ソニー社長秘書から保険営業へ転身、なぜ彼は入社5年で3年連続社長賞を獲れたのか
独立採算制の厳しい世界で、3年連続の社長賞受賞。華々しい経歴を誇るトッププレーヤーの前職は、役員秘書だった。
ソニー生命保険株式会社のライフプランナー・大谷貴臣氏は、20代半ばにして世界のソニーで経営トップに帯同し、世界各国を飛び回った後、グループ子会社の経営企画、さらにコールセンターのマネージャーを歴任。「仕事の満足度は高かった」と語りながらも、36歳で転職を決意。
国内屈指のエレクトロニクスメーカーという恵まれた環境を捨て、勝ち残りの厳しい保険営業の世界に飛び込んだ。その決断を後押ししたものは何か。大谷氏に話を聞いた。
「人から感謝をされる仕事がしたい」
36歳、人生の決断
「60歳まで自分はこの企業で働いているのかなって、ふとそう考えたんです」
30代半ば、ビジネスパーソンとして最も脂の乗っている時期に、不意によぎった不透明なキャリアへの迷い。もっと人に喜んでもらえる仕事がしたい。そんな衝動に突き動かされ、大谷氏はひそかに転職活動を開始する。とは言え、その頃はまだ保険の営業という選択肢は考えてもいなかった。
「きっかけは、ある転職フェアです。そこで、当社のマネージャーに声をかけられたんですよ」
渡された名刺には、愛着深いソニーの冠があった。同じグループだし、話くらい聞いてみるか。興味本位で受けた選考は、大谷氏の価値観を一変させた。
「ここで働く人たちの話を聞いていたら、人の優しさとか愛とか、そういう今まで忘れていたものがストレートに伝わってきたんです。14年間、頑張って仕事をしてきたつもりでしたが、正直、人から感謝されていることを実感できる瞬間はあまりなかったんです。今まで自分がやってきたことは本当に人の役に立つことだったのだろうか。そんな疑問が湧いてきました」
社長の腹心として海外に行くのだと話せば、周囲から羨望の眼差しで見られた。経営企画時代は、年齢も経験も上のマネージャー陣に指示や指摘をしてきた。優越感がなかったと言えば噓になる。だが、それで満たされるのは、小さな虚栄心だけだった。
けれど、営業は違う。お客さまに直接自分の言葉で想いを伝え、その反応も直接自分に返ってくる。人に喜んでもらいたい。感謝を実感できる場所へ行きたい。お客さまとの接点を持つ営業こそが、その想いを実現できる場だと気づいた。
未知の仕事への挑戦を後押ししたのは
それを是とするソニーのDNA
大谷氏には、妻と当時4歳になる娘がいた。転職の決意を打ち明けると、妻は驚きながらも応援してくれた。最後まで懸念を示したのが、妻の両親だった。安定を捨て、完全出来高制の世界に身を投じるのだ。しかも1年目の年収は、前職の半分。心配するのも無理はない。だが、大谷氏は本気だった。その熱意は、やがて義両親の心を動かした。
こうして営業マンとして再スタートを切ったものの、最初から順風満帆だったわけではない。むしろ1年目はなかなか芽が出なかった。友人だと思っていた相手に営業に行き、それきり関係が途絶えたこともあったと言う。だが、大谷氏の心は折れなかった。
「応援してくれる家族や両親の気持ちに応えたかった。自分のためではなく、誰かのために働いた方が人は強くなれるし、成果も出る。そのことを、僕はここで学びました」
やがて大谷氏は資質を開花させていった。バックオフィスから、顧客と直接対峙する営業マンへ。前職とは対照的な立ち位置にいるが、当時身に付けたビジネススキルは、入社5年目にして3年連続社長賞獲得という偉業を支えている。
「まずは、人の話を聞く力。僕たちライフプランナーは、お客さまの人生を預かる仕事。お客さまがお話しになるライフプランに、深く耳を傾けなければいけません。400人ものメンバーを取りまとめていたコールセンター運営など、これまでの数々のマネジメント経験で培った傾聴力は大きな武器になりました」
そして何より大きいのが、挑戦する気持ちだ。
「この仕事は、アントレプレナー、いわゆる個人事業主の世界です。僕はそれまでずっとサラリーマン企業でやってきた。だけど、残りのキャリアをどう生きてみたいか。そう考えたとき、挑戦しようという気持ちを止められなかった。やらないで後悔するくらいなら、やった方が絶対にいい。前職のソニーで染み付いた『新しい価値創造への挑戦意欲』のDNAが、営業活動においても動力源になっています」
顧客の話を自分の人生と錯覚してしまうほど相手に心から興味を持ち、高い目標へのチャレンジを厭わない、そんな真摯な営業スタイルのおかげで、大谷氏の契約者はみるみるうちに増えていった。
大谷氏の胸元には、青い花をあしらったバッジが輝いている。これは、顧客から「これからも頑張って」というエールをこめて贈られたプレゼントだ。営業はお客さまあっての仕事。相手に感謝の気持ちをもって向き合えば、おのずと感謝の気持ちが返ってくる。そんなWIN-WINの喜びを知ったのも、この仕事を始めてからのことだ。
42歳になった今、「60歳までのキャリアが見えない」という不安は、もうどこにもない。
「それは上から指示されて働くのではなく、自分で創造できる仕事をつかんだから。むしろこれからやりたいことを考えれば、あと18年じゃ足りないくらい。だからこそ、1日1日を大切にしなければと思っています」
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取材・文/横川良明 撮影/竹井俊晴
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