Q.田中さんは新卒で大手コンピューターメーカーに技術職として入社。どのような開発をされてきたのですか?
大学で通信工学を専攻していたこともあり、大手コンピューターメーカーに就職しました。入社当時はブロードバンドISDNといっていた時代で、北米向けの大型交換機のスイッチを開発。おもに回線インターフェースなどの設計をしていました。90年代前半はメーカーのプロパーの人が全体を見回して開発していたので、通信のトータルな技術が身についた。今思うと、ラッキーでした。今はネットの時代になり、開発もルーターはシスコみたいに分業されているので、大手にいてもそんなに技術力は身に付かないのかもしれません。
1日の平均スケジュール
8:00 | 起床 |
---|---|
10:30 | 出社 メール処理。西海岸本社とのやり取りが中心 |
12:00 | ランチ |
13:00 | 日本の顧客数社回る。技術議論を中心に打ち合わせ。フィールドテストをすることも。 |
19:00 | 顧客、べンダーの担当者と飲みに行く |
22:00 | 帰宅 米国本社へのメールを送る |
1:00 | 就寝 |
Q.10年後に外資系の携帯電話関連会社に転職していますが、どのような経緯だったのですか?
入社7年目に純粋な開発職から、プリセールスの技術職に異動。これが大きな転機になった。海外向け携帯通信システムを担当し、客先に赴き技術プレゼンをするのが仕事です。客先はアジアの奥のほう(笑)の移動体通信会社。僕はインドやバングラディッシュの担当でした。先進国と違い、通信システムだけでなく、場所の手配、基地局の電源、鉄塔まで面倒をみました。だから頻繁にインドとバングラを往復する毎日。実践的な英語力も、ここで勝手に身に付いた(笑)。たまたま命を受けて異動したのですが、僕的には非常に楽しい仕事でした。この海外プリセールスの仕事は携帯システムの入札書類を判断するのですが、それは装置を知らないとできない。結果的に、それらの能力が外資系への転職に繋がったのです。
携帯電話の開発は日本が世界をリードしている。いま日本のマーケットに外資のワイヤレスメーカーが入ってきて、優秀な人材を必要としているんです。片や日本メーカーの技術者は英語の問題と職が不安定になるリスクで転職しない。でも転職すれば年収はグッと上がる。30歳前半で年収600万円くらいだったのが、外資に行くと1000万円はラクに可能です。日本の技術者はみんなそれだけの技術を持っている。外資系は個人の技術力を市場価値で評価してくれますから。90年代後半、会社は大胆な成果主義を導入しました。でも結果としては、給料のパイが限られている。僕はスーパーAという最高ランクだったのに、ボーナス額で他の人より5万円高いだけでした。
Q.10年間、大手の安定した技術者だけに、スタートアップの外資への転職に抵抗はなかったのですか?
やはり評価システムへの不満もあったし、社内の他の部門との戦いもある。上の人がイキイキとしていない。一方、仕事で知り合った外資系の人は、しがらみなんかなく、即断即決で働いている。00年のことですが、学生時代の友人も大企業を捨ててベンチャーや外資に転職する人が出ていた。僕も転職してもいいかな、と。たまたま外資系のヘッドハンティング会社から声をかけられたのがキッカケでした。大手の東欧系移動体通信機器会社、シリコンバレーの通信会社など数社を紹介され、なかでもシリコンバレーのベンチャーは携帯電話の中にGPSを搭載するシステムの特許を持っていた。これが新鮮だと思って転職しました。年収が1000万円を突破するのも魅力でしたね。
Q.その外資ベンチャーではどんな仕事をしていたのですか?
転職先の日本法人は社員たった4人。働き方は劇的に変わりましたね。まず完全フレックスタイム。タイムカードから解放された(笑)。机も個人ブース。入社して、まず警備会社のGPS搭載の携帯端末を開発する仕事を担当。これがGPS携帯端末の世界第一号になったんです。開発期間が短く大変でしたが。開発はアメリカなので、日米を行ったり来たりして。その後、日本の2番手の携帯キャリアさんにGPSを導入しました。このベンチャーは米国の大手通信関連会社に買収され、その会社に昨年までいました。
昨年に転職。現在の会社は前にいた会社のライバルに当たるアメリカの通信ベンチャー。この会社は携帯の位置情報技術をGPSではなく、基地局からの電波などを使う方式です。GPSよりコストが安いのがメリット。僕はディレクター職として、この電波システムの日本のキャリアへの売込みをやっています。
Q.年収は30代で約1500万円。大手メーカーの技術者が外資転職で高収入を得る秘訣とは?
現在の年収は、アニュアルサラリー1440万円+成果報酬です。この会社はまだ日本法人の立ち上げ前の段階で、オフィスは六本木ヒルズ内の会員制の貸しデスクです。売込みに成功し、立ち上げがうまくいくかどうか、とてもハイリスクだと実感しています。でも、プロを極めていけばリスクが高くなるのは仕方がない。もう日本企業に戻るというイメージはもっていません。外資のカントリーマネージャーで年収2000万円を目指すしかないと思っています。
そのためには、今やっているビジネスを是が非でも成功させるしかないでしょう。やはり実績を積み重ねること。まず絶対的に必要なのは熱意。あとは、米国本社の意向と日本の客の意向の矛盾というハードルが常にあるので、本社を動かせることが重要です。本社は本社の意向を日本法人が通して当たり前と思っているから、そのハザマでうまく調整する。この調整能力があると、うまくいきやすい。外資といっても、社内での協調性もけっこう大事なんです。自分のミッションだけうまくやっていればいいというマインドでは成功できないと思います。技術者へのアドバイスとしては、まずは「外の世界」に触れてみることです。転職した人に話を聞きに行くとか。安定志向の強い人が多いのでしょうが、今は大手メーカーでも外資ベンチャーでも、会社が潰れるリスクは同じ時代なんですから。
『外資系転職やプロサラリーマンを目指すサイト』も運営している田中氏。その一方で「外資は厳しい」との本音も漏らす。だが、たとえ今の職がなくなっても、声をかけてくれる人はいる、という自信があるため、焦りや悲壮感はまったくないという。毎週、土日は9歳の息子とカート場に行きレースにハマっている。他に、趣味のスキーとサッカーはセミプロ級の腕前とか。社内でフラストレーションを抱える大手企業のエンジニアにとって、田中氏の生き方は大いに参考になるはずだ。
持ち物チェック
このバーバリのカバンひとつでアメリカに出張することも
海外でも通話できる携帯。大好きなF1のキーホルダー付