キャリア Vol.939

大手銀行&商社出身の共同代表が実践する「後悔しない仕事人生」の歩み方

コロナ禍によって、未来を予想することがさらに難しくなった昨今。その分安定を重視する人も増え、「とりあえず今の場所に留まること」で安心する20代も多いだろう。しかし20代の今、“挑戦しないこと”は逆にリスクにもなり得るのではないか?

そこで今回は、大手企業を20代半ばで辞め、株式会社カンリー(旧Leretto)を立ち上げた共同代表の秋山祐太朗さん、辰巳衛さんに話を聞いた。

秋山さんは元大手銀行員、辰巳さんは大手商社の出身。安定企業の仕事を手放し、26歳・25歳で新たなチャレンジに踏み出した2人だ。そんな彼らが「20代でやりたいことに挑戦しないと、必ず後悔する」と口を揃えて語る訳とは?

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株式会社カンリー 代表取締役(共同経営) 秋山祐太朗さん(写真右)
2015年 早稲田大学社会科学部を卒業し、新卒で三井住友銀行に入行。個人・法人営業を経験した後、SORABITO株式会社に転職。法人営業、新規事業立上げを経験。18年に共同経営の辰巳さんと共に株式会社カンリー(旧Leretto)を創業 Twitter:@YutaroAkiyama

株式会社カンリー 代表取締役(共同経営) 辰巳衛さん(写真左)
2015年 早稲田大学理工学部卒業。双日株式会社に入社し、与信・事業投資の審査、国内外の空港M &Aを経験。17年に米国公認会計士試験合格 Twitter:@maamorun

20代の今だからこそ、リスクが取り放題だと思った

秋山さんと辰巳さんは、同じ早稲田大学出身だが、出会いは就職活動の時。2人とも「将来は起業家になりたい」と考えながら就活していたこともあり、出会ってすぐに意気投合したという。その後、秋山さんはメガバンクに入行、辰巳さんは大手商社に就職した。

秋山「2人とも『起業のための修行だ』と会社員になったので、思考が似ているところがありました。辰巳の存在は僕にとってすごく刺激的で、社会人2年目からはルームシェアを始めて毎晩語り合っていましたね(笑)」

秋山さんは当時、「30歳くらいで起業しよう」と考えていたが、ある日シリコンバレーで起業家を目指す学生たちの姿を見て「20代の早いタイミングで起業することに意味がある」と感じたそうだ。そこで彼は1年でメガバンクを退職することを決意。退職後はスタートアップに転職し、“修行”を重ねた。

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秋山「当時の僕は結婚もしていないし、自分一人で生きていくだけなら給料が少なくても何とかなる。長い人生の中でも、今ならいくらでもリスクが取り放題で、最高のタイミングなのではと思っていました。もし失敗したとしても、起業した経験は今後のビジネス人生の中で必ず生きると思いましたし、とにかく“今やらなきゃ”という気持ちが日々高まっていましたね」

一方で辰巳さんは、新卒で入社した商社を3年間勤め上げ、その間に米国公認会計士の資格も取得。じっくりと起業準備を進めていた。

辰巳「資格を取ったり、経験を積んだりして、自信を付けてきたつもりではいました。でもやっぱり、大企業を辞めるのにはなかなか勇気が出なかった。親族にも反対されましたし、給与の保障もないわけですから」

退職を迷っていた辰巳さんを後押ししたのが、秋山さんだ。

秋山「辰巳の性格を知っていたので、このタイミングで起業しないと後悔するんじゃないかな、と思ったんです。だから『ここで一緒に起業しなければ、僕は辰巳が見ることのできない世界を一人で見にいくぞ』と日々言っていました(笑)」

その言葉に背中を押された辰巳さんは、退職を決意。当時25歳、ここから2人の経営者人生が始まった。

「挑戦・行動」こそが新たなアイデアを生むと気付いた

新会社『カンリー(旧Leretto)』を立ち上げた2人がまず始めたのは、社内宴会の店選びを手伝う幹事代行事業。これは、大手企業出身の2人ならではのアイデアだ。

秋山「社内の宴会や、お客さまの接待では若手が店選びをすることが多いですが、大手では『ここの会社は●●社系列のビールが出てくるお店じゃないとダメ』といったような、謎のルールが存在していました。これは社内ルールみたいなものなので、普通の飲食サイトでは検索しづらい。それが解決されるサービスには必ずニーズがあると考えました」

しかしそれは、すぐに収入を得られるビジネスモデルではなかった。会社としての利益はほとんど出なかったという。

辰巳「最初の半年は無給でしたし、結果的に年収は3分の1くらいに下がりました。資金がショートしかけた時期もあったのですが、そのときは2人で治験をして生活費を稼いだ時期もありましたね(笑)」

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秋山「僕らのビジネスはBtoBtoCのモデルだったので、稼げるようになるまで時間がかかるのは分かっていたんです。だからそれまでは踏ん張る必要があり、とにかく泥臭く、足で稼ごうと思っていました。そのときに、飲食店の方々とのネットワークをつくることができたんです」

そしてこの“宴会ビジネス”を通じて、新たな事業の種に出会う。それが現在の事業の柱となる、Googleマイビジネス・SNSを一括管理できるサービス「Canly」だ。

秋山「幹事代行事業で店舗に直接足を運んでいたので、お店の方々と対話する機会が多くありました。そのときに、飲食店の『GoogleマイビジネスやSNSなど、無料で使える集客ツールが使いこなせない』という声を聞くようになって、新たな課題を見つけることができたんです」

Googleマイビジネスとは、Google上で無料のビジネスプロフィールを作成し、検索やGoogleマップなどに表示されるようにする集客ツールの一つだ。

辰巳「このサービスにはニーズが多くありました。その後は飲食店だけではなく、ドラッグストアや中古車販売業者、物流会社など、リリース開始約3カ月で3,000店舗店舗くらいの受注が決まったんです」

2人が自分で動き、掴んだネットワークから課題を発見することができた。この経験から、秋山さんは「自分から行動し続けることが、その後のチャンスにつながる」と確信したという。

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「100%挑戦している状態」が幸せ

2人は大企業に勤めていた時と、現在を比べて、仕事の進め方も大きく変わった。

辰巳「大企業にいたときは、必ずマクロ的に市場規模を測り、資料作成にも時間をかけて、やっと実行に移すという流れでした。でも今は、まず行動してみて現場から意見を聞き、それを元に新たなアイデアが生まれたり、次なる一手を見つけたりすることができます。そちらの方がもちろんスピードも早いし、リアルな課題を見つけられるようになったと感じますね」

とはいえ、2人が繰り返し話す「まずはやってみる」ことは、簡単なことではない。彼らの場合はお互いの存在が支えになっていたが、そんなパートナーがいない20代はどのように不安を払拭すればいいのか。そんな質問をぶつけてみると、辰巳さんは「何をしても不安はなくならないから、とにかく飛び込んじゃえばいい」と話してくれた。

辰巳「どんなに準備をしても、不安な気持ちが全くなくなるわけではありません。僕だって、米国公認会計士を取得して『食うには困らないだろう』という状態になっても、新しいことをするのは不安でした。結局、不安を払拭する唯一の手段は『まずやってみる』ことなんです」

それは一見根性論のようにも見えるが、「むしろ合理的な方法」だと辰巳さんは続ける。

辰巳「全ての物事には“型”があると思うんです。受験も就活も、仕事にだって型はある。それを自分で見つけるために、実際にやってみる。最初は踏ん張らなければいけないかもしれないけれど、やっていくうちにパターンがあることが分かってくると思います」

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秋山「辰巳の言う通り、早いうちに型をみつけることは大事だと思いますし、何よりも一度きりの人生じゃないですか。もちろん今やっている仕事が自分のやりたい仕事で、自分の中のプロフェショナル像と重なっているのなら、それは一つの正解。でも後から『あのときやっておけばよかった』と後悔しても遅いと思うんですよね」

辰巳「年齢が上になればなるほど、今の立場をリセットして一から何か始めることは難しくなりますから、若いうちに挑戦しないのは本当にもったいないと思います。それに、挑戦って単純に楽しいんですよ。僕が人生の中でもトップクラスで楽しかった瞬間って、秋山と2人で『苦しいけど頑張ろうぜ』とチャレンジを続けていた時ですから」

半年間無給で働いたり、ときには治験のバイトをしたりと、苦しい時期を共にした2人。しかし振り返ると、その頃の経験が財産だったと笑う。

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秋山「お金がなかったとき、居酒屋にも入れなくて、コンビニで缶ビールしか買えなかったんです。でも辰巳と2人で缶ビールで乾杯しながら『今はこんな状態だけど、絶対成功しような!』と語り合った瞬間は今でも忘れられません。こんなことを言うと青臭く聞こえるかもしれないけれど、自分たちの夢に対して100%挑戦している状態って、すごく幸せなんですよ。そしてそんな無茶ができるのは、20代の特権なんじゃないかと思います」

取材・文/キャベトンコ 編集/大室倫子


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