岡田武史氏日本代表を初のFIFAワールドカップ出場に導き、1998年FIFAワールドカップ本大会でも指揮を執った。2007年から再び日本代表の監督を務め、10年のFIFAワールドカップでチームをベスト16に導く。現在は日本サッカー協会副会長を務める
サッカー岡田武史氏、柔道野村忠宏氏が語る、結果を出すための2つのメンタルコントロール術
日々数字に追われる営業マンに、精神的なプレッシャーはつきもの。コンスタントに売上を積んでいくためには、多くの重圧に打ち勝つ必要がある。そんなとき、どのように気持ちをコントロールしていけばいいのだろうか。
スポーツ、文化、ビジネスについて議論するイベント『官民ワークショップ』で、サッカー元日本代表監督・岡田武史氏、柔道金メダリスト・野村忠宏氏による「プレッシャーに勝つ」というテーマのトークセッションが行われた。
「2007年にオシム監督の後任として急に代表監督の依頼がきて、最初の試合がワールドカップ予選だった時、『絶対引き受けたくない!』と最初は思いました。誰だって、プレッシャーから逃げ出したい気持ちってあるんですよ」(岡田氏)
「僕は負けたときのことばかり考えていますし、試合前日も、1、2時間しか寝られません。本来であれば正々堂々と戦うべきなのですが、ライバル選手の失敗を願ったり、何かが起きて試合会場が潰れないかなって考えたりしていましたから(笑)。常に戦いから逃げたい気持ちしかなくて。『勝負が楽しみ』と思ったことなんて一度もないです」(野村氏)
そう語るように、世界を舞台に結果を残してきた彼らであっても、期待や不安の重圧に打ち勝つのは難しいもの。彼らの話から共通する、プレッシャーに打ち勝つための2つのメンタルコントロールのポイントが見えてきた。
野村忠宏氏柔道家。アトランタオリンピック、シドニーオリンピック、アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる3連覇を達成した。2015年8月に現役引退を表明
メンタルコントロール術1
「今まで積み上げてきた自分」への自信を持つ
――2人は世界を舞台に活躍していますが、特にプレッシャーを感じるのはどのような場面なのでしょうか。
野村 世間の目を感じる時ですね。そもそも日本柔道って、世間の人から見て「金メダルが当たり前」という感覚があるスポーツなんですよ。「金メダルは当たり前、銀メダルだと残念」という世界だから、常に負けられない恐怖と孤独感を背負っていました。
――岡田さんの場合も、そういった国民からのプレッシャーがあったでしょう?
岡田 そうですね。まず私の場合、1997年のカザフスタン戦で日本代表のコーチとして遠征したのに、現地で急きょ監督に就任したという経緯があります。当時は41歳で監督の経験もなかったので、いきなりの大役に予想以上のプレッシャーを感じました。自分が監督になるなんて夢にも思っていなかったから、普通に電話帳に名前と住所を載せていたくらいです(笑)。
――当時は、監督として有名になるなんて想定していなかったんですね。サッカーだと熱狂的なファンの方も多いですし、期待も高かったのでは?
岡田 期待されている分、誹謗中傷や脅迫もありましたよ。さらに私の場合は、メディアからのバッシングも多かったんです。メディアの影響で私だけでなく家族も叩かれるようになって、「もう辞めてくれ」と子どもに泣かれたこともありますよ。あまりにバッシングがひどすぎて、自宅の周りに警察が常に厳戒態勢を張っているという異様な光景が続いていました。
――その時、岡田さんはどうやってその状況に耐えていたのでしょうか。
岡田 とにかく、メディアを一切見ないようにしていました。サッカーに勝つため以外の情報を断絶したんです。
――重いプレッシャーに耐えるために、「自分に不要だと思われるものはシャットアウトする」という方法を選んだということですか?
岡田 「私は外国人の監督だから日本語は分からない」と自分に言い聞かせていました(笑)。よく、他国の監督に、「自分の国の代表監督をやるなんて岡田はクレイジーだ」って言われていましたよ。例えば、フランスワールドカップの時。監督の私は、当時日本で大人気だったカズ(三浦知良選手)を代表から外しました。その時はブーイングの嵐で、私は一気に国民の嫌われ者になりました。それでも私はこれからずっと日本に住まなければいけない。自国の監督を務めるってこういうことか、と。あの時は気が狂いそうでしたね(笑)。
――確かに、あの時はバッシングがすごかったですもんね……。
岡田 それでも私には、「自分はとことんやってきた」という自信があったんです。日本代表が勝つにはどうすればいいのかというのを四六時中考えて、毎日ほとんど寝ていなかったくらいですし。なので、メディアの情報は見ず、自分だけを信じていました。
野村 僕は逆に、メディアや世論を調べちゃうタイプ。どんなことを言われていても、結果さえ出せば納得してもらえる、と分かっていたので。サッカーだとチームプレーですが、僕の場合、戦うのは自分だけですからね。
――結果を自信に変えていくスタイルなんですね。
野村 そうですね。結果を出しているのは自分だから、どんどん自信がついていくんです。
岡田 確かに、チームと個人では、捉え方は違うのかもしれません。それにしても、そう言い切れる野村さんはすごいね(笑)。私の場合は、「自分が持てる力を全て懸けて負けたなら、それはもう謝るしかないな」くらいに開き直っていました。まぁ、そう思えたくらいから、一段とプレッシャーに強くなれた気がしますけどね。
メンタルコントロール術2
自分なりの戦うスイッチを持つ
岡田 私は、ロッカールームで座禅を組むっていうルーティーンがあるんですよ。監督って、最後はもう自分の勘が全てなんです。だから、いかに自分が冴えている状況にするかというのを大事にしています。
野村 “戦うスイッチ”ってありますよね。僕も、畳に上がるときは、「金メダリスト野村」を自分で作るようにしていました。誰も僕に近寄るな、というオーラを出していましたし。
岡田 そうそう。勝つ状態に持っていくためには、スイッチを切り替えることって大切だと思う。
野村 試合会場に行くと、「あの選手強そうだな」と考えたり、注意力散漫になってしまうんです。それこそ、プレッシャーもすごく感じますし。でもそれを断ち切って畳に上がらないと勝つことはできません。そんなとき、僕はトイレに行って鏡で自分を見て、顔をバシっと叩くんです。そうすると、会場の声や相手の実力も全く気にならなくなるんですよ。
岡田 それに、「私は今までこんなにやってきたんだから、負けるわけがない」っていう自信も相まって、気持ちを切り替えられるんですよね。
野村 そうですね。僕も、柔道にかけた思いは誰にも負けないと思っていますから。その自信があってこそ、スイッチが有効になるんでしょう。
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プレッシャーに打ち勝つ、というのは、世界を相手に活躍してきた岡田氏や野村氏であっても難しいもの。だが、「自分がやるべきことをやった」という確固たる自信を持つこと、そして自分なりの戦うスイッチを持つこと、その2つこそがメンタルを強く保ち結果を出す上で大切な要素だと両氏は語った。これらはスポーツに限らずとも、日々現場という戦場に繰り出す営業マンにも使える思想なのではないだろうか。
取材・文・撮影/大室倫子(編集部)
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