島根の農機メーカーで働くインド人女性開発者が「外国人も女性もゼロ」の環境を楽しめるワケ
島根県松江市に本社を構える三菱マヒンドラ農機。同社で初のインド人新卒社員として働いているのが、シルパさんだ。
初めての日本での生活、母国語とは異なる日本語、ほぼ初めての会社員生活。さらに、所属する島根本社の電子技術部には、外国人も女性も、シルパさん一人しかいない。
そんな環境で過ごす日々を、彼女は「とても楽しい」とにこやかに話す。
※この記事は姉妹媒体『Woman type』より転載しています
言葉も文化も異なる日本の生活に「不安はなかった」理由
シルパさんが生まれたのはインドのカルナータカ州マンガルル。それ以来、ずっとインドで生活してきた。
そんな彼女が遠く離れた日本に興味を持つようになったのは、17歳の頃。日本で生活していた親戚から話を聞いたことがきっかけとなった。
その後大学で電子通信工学を学んだことで、「日本で働く」という選択肢が現実味を帯び始める。
「日本の電子技術や電子部品は世界的に有名です。革新的なイメージもあり、エンジニアとして成長できると思いました。日本語の勉強を始めてから日本のドラマや音楽に触れるようになり、日本への興味はより強くなりましたね」
日本企業の中でも、三菱マヒンドラ農機を選んだ理由は二つある。一つは、同社が2015年からインド企業との協業をスタートしていること。もう一つは、農機メーカーであることだ。
「インドは人口の60%が農業をしています。農業は大きな産業で、農業があるから自分たちも生きていけます。そんな大切な農業を支える会社に入ったら、自分の電子技術を成長させながら、お客さまに直接貢献できると思いました」
日本語での面接をクリアし、見事内定を得たシルパさんは、23年春に初来日。現在は電子技術部に所属し、トラクターやコンバインなど農機の開発に携わっている。
彼女がインドで日本語を勉強したのは約1年間。加えて入社前にインドの日系企業で日本人と働いた経験が1年間あったが、日本での生活は初めて。
「会社がある地域に外国人はほとんどいないので、『どこから来ましたか?』と話しかけてもらえます。日本の他の県にも旅行しましたが、島根の方は優しいと思いますね」
言葉も文化も異なる国で働くのは、想像するだけでハードに感じる。それでもシルパさんは「不安はなかった」と明るい。
「生活への不安以上に『本当に日本に行けるのかな?』というのが心配でした。コロナもあって、日本に来るチャンスがない時期もありましたから。だから日本に来られた時は、『やったー!』という感じでしたね」
前に進む原動力は、自分と周りからの「できるよ」
島根本社全体の外国人社員は5名。電子技術部に限定すれば、外国人はシルパさんだけだ。日常業務で英語のサポートをしてくれる人もメンターしかいない。
「まだまだ知らない言葉はあるし、仕事の知識もないので、分からないことばかり出てきます。理解できないときは何度も聞いて、それでも分からないときは、詳しく図を描いてもらいながら教えてもらっています」
たとえ言葉の違いがなかったとしても、分からないことを何度も聞くのは気まずく感じてしまうもの。シルパさんも「どうしよう」と悩むことはあるという。
「そういうときは自分に対して、『もっと頑張ってください』『できますよ』と言って、自信を与えるようにしています。理解できないと前には進めないですから」
その一方で、外国人が一人しかいないからこそ得られたチャンスもある。
「こうやって取材を受けるのもそうだし、外国人で英語が話せるから、日本とインドの部課長が集まる会議に参加する機会もあります。それは日本人の他の同期とは違う、自分の強みです。責任ある仕事を任せてもらえるのはうれしく思いますね」
入社1年目にして、役職者の会議に参加。そこにはもちろんプレッシャーもある。
「会議では、自分の話をしたり、自分の意見を言ったりする機会もあります。今は少し自信がついてきたけど、最初は『間違えたらどうしよう』と本当に不安でした」
そんな時もまた「できる」と自分に言い聞かせながら、同期や同僚など周りの人に不安な気持ちを吐露し、「できるよ」とポジティブな声を掛けてもらうことで自分を奮い立たせてきた。
異国の地での仕事や生活を楽しめているのは、「周りの皆さんの存在が大きい」とシルパさん。「困ったときは会社の人たちがすぐに手伝ってくれます」と笑顔を見せる。
「インドの家族や友達が恋しくなることもありますが、そんな時は会社の仲の良い人たちを遊びに誘います。お正月にはたことか羽子板とか、新年のゲームを試したりもしました。日本の文化を説明してもらい、とても楽しかったです」
技術の世界に女性が増えたら、きっともっと楽しくなる
日本における理系人材の女性比率の低さは大きな問題の一つ。
経済協力開発機構(OECD)の調査によると、科学、技術、工業、数学のSTEM分野で、日本の女性比率は加盟国中最下位だ。
「インドでは、技術系の大学にも会社にも、女性はたくさんいます。だから日本に来て、電子技術部に女性が自分一人しかいないことにびっくりしました。仕事中は大丈夫だけど、休憩時間に『マイノリティーだな』と少しさみしく感じることもあります」
そんな現状に対し、「女性が増えてほしい」とシルパさん。
「技術の仕事は面白いので、『女性もできるよ』って日本の皆さんに伝えたいです。職場環境が良ければ、女性でも外国人でも、自信を持って楽しく仕事ができます。そして、技術の世界に女性が増えたら、きっともっと楽しくなります!」
女性が少ない分野に飛び込むことに気後れしてしまう人もいるだろう。そんな人に対し、「やってみてください!」とシルパさんは力強く語る。
「やらずに判断せず、ぜひ実際にやってみてください。最初は難しいかもしれないけど、勉強しながらできるようになるのはどんな仕事も同じだと思います。それに、やらないと前には進めません」
異国の地で、外国人も女性も少ない環境で働くという挑戦をしたシルパさんは、「とても楽しい」と晴れやかな表情だ。
そんな彼女も、コロナ禍で海外に行くことが抑制されていた時期は「日本で働くチャレンジはダメだったのかもと迷ったこともあった」と振り返る。
「インドの友達や親戚からは『日本語を勉強しても無駄だよ』と言われて。両親も心配していて、『本当に行くつもりなの?』『無理だったらどうするの?』とたくさん聞かれました」
それでも諦めなかったのは、「絶対に日本で働きたい」という強い気持ちがあったから。
「周りの人から何を言われても、『やめません』と言っていました。心配な気持ちもあったけど、『大丈夫』『できます』と自分に言い聞かせて、勇気をチャージして頑張りました」
「やりたい」というシンプルな原動力を維持し、念願の日本での就業をかなえたシルパさん。仕事を始めてからも、困難な場面では「できる」と自分の気持ちを奮い立たせてきた。
「今一番の目標は、自分が作った農機をお客さまが使っているのを見ること。そのためにこれからも頑張っていきたいと思います」
取材・文/天野夏海 写真/先方より提供
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