太田ゆかさん1995年生まれ。南アフリカ政府公認サファリガイド。立教大学在学中に、南アフリカのサファリガイド訓練学校に留学し、資格を取得。2016年からガイドとして活動し、野生動物の保護活動にも取り組んでいる ■Instagram
太田ゆか「生涯サバンナで働きたい」日本人女性唯一の南アフリカ政府公認サファリガイド誕生の裏側
※この記事は姉妹媒体『Woman type』より転載しています
大学卒業とともに南アフリカに移住し、サファリガイドとしてサバンナで働く太田ゆかさん。
日本人としてただ一人、南アフリカ政府公認のサファリガイドの資格を持つ彼女は、かつては動物好きな普通の大学生だった。
「南アフリカでサファリガイドをする道に進んだのは、私にとって最高の選択でした」
大学に入るまでサファリガイドという仕事を知らなかった彼女が、天職にたどり着くまでの道は、「英語が話せない」「唯一のアジア人」「何年間もほぼ無収入」など決して平坦ではなかった。
さまざまな困難を、彼女はいかにして乗り越えてきたのだろうか。唯一無二の“自分の仕事”を見つけるまでの道のりを聞いた。
運命の仕事との出会いは偶然だった
私の職場は、南アフリカ共和国北東部に位置するクルーガー国立公園、いわゆるサバンナです。
主な仕事はサファリツアーのガイドで、ツアーの予約がある日は日の出とともにサバンナへ出発します。
日の出の時間帯は夜行性の動物を見つけやすく、気温も比較的低いため、ツアーに最適な時間です。
気温の高い昼間の時間帯は、屋内でパソコン仕事や事務仕事などオフィスワークをし、夕方になり気温が下がってきたら、またサファリツアーに出発する、というのが大体の1日の流れです。
ツアーのない日や緊急時は、動物の保護活動に1日をあてることもあります。
例えば、人間の仕掛けたわなに野生の動物が掛かっていると目撃情報が入れば、その動物がけがをしていないか、けがをしていれば処置が必要かなどを確かめるために、朝早くからその動物を探しに行きます。
動物を守ることが小さい頃からの夢だった私にとって、今の仕事はまさに天職ですが、その最初の出会いは偶然でした。
理系科目が苦手で文系を選んだ私でも動物に貢献できる仕事はあるのだろうかと、一般企業やNGOを調べたり、インターンやボランティア活動に実際に参加したり、とにかくさまざまなことに挑戦していた大学生活。
そのうちの一つ、ボツワナの自然保護ボランティアでのサファリガイドの方との出会いが人生の転機になりました。
アフリカの自然やサファリガイドの仕事を目の当たりにして「もうこの道しかない」と感じて、「できるところまでやってみよう」と、その出会ったガイドの方の出身校であるサファリガイド訓練学校に入学を決意したのです。
英語で苦労するも、訓練学校入学に後悔はなし
いざ訓練学校に入学してみると、一番の壁となったのは学習内容でも生活環境でもなく、「英語」でした。
短期の海外ボランティアに何度か参加していたこともあり、英語力にあまり不安はなかったのですが、訓練学校ではまったく歯が立たなかったんです。
専門用語の多い授業の内容はもちろん、クラスメート同士の会話も全然理解できなくて、今思えばあの頃はホームシックになりかけていたかもしれませんね。
とはいえ、訓練自体はとても楽しかったので、後悔したことは一度もありません。
サファリガイドの資格取得には、筆記試験と実技試験の両方に合格する必要があります。
筆記試験の内容は天文学や地質学、動物行動学など自然に関する幅広い知識が問われますが、私は英語が得意ではなかったため、授業の録音を何度も聞き返して復習する必要がありました。
実技試験では、足跡を見てどの動物のものか答えたり、鳥の鳴き声を聞いてその種類を答えたりするなど、実際に運転をしながらサファリツアーのガイドをすることが求められるので、こちらも教科書を勉強するだけでは合格できません。
さまざまな動物の鳴き声が入った音声ファイルをひたすら聞くなどに加えて、サバンナに実際の動物の足跡を見に行くフィールドワークにも時間を費やしました。
1年間の訓練学校生活のうち、約半年かけてこれらの試験を突破したら、次の半年間は実際のロッジに派遣される研修期間です。
先輩ガイドの横に座る見習いガイドから始め、少しずつ本物のお客さまを前に実際にガイドする経験を積んでいき、卒業式を終えると南アフリカ公認のサファリガイドとして働く資格を得られるのです。
「なぜ日本人がサファリガイドを?」 自信は少しずつ付いていった
資格取得後に最も苦労したのは、「外国人である私が南アフリカの地で仕事をするスタートラインに立つ」ことでした。
1年かけて資格を取得しても、仕事を探し始めるためには、外国人がこの国で働くために必要なさまざまな書類をそろえる必要があったからです。
アジア人は私以外に1人もいない環境で、周りの外国人に助けてもらいながら何度も行政の窓口に足を運びました。
「ここまで頑張ったんだから意地でもガイドになるぞ」という強い思いでやっとすべての書類を揃え終えた時は、涙が出るほどうれしかったです。
無事にボランティア会社でガイドの仕事を始められることになったのですが、やはり最初は「日本人がなぜ南アフリカでガイドを」と周りの人に試されている気がして自信を持てませんでした。
ツアーには南アフリカの方も参加しますから、母国の自然を外国人である私に紹介されるパターンもあるわけです。
そんな中、わざわざ地面に生えている草をむしって「この草の名前は分かる?」と聞いてくるお客さまもいました。力量を試したかったのでしょうね。
そういうお客さまの心さえも動かせるようなツアーガイドをすることは、当時からずっと心掛けています。
動物を見つけて喜んでもらったり、一緒に自然に関する話をしたりすることを通して、「楽しかったね」だけでなく「もっと保護活動をしてみたい」というマインドを持ってもらえれば、動物や自然を守ることにもつながります。
このようなこだわりを持って仕事をする中で、自然と英語力も身に付いていき、仕事を始めて1年ほどたった頃には自信を持ってガイドできるようになっていました。
働き始めた2016年から3年間は、1人も日本人のお客さまが訪れることはなかったのですが、最近はコロナ禍が落ち着き、日本のテレビでも私の活動を取り上げていただいた効果もあって、日本人のお客さまも増えつつあります。
先日実施した「アフリカゾウにGPSをつける」ためのクラウドファンディングでは、ありがたいことに日本人の協力者の方々も多く集まり、「日本にいながらも自然保護に協力したい」という思いの強さを感じることができました。
一筋縄では解決しない「生きるため」の課題
一方で、サバンナに向き合えば向き合うほど見えてくる課題もあります。動物たちの生息地の減少、そして分断です。
サバンナだったエリアがエメラルドやプラチナなどの鉱山工業地帯にされてしまったり、その労働者や物資を運ぶための道路が作られたりすることで、生物多様性が急速に失われています。
動物たちが生きるために街に出てしまった結果、交通事故や農作物の獣害も起きてしまっているのです。
もちろん、鉱山開発や農地の開拓などは、南アフリカの経済成長のために紛れもなく必要なこと。
人間が生きるための活動なので一概に「悪いこと」と決めつけることはできません。
「こうすればすべてが解決する」という画期的な方法はないので、サバンナで働く私たちにできるのは少しでも人間と動物双方の被害を減らすための応急処置です。
例えば、アフリカゾウの行動をGPSでモニタリングして、人里に出てしまいそうになったら村にアラートを出したり、ヘリを飛ばしてサバンナの中に誘導したりします。
このようなサバンナで起きている問題は、ここで生産された農作物などを消費者として手にしている以上、日本人にとってもひとごとではありません。
簡単な解決策はないからこそ、まずは「知る」ことが大切だと思います。
最近は、同僚のサファリガイドや獣医さんたちにも、積極的にSNSの発信をしている人が多くいます。
私自身も、ここで働き続けることで、少しでも日本とサバンナをつなげる存在になれたらと思い、発信に力を入れ始めました。
まずは、先ほどお話しした「アフリカゾウにGPSをつける」活動を成功させて、クラウドファンディングを通してご支援いただいた日本の方々に良い報告を届けたいです。
ほぼ無収入。でも、やりたいことを追求したい
私がサバンナで初めて得た仕事は、ボランティア会社でのサファリガイドでした。
ボランティア会社では、旅行客を相手にする高級ツアー会社とは違い、ほとんどお給料が支払われません。実は、何年間もほぼ無収入生活だったんです。
会社から住居や食事、ユニホームは支給していただけるので、生活に困ることはありませんでしたが、もちろん余分な服や鞄を買う余裕はなく、貯金もできませんでした。
お金を稼ぐための仕事ならば、日本で一般企業に就職した方がずっと、金銭的には豊かになれていたでしょう。
ただ、私にとって大事なのは「サバンナで働ける」ことのただ一点でした。サバンナでは、高級ブランドの服や鞄は必要ありません。
「働く」ことはやりたいことを形にするための手段。その意味で言えば、南アフリカでサファリガイドをする道に進んだのは、最高の選択でした。
今は、できることなら「生涯サバンナで働き続けたい」と思っているくらいです。
私の場合は、興味のあった「動物を守る」ことに自分ならどう貢献することができるのか、知ることから始めました。
ボランティアやインターンなどさまざまな動物に関する活動に参加することで、考えうる選択肢を増やしていったんです。
そんな中で「これしかない」と思えるやりたい仕事に「偶然」出会えた。
あの時の行動量が、今の私をかたちづくっています。
こう見えて、日本での就職活動も同時並行で取り組んでいたんです。プランBを用意していた方が、かえって大胆なチャレンジができるからです。
「これがダメでも最悪プランBがある」と思える何かは、今も常に心のうちに持つようにしています。
自分らしく働ける仕事や、自分に向いている仕事は、自分の経験の中からしか出会えません。
「やらない後悔よりやって後悔」という言葉があるように、少しでも興味があることにはとりあえずチャレンジしてみる。
あれもこれも試してみるのは少し遠回りに見えるかもしれないけれど、ずっと頭の中で考えていても道は開けません。
行動をたくさん重ねて、自分がそれをどう感じるか。一つ一つの経験を重ねていく中で、「これだ」と思える働き方や生き方を選んでいけばいいのかな、と思います。
書籍情報
『私の職場はサバンナです!』(14歳の世渡り術/河出書房新社刊)
大好きな動物を守りたい――南アフリカ政府公認・唯一の日本人女性サファリガイドが伝えたい知られざるサバンナの動物たちの生態、環境保護の最前線、人と自然が共生するために大切なこと
取材・文/井上茉優
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