スペシャリストへの転機 ?Special interview 編?

鵜飼裕司氏
株式会社フォティーンフォティ技術研究所
取締役副社長

2000年、徳島大学大学院工学研究科博士後期課程を修了。コダック研究開発センターに就職し、組込みシステムの開発などに従事。2003年、米国eEye Digital Security社に入社。セキュリティー脆弱性の発見や、解析・攻略・保護手法の研究開発に携わる。2007年に帰国し、フォティーンフォティ技術研究所を設立

自分よりも優秀なエンジニアに囲まれ刺激を


Windowsなどのセキュリティーホールを次々と発見し、セキュリティー分野の第一人者として活躍している鵜飼裕司氏。当初はソフトウエアエンジニアへの道を歩んでいたが、大学院時代に研究室のワークステーションがハッキングされたのがきっかけにセキュリティに興味を抱いた。その後、自らが発見した脆弱性や保護手法について、海外のエンジニアと意見を交換し合うようになった。

そんな鵜飼氏が、セキュリティースペシャリストとして生きていくことを決意した最大のきっかけは、米国のeEye Digital Security社へ入社したこと。 「CTOから再三誘われ、渡米を決意しました。そこで、自分よりもずっと優秀な人間がたくさんいる環境に身を投じ、食らいついていったんです」

英語に苦労した鵜飼氏は、当初「ビクビクしていた」とか。しかも、米国企業は、常にレイオフの可能性と隣り合わせだ。そんな中、“結果”にこだわった鵜飼氏は、開発エンジニア時代から、自主的にリサーチの仕事にも参加。「日本にいる以上の努力が必要だったが、一度もつらいとは思わなかった」と振り返る。

鵜飼氏は、この「努力がつらくない」という要素がスペシャリストを育てるのではないかと話す。もちろん、努力の“結果”を自己発信していくことも必須だ。 「自作のフリーウエアを発表したり、コミュニティーに参加すると、知名度が上がります。すると、優秀なエンジニアとの接点も生まれるはず。彼らと切磋琢磨していく環境を活用してほしいですね」

現在、社内外でのスキルトランスファーにも注力中という鵜飼氏。技術を囲い込むのではなく、英知を出し合い、高め合える環境作りを目指している。

 

日本に帰国後、フォティーンフォティ技術研究所を立ち上げた鵜飼氏。経営者としての側面は、前職時代に日本市場への展開を目指し、客先などを回った経験が役立っているという。ただし鵜飼氏は、自分は技術者だと断言。現在は、新しいセキュリティー技術をもとに、既存のものとは構造が異なるセキュリティー製品の開発に力を注ぐ。この製品を世界に広め、米国のエンジニア仲間に刺激を与えるのが直近の目標だ


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