51年間“勝負”に挑み続けた75歳元最年長オートレーサーに学ぶ、成果を出し続ける人の仕事哲学
公営競技の現役最年長選手として、51年間活躍し続けたオートレーサーがいる。2017年3月に引退した、谷口武彦氏だ。オートレーサーの平均年齢は43歳、他の競技に比べて選手寿命は長い方ではあるものの、谷口氏はそれを30歳も上回る75歳。運転免許の返納を考えてもおかしくない年齢だが、重さ100キロを悠に超えるバイクにまたがり、最高時速150Kmの猛スピードを駆け抜ける。それを支える肉体と精神力は、到底75歳とは思えない。
営業マンにとっても、モチベーションの浮き沈みやスランプの時期をいかにコントロールするかは、コンスタントに成果を上げられるかどうかの分かれ道。どうすれば継続的な成果を生み出すことができるのだろうか。半世紀以上も戦い続けきた谷口氏の仕事哲学から、そのヒントが見えてきた。
工場勤務から一念発起。24歳でバイクの世界へ飛び込んだ
子どもの頃から乗り物が大好きだったという谷口氏。中学卒業後は、迷わず地元の浜松で、ヤマハ発動機のバイク工場に就職した。そんな「普通の少年」だった彼が、なぜオートレーサーになる道を歩むことを決めたのか。チャレンジのきっかけには、谷口氏より一歩先にオートレーサーになった兄の存在があった。
「もともと僕の乗り物好きは、兄の影響が強かったんです。兄が持っていた自転車をこっそり借りて乗ったときの高揚感は、今でも忘れられません。だから兄がオートレーサーになった時、僕もどうしてもバイクに乗りたいという気持ちが湧いてきました。でも当時のオートレースは『ダート』という地面が土でできた競技場でレースを行っていて、防具もほとんどない状態でバイクを走らせる危険なスポーツ。親には『そんな危険なことを仕事にするのはお兄ちゃん1人で十分だよ!』と反対されました。だけどワクワクする気持ちは抑えられなかったんです。両親を説得し、会社を辞めてレーサーの学校に入って、24歳でプロデビューしました」
そこから365日、大好きなバイクのことだけを考える、辛くも幸せな日々が始まったのだ。谷口氏自身も「気付いたらこの年になっていたよ」と笑うほど、あっという間に月日は流れていった。
「本当は、40歳くらいになったら引退して商売でもやろうかな、なんてぼんやり考えていたんですよ。でも40歳になっても辞める気になれなくて。次は60歳になったら、65歳になったら辞めよう、と続いて。気付けば75歳になっていました(笑)。好きなことって、本当に飽きないんですよね。こんなに好きなことでお金をもらえるなんて、最高のキャリアだったと思います」
51年間の競技人生でビッグタイトルには手が届かなかったものの、自らの持つ公営競技最年長勝利記録を73歳280日に更新するなど、誰も成し遂げたことのない“勝利”を掴み続けた。
いつかは勝てる。そのために無駄なプライドは持たない、特別なこともやらない
“勝利”を掴んだとはいえ、大きなレースで優勝することは少なかった谷口氏。なかなか大きな結果が出ない中で、いかにしてモチベーションを保っていたのだろうか。
「『続けていれば必ずそのうち勝てる』というのが僕のモットー。試合に出続けていればビリになることも、1位になれることだってある。もちろんビックタイトルを取りたいという気持ちはいつでも持っているんですけど、そればっかり考えていたら嫌になっちゃうでしょ。だから楽な気持ちで、そのうち勝てるさって思っていればいいんです。逆に一流選手でプライドが高くなっちゃうと、結果が出なくなった途端に引退しちゃいます。僕はそういう人を何人も見てきた。もっと続けていれば、いつかは勝てるのにもったいないですよね」
そう笑う谷口氏だが、その勝利は決して運任せではない。コツコツと積み重ねていくルーティーンが、谷口氏の心の余裕を生んでいるのだ。
「若い頃からずっと、出場したレースの詳細な記録をノートに納めているんです。レースタイム、レース結果に始まり、天候やマシンのチューニング方法などを書いて、必ず振り返るようにはしていますよ。あとは毎日のウエイトトレーニングは欠かしません。つい最近もレース中に転倒して乗り上げ事故を起こしたんですが、身体は無傷でした。なかなか倒れない爺だな、って周りから笑われるくらい頑丈な体は、そういう毎日のちょっとした積み重ねの結果だと思います」
営業の現場に置き換えてみても、成果を出したいと思うと、個性的な営業スタイルやテクニック論に走ってしまいがち。しかし最も大事なのは、丁寧な対応やアポの回数など、誰もが知っているような基本を怠らないことなのかもしれない。
それでも、いつまでたっても成果が表れないと、さらに試行錯誤してしまうもの。しかし谷口氏は、あえて「特別なことは何もしない」ことが功を奏したのだと振り返る。
「あれもこれもって、手を出さないことが大事なんです。ビジネスの世界でも一緒だと思うけど、瞬発力ばかり求めていたらいつかガタがきてしまうでしょ。仕事って持久走だから、じっくり腰を据えて取り組んでみることも大事なんですよ。それに、いろんなことをやってみると、何が原因で勝ったのか負けたのか、分からなくなってしまう。だから僕は、日々の基礎トレーニングと、せっせと集めたデータを使って、地味だけど勝てる戦術を立てていたんです」
そうしたシンプルなPDCAをひたすら回し続けることの重要性は、ビジネスの世界となんら変わりはない。その根気強さこそ、谷口氏の強さの秘訣なのだろう。
「人生悔いなし」と、心から思える仕事を見つけてほしい
孫ほど年の離れた若手選手とも、肩を並べて勝負を続けてきた谷口氏。「僕はサドルに『もみじマーク』をつけてるのに、若い衆は少しも遠慮しないんですよ(笑)」とおどけて見せるが、勝負の世界で生きてきた人生の先輩として、若手に伝えたいことがあると話す。
「僕が若い人に言いたいことは『やりたいことがあればその世界に飛び込め。そしてのめりこめ』ということです。僕の座右の銘は、『無事これ名馬』。例え能力が高くなくても、長くレースに出続けることが大切だという教えです。昔の人がいっているように、“継続は力なり”なんですよ。好きなことならのめり込めるし、続けていれば必ず1位を取れる。単純かもしれないけど、そんな仕事を見つけることが、満足できる仕事人生を送る秘訣じゃないですか」
オートレースに夢中になった51年間。競技人生にはもう悔いはないと語るが、彼はここで”勝負人生”を終わらせるつもりはない。今度は、『日本一の長寿』を目標に日々を過ごすのだという。
「好きなことを続けていれば、結果は勝手についてくるもの。だから僕はレーサーをやめても、毎日2時間は筋トレして、30分は歩くことにしています。車やバイクだって乗っていますよ。トレーニングも好きだし、やっぱり乗り物も大好きだから辞められないんです。あと、去年亡くなった妻もあの世できっと『ボケ防止のためにもう少しトレーニング続けなさいよ』っていってくれている気もするしね。次は日本一の長生きを目指して、細く長くがんばっていこうと思います」
どんな営業マンも、仕事を続けていれば壁にぶつかることもあるし、落ち込むこともあるだろう。そういう時には焦ってあれもこれもやらなければ、ともがいてしまいがち。しかし、勝利への最短ルートなどない。
短期で結果を求めるのではなく、時間を忘れるほど好きだと思える仕事にのめり込み続けること。それこそがモチベーションに左右されない仕事をつくり、人生を豊かにしてくれるのだと、谷口氏は身をもって教えてくれた。
取材・文・撮影/大室倫子(編集部)
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