キャリア Vol.1055

「逃げることを否定しちゃダメ」ワインの神様に認められた醸造家・斎藤まゆが見つけた、天職との出会い方

山梨県・甲州市塩山にあるKisvin Winery(キスヴィン・ワイナリー)は、2013年に設立された新興のワイナリーだ。

醸造所は車庫を改修した小さなスペース。そこで働く醸造家の斎藤まゆさんは、ある日、世界中から注目を集めることになる。

世界最優秀ソムリエで”ワイン界の神様”の異名を持つジェラール・バッセ氏が、自らのSNSで「才能豊かな醸造家が造ったこのワインは、ユニークでセンセーショナル」とキスヴィンのワインを絶賛したからだ。キスヴィンの名前とともに、「醸造家・斎藤まゆ」の存在も全世界に拡散された。

斎藤まゆさん

ジェラール・バッセ氏のSNSより

一躍、一目を置かれる立場になった斎藤さん。ワイン一筋の人生を送ってきたのかと思いきや、意外にも大学時代はお笑い芸人を目指していたという。

お笑いの道を断ち切り、醸造家になるために早稲田大学を中退して単身アメリカに渡った彼女だが、「私は大学やお笑いから逃げただけなんですよ」と笑う。

彼女が醸造家の道へと方向転換したのはなぜだったのか。彼女はいかにして天職と出会ったのだろう。

プロフィール画像
プロフィール画像

Kisvin Winery 斎藤まゆさん1980年生まれ。お笑いの道に進むため、演劇が盛んだった早稲田大学に進学。同大学在学中にワイン醸造家の道へとシフトチェンジし中退。アメリカに渡り、カリフォルニア州立大学ワイン醸造学科に入学。卒業後、成績優秀により同校ワイナリーの醸造アシスタントに抜てき。現地学生の指導にあたる。その後はドメーヌ・ジャン・コレ、ドメーヌ・ティエリ・リシュー(いずれも仏ブルゴーニュ)などで研さんを積み、2007年よりKisvinワイナリー醸造責任者。17年にジェラール・バッセ氏から絶賛されたことをきっかけに、世界から注目を集める醸造家となる。19年、「Kisvin Koshu」がANA国際線ファーストクラスのサービスワインに選ばれる

※この記事は姉妹媒体『Woman type』より転載しています

好きなこと以外はやりたくない、わがままな若者だった

昔から好奇心旺盛で、好きなことを見つけては思い切りやってみるタイプでした。

思い返せば、15歳の頃に自分のいる世界を窮屈に感じて日本を飛び出し、アメリカの高校に進学。

高校では、勉強が楽しくて仕方がなくて、同年代の女の子たちが恋愛やおしゃれを楽しむ中でひたすらガリ勉。

今度は、海外生活の息抜きに見ていた日本のお笑いに興味を持ち、お笑いの道に進むために演劇が盛んだった早稲田大学に進学し、演劇サークルに所属。

そして大学に入学したと思ったら、醸造家を目指すために中退し、再び渡米……。

やりたいと思ったら、居ても立ってもいられなくなっちゃうんですよね。

そんな私も今は醸造家という仕事に出会い、気付けば22年になります。

移り気だった私が天職とも言える醸造家の仕事と出会うきっかけとなったのは、大学2年の夏休み。

早稲田大学でフランス語の講師をしていた先生の呼び掛けで、フランスのボルドー、ブルゴーニュなどを2週間ほど巡る研修旅行に出掛けたんです。

その際に立ち寄った小さなシャトー。ここを経営する老夫婦との出会いが、「醸造家・斎藤まゆ」が生まれるきっかけとなりました。

青々としたブドウ畑で、ほほ笑みながら学生たちにワインを振る舞うご夫婦の姿が本当にすてきで。

その後、みんなでブドウの収穫を手伝う中で、ワインを造る仕事にすっかり魅了されて、心を奪われちゃったんですよね。

Kisvin Winery 斎藤まゆさん

帰国後も、ワイン造りに人生をかけてきたおばあちゃんの姿が脳裏から離れませんでした。

私は、あんなおばあちゃんになりたい。そんな思いから、醸造家になるために、大学を中退。カリフォルニア州立大学のワイン醸造学科に進むことにしました。

こう話すと、すごい決断力で未来を切り開いてきたように見えるかもしれないけれど、私はその時々で嫌なことから逃げて、好きなことだけをしていたかったんですよね。わがままだったんだと思います。

大学を中退したのも肌に合わなかったからだし、お笑い芸人を目指すことを辞めたのも、早稲田の演劇サークルの雰囲気が合わなかったから。

だから、「好き」に突き動かされてカリフォルニアに渡った時も、実は「この道に進むぞ」なんて決め切れていなくて。

「どうなるか分からないけれど、やってみよう」と半分は不安な気持ちで、カリフォルニア州立大学フレズノ校に入学しました。

分からないことだらけの大学生活

入学後は、とにかく何もかもが分からない生活が待っていました。

まず、英語が分からない。またワイン醸造には理系の知識が必要で、化学や数学の授業もあるのですが、文系出身だった私には、ちんぷんかんぷんで(笑)

学生時代から苦手なことはすべて避けて通ってきた私にとって、敬遠していた理系の分野で基礎から学んでいく過程は想像をはるかに超えて大変でした。

それでも頑張れたのはやっぱり、フランスで出会ったあのおばあちゃんの姿への強い憧れがあったからかなと思います。

そもそも言語が理解できなかったり、授業にもついていけなかったりと、ワイン造りの前段でつまずいていた私は、授業と並行して大学付属のワイナリーでボランティアをし、体でワイン造りを習得していくことにしました。

毎日ワイナリーに足を運び、ワイン造りの知識や技術を見よう見まねで吸収する日々。

そんな生活を4年続けたある日、卒業生の中から一人だけ選ばれるワイナリーのアシスタントとして声を掛けていただいて。

学校内のワイナリーという「限りなく実践に近い場だけれど、失敗しながら学べる」貴重なポジションであるアシスタントの座をひそかに狙っていたので、地道な努力が報われた瞬間でした。

斎藤まゆさん

私が現在働いている『キスヴィン・ワイナリー』と出会ったきっかけもまた、在学中にありました。

当時、好きで書いていた『ブドウ畑の空に乾杯』というブログを読んだ代表の荻原康弘さんから「会いたい」と連絡をもらったんです。

山梨のブドウ農家だった荻原さんは、甲州市内のワイナリーやシャトーにワイン用のブドウを卸していましたが、当時まだ自社で醸造所を持っていませんでした。

「オリジナルのワインを造りたい」と醸造家として私をスカウトしてくれたのですが、ワイン造りにおいては設備も整っていなければ、何の実績もない会社。

1年のアシスタント期間を終え帰国した私は、気乗りしないまま荻原さんのブドウ畑を訪ねました。

そこで見た生き生きとしたブドウと、荻原さんたちのワインへの情熱に一気に心を引かれちゃったんですよね。

この人たちと一緒にやりたい。好きなことを見つけたら止められない、いつもの衝動に突き動かされ、『キスヴィン・ワイナリー』の一員になりました。

海外生活、勉強、お笑い……どれが欠けても今の自分は居なかった

醸造家の仕事内容を一言で表すと、「なんでも屋」です。

ブドウを作り、ワインを造り、その価値を高めながら売る。

ワイナリーの経営を成り立たせる全工程を担うため、アスリートのように体を使う場面もあれば、お客さまとコミュニケーションを取る場面もありますし、経営の知識も必要です。

そこで感じるのは、今まで興味が赴くままにいろいろなことにチャレンジしてきた経験は、すべて無駄ではなかったということ。

ワインの技術は年々新しくなっており勉強は欠かせないので、高校時代に勉強に打ち込んだ経験も生きていますし、接客の際にお客さまを笑顔にするコミュニケーションを取ることができるのは、お笑い芸人を目指していた経験があってこそ。

また、醸造家として腕を磨く上で重要になってくるのが「観察眼」。

醸造家としての第一歩は、優秀な醸造家をひたすら観察すること。

マネをしながら自分の血肉にしていくことからスタートし、ベースが出来上がったらその上にオリジナリティーを乗せていきます。

オリジナリティーといっても奇抜なことをするわけではありません。

日常のあらゆるシーンに目を凝らせば、醸造の過程で表れる誰もが見過ごすようなささいな変化に気付くことができる。

そんな繊細さを持って、丁寧にワインへ手を入れていくことで、同じぶどうで同じように醸造をしても、作り手によってワインの仕上がりには大きな差が生まれます。その差こそがオリジナリティー。

つまり、人のマネをする過程でもオリジナリティーを乗せていく過程でも「観察眼」が必要になってくるんですが、これもまたお笑いをやる中で磨いた能力です。

お笑い芸人ってモノマネをすることもあれば、日常のあらゆるシーンを観察して面白いネタを拾うことも多いですからね。

Kisvin Winery 斎藤まゆさん

こうして、オリジナリティーのあるワインを醸造できるようになった私は、キスヴィンの仲間に加わってちょうど10年がたった時、ワインの神様と呼ばれるジェラール・バッセさんに、自分が醸造したワインを試飲していただける機会に恵まれます。

私たちの自信作『キスヴィン シャルドネ』を口に含んだ瞬間、「何これ!おいしいじゃない!」とバッセさんの表情がパッと明るくなりました。

「どのくらい造ってるの?」
「1700本です」
「じゃあ、1500本買う」

そんなバッセさんの言葉を聞いた時は、現実の出来事とは思えませんでした。

その後バッセさんが、自らのSNSで「才能豊かな醸造家がつくったこのワインは、ユニークでセンセーショナル」と発信してくださったことをきっかけに、キスヴィンの名とともに「斎藤まゆ」の名も世界中に知っていただけるようになりました。

今思うのは、醸造家として世界に羽ばたくまでにいろんなことに取り組み、遠回りをしましたが、どの経験が欠けても今の私はいなかっただろうなということ。

たとえ、最終的にその道に進むことにならなかったとしても、本気で取り組んだことで得られた経験は無駄にはならない。私はこれまでの人生でそれを実感してきました。

私が天職と言える醸造家の仕事と出会えたこともまた、これまで好きなことをとことんやってきたからだと思います。

もし今、自分は何を仕事にすべきか分からない人がいるとしたら、まずは自分は何が好きなのかを考えることが、天職と出会うための入り口になるはず

そして、好きだなと思うことを思いきりやってみる。

私がお笑いの道を志したのはテレビで見て憧れたからだし、ワインの道を歩むことになったのも、フランスで出会ったおばあちゃんに憧れたから。

好きだな、いいなと思ったことを取りあえずやってみただけなんですよね。

好きなことをやってみて「この道に進みたい」と思ったら、実現するために何が必要かを分析して一歩進んでみる。

歩みを進めることで、やるべきことは具体的になっていきますから。

一歩進んでみて、無理だな、何か違うなと思ったら逃げてもいいし、一歩戻ってもいいんです。

私も新しいことに踏み出す時はいつも逃げ道を作っていました。

実は、醸造家を目指して渡米する前に、調理師免許を取得したんです。

料理とワインの世界って隣り合わせなので、もし醸造家になれなかったら料理の仕事ができたらいいなと思って。

逃げ道を用意しておくと、やりたいことや好きな道に進む時の恐怖心が和らぐので、思い切ったチャレンジができます。

逃げることは悪いことじゃない。実際、私は「何か違うな」と感じたことからは逃げ続けてきましたが、その結果こうして一番やりたいことと出会えましたから。

「ダメだったら逃げればいいや」くらいの気持ちでやりたいことをやってみると、自分の仕事を見つけるきっかけをつかめるんじゃないかと、私は思います。

取材・文/モリエミサキ 写真/斎藤まゆさんご提供 編集/光谷麻里(編集部)


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