せていることも奇跡のように思います。
「努力をしても叶わない夢はあるけど、努力をすることで確実に何かが変わる」
世の中には、なぜか魅力的な人っているじゃないですか。大して顔の造形が良いわけでも、技術が飛び抜けているわけでもないのに。なんとなく素敵だなあって感じの人。
「どうしてこの人は人気なんだろう?」と思ってよく見るようにしていたら、気付いたことがあるんです。そういう人って全てが自然に見えるんですよ。立ち振る舞いとか、言動とか。それはなぜかっていうと、「自信があるから」なのかなって。自分はこういう人だっていうのを分かっているというか。
外見や技術と同じくらい「自信」は人の魅力となりえるものかもしれない。それに気付いてからは、なるべく無理はしないで、たった今の自分を許して、いいところを認めて、自信を持つようにしようと考えました。
自信を持つためには一体どうすればいいんだって悩んだりもしたんですけど、僕はスポ根マンガで育ったので、とにかく何かを“頑張ってみる”しかないなと。僕の場合はそれがラップでした。
ネタバレになってしまうのでタイトルは伏せますが、ある野球マンガの主人公の話をしてもいいですか?
その人はすごく真っすぐで、純粋に、ただうまくなりたいとか強くなりたいとか、そんな理由だけで頑張っている人で。周囲からは「なんでそこまで?」と言われるほど、毎日泥に塗れて。
それでも最後に夢は叶わないんです。負けるんです。でも彼は何かを成し遂げたと思うんですよ。誰よりたくましくなった、その姿が美しいなと深く感動して。
そこから「努力をしても叶わない夢はあるけど、努力をすることで確実に何かが変わる」と学びました。
今、僕についている自信があるとしたら、それは努力で手に入れたものだと思います。とはいえ今もまだ対人関係は得意じゃないし、いろんな症状もまだ完治には程遠く落ち込むこともありますが、頑張っていればきっといつか、と信じてなんとかやっています。
「自分には何もない」と思い込むのは早すぎる
僕が子どもの頃からずっとこだわっていた「正しいこと」って、実際には人の数だけ存在するもので。僕の正しさは、誰かからすれば間違っていたりする。そんな当たり前なことに気が付いたのは、ラッパーとして活動をしている最中でのことでした。
それからは以前よりも生きやすくなった気がしています。
今できないことがあるからって、それを「正しくない」と言って自分を悪い奴みたいに思わなくていいんじゃないかって思うようになったんです。
というのもさっきの自信や努力の話に続いているんですけど、何か一つでも魅力があれば他の欠点って目立たなかったりするんですよ。
で、その魅力というのも本当に人それぞれで全然見え方が違うから。自分のコンプレックスな部分が、もしかしたら誰かにとって魅力だと感じてもらえているかもしれない。
この記事を読んでいる人も、もし自分に納得がいっていないなら完璧な自分を目指すんじゃなくて「自分の好きな分野で努力して、それを魅力に感じてくれる何人かが味方になってくれたらいいな」くらいに考えると楽だと思います。僕はそうやって生きています。
とはいえ、こういう話をすると、「私は好きな分野も得意なこともないし、何やってもダメなんだよな」と思う人もいると思います。
でも、「自分には何もない」と思い込んでしまうのはもったいないことで。僕のラップもそうですが、やってみないと分からないんですよね。
むしろやっても自分では分からないかもしれない。でも誰かが分かってくれるかもしれない。
誰だって本当は特別なものを持っていて、一人ひとり違う、ドラマみたいな人生を歩んでいる。でも「特別なもの」が何なのか、当の本人が気付いていないだけなんだと思います。
だから最初から「何もない」なんて思わずに、いろいろ試しながら探してみてほしい。
僕自身は、家で引きこもってラップばかりしていた過去の自分のことも、ちゃんと正しかったって今になって思うんですよね。
取材・文/一本麻衣 企画・編集/大室倫子(編集部) 撮影/河西ことみ(編集部)
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