突然の事故で絶たれたキャリア。手に職求めた転職でかなえた「全部自分で」と気負わない働き方【壁づくり職人・左官】
右も左も分からないままに社会へ飛び込んだ新卒時代、目の前の仕事にがむしゃらに取り組んだ新人としての数年間。仕事にもすっかり慣れて、ふと顔を上げると30代が目前に迫る……。
人生100年時代を働き生きていく上で、先々のキャリアへの足掛かりとなる30代。重要な意味を持つこの時期の過ごし方に、頭を悩ませる20’s世代も多いのではないだろうか。
井上工業で働く脇川晋悟さんも「30代をどう働くか」に迷った一人だ。
現在、脇川さんは38歳。悩んだ末にたどり着いたのは、壁づくり職人である左官という職業だった。
「30代のうちに、一生続けられる『手に職』をつけたかった」と語る脇川さんは、なぜ左官職人という道を選んだのだろうか。
思わぬ事故でキャリア中断。将来への不安から「手に職」を求めた
僕のキャリアが大きく変わったのは、約10年前の交通事故がきっかけでした。
当時はイタリアンレストランで、調理担当の管理職として働いていました。店舗スタッフを指導したり、売上、食材原価の管理をしたりと忙しい日々。帰宅が深夜になることも珍しくありませんでした。
ちょうどその頃、子どもが生まれたこともあって、将来について深く考えるように。「この仕事を、このまま続けていていいのだろうか」と悩むようになりました。
そんな矢先のこと。バイクで帰宅中に、交通事故に遭ってしまったんです。
なんとか一命は取り留めたものの、脳挫傷を負うほどの大きな事故。1年半の治療とリハビリを経て、日常生活は送れるようになったのですが、左半身に若干の麻痺が残り、スムーズに話すこともできなくなってしまいました。職場に復帰しても、思った以上に後遺症の影響が大きく、以前のように働けなくて。
思うように動かない体に、だんだんと焦りが募っていったんです。周囲に支えられてやっと仕事ができる。そんな状況に耐えられなくなり、退職する決断をしました。
その後は、飲食業や営業職など、いくつかの仕事を経験しました。いずれもコツコツ頑張ったことで、しばらくすると管理職への昇進を打診されたのですが、その度に後遺症がキャリアの壁として立ちはだかるんです。
車が運転できない、マルチタスクがこなせない、接客時にはうまく話せないし、話しながら作業を進めることもできない。せっかく管理職に挑戦するチャンスをもらっても満足に仕事がこなせない自分に、いら立ちを覚えました。
ましてや僕には、妻と子どもという家族がいる。どうにか30代のうちに、一生続けられるような仕事に就きたい。そのためには「手に職」を付ける必要があると考えるようになりました。
手に職を求めて転職活動を始めた時に、決めたことがあります。それは、自分の「できないこと」に縛られるのではなく、「できること」に素直に目を向けて仕事を探そうということです。
今の僕には、マルチタスクは難しいかもしれない。以前のような接客業も、もうできない。けれど、目の前の作業と向き合って、もくもくと進めていくことならきっとできる。幸い、飲食業で培った根性には自信があります。今の自分にできる仕事を探そう、と思いました。
そんな時に目にとまったのが、「AIに奪われない仕事」という記事。長く続けられる仕事探しのヒントになるかも、と思って読んでみると、そこに「左官職人」という仕事がランクインしていたんです。
調べてみると、左官職人とは建物の壁や床を作る仕事だということが分かりました。作業工程を覚えたら、コツコツ進めていける職人仕事。しかも、何年も働き続けている人が多い、まさに「手に職」だということも見えてきました。
この仕事なら、僕にもできるかもしれない。そんな希望を感じて求人サイトで見つけた井上工業に応募。その結果、無事に左官職人デビューへの道が開けました。
焦らず、こつこつ技を磨く。地道な努力で開けた職人の道
井上工業での初仕事は、先輩職人のアシスタント業務。作業場を掃除したり、先輩に道具を手渡したりしながら現場の流れをつかんでいきました。
慣れてきたら、少しずつ実作業を開始。材料と水を混ぜ合わせて壁を塗る資材をつくったり、Pコン穴という、コンクリートを流し込む際にできる穴を埋める作業をしたり。
ここまでで、大体1カ月ほど。器用な人ならもっと早いのでしょうが、焦らず、一つずつ仕事を覚えていくことを大切にしていました。
2カ月目に差し掛かる頃には、外側を塗る作業にも携われるように。
壁は、何度も何度も重ねて資材を塗ることで完成します。土台となる最初の塗り方がよくないと、仕上がりにダイレクトに響きます。
最初のうちは、手直しされてばかり。資材を塗る道具の跡が壁に残ってしまったり、塗り方が良くなくて気泡ができてしまったり。
未熟さを痛感する日々でしたが、目の前の作業をていねいに進めていくうちに、少しずつ上達していって、一つ、また一つと仕上げに近い上の層を塗らせてもらえるようになっていきました。
次第に、目に見えるものをつくっていく面白みを感じるようになって、仕事が楽しくなっていったんです。
30代で経験を積み、その先一生続けていける「左官職人が僕の手に職」
社長から「そろそろ職長をやってみないか」と声を掛けられたのは、入社から1年経った頃でした。
職長とはその名の通り、現場の長として他の職人を束ね、材料を発注したり、進行管理を行う役目です。管理職としての責任も伴います。その時、これまでの仕事での経験がよみがえってきました。
管理職となることで発生するさまざまな業務、それをマルチタスクでこなさなければならないプレッシャー。「できない」と感じていたことが、また壁となって立ちはだかったように感じました。
でも、そんな不安をくんでか、社長が「ベテランの職人がいる現場がある。事務所の近くだから、何かあったら俺がサポートに行く。だから、挑戦してみないか」と、背中を押してくれたんです。
その言葉のおかげで、今僕は職長として働けています。職長になったことで、やることも責任も増えました。でも、前職とは違って左官職人はチームで働く仕事です。
自分一人で全部やろうと思う必要はない。できないことはチームの仲間と互いにフォローし合って解決していけばいい。
そう思えるようになってからは、「できない」という気後れが、少しずつ軽減されていきました。
事故にあってからは、将来どうなってしまうのか、一生働いていける仕事が見つかるのかと不安で仕方がありませんでした。
でも今は、自分にできることを丁寧にやってきた結果、左官職人という手に職を見つけることができた。
30代のうちに、新しいことにチャレンジして、経験を積むことができてよかったと、心から思います。
文/夏野 かおる 撮影/赤松洋太 編集/秋元 祐香里・柴田捺美(ともに編集部)
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