森本千賀子を“リクルート史上最も売った女”に変えた一通の手紙―「可愛いだけ。ノリだけ。そんな営業はすぐにダメになる」
「何か大きな仕事をする前に、下積み経験って必要ですか?」――各界で活躍する識者たちに、“若手時代の鍛え方”について聞いていく本特集2人目は、リクルート累計売上歴代トップを記録した“伝説の営業ウーマン”森本千賀子さんだ。
森本さんは新卒入社1年目にして営業成績1位、全社MVP を果たし、以来受賞歴は30回以上。NHKの人気番組『プロフェッショナル〜仕事の流儀』にも出演した。そして2017年、25年間に渡るリクルート生活に終止符を打ち、自身の名前を冠した『株式会社morich』を設立。まさに自分の名前で仕事をするビジネスパーソンの一人だ。
「ビジネスには、下積み経験が必要だ」と断言する森本さん。とにかく無我夢中に走り続けていたという若手時代を振り返ってもらいながら、そう語る理由を聞いた。
「あなたは営業を舐めている」ターニングポイントになった、ある社長からの手紙
「自分の名前で仕事をしろ」、「自分のブランドをつくれ」。営業マンならよく耳にする言葉ではあるものの、体現できている人はあまりいないかもしれない。森本さんが今まさに自分の名前で仕事ができているのは、入社間もない頃に出会った社長の存在が大きい。
「新規開拓営業を開始して1カ月が経った5月、流通業界の小売りビジネスを手掛ける3代目のオーナー経営者のアポが取れて、3時間ほど他愛のないお話をしました。それがきっかけで可愛がってもらえるようになり、社長が営業のロープレ相手になってくれたり、知り合いの企業を紹介してくれたんです」
早々に良い縁に恵まれて順風満帆だったのかと思いきや、森本さんの誕生月の7月、社長から大きなダンボール箱が届く。このプレゼントが、森本さんのターニングポイントになった。
「約20冊の経営書やビジネス本、歴史小説と、1通の手紙が入っていました。てっきり励ましのメッセージかと思ったら、これが辛辣で。『新入社員はかわいがってもらえるし“わかりません”でも許される。女性だからあと3年は“かわいい”でも受け入れてもらえる。でもそれを超えたら賞味期限は切れ、天井を迎えて、いわゆる薄っぺらい営業で終わるだろう。あなたは営業を舐めている』といった内容。あえてビシッと言ってくれたと今でこそ思えるんですけど、当時はとてもショックを受けました。でも思い当たる節はあったんですよね。私は外国語学部の出身で、経済や経営を全く学んでこなかった。だけど比較的怖いもの知らずの大胆な性格だから(笑)、楽しく会話ができちゃうし、お茶飲んで談笑して『営業ってこんなものなんだな』って思っていたところがありました」
勉強しないと駄目だ――。慕っていた社長からの厳しい手紙にハッとしたものの、送られてきた本の内容はさっぱり分からない。そこで、中小企業診断士の資格を勉強すれば一通りの財務やマーケティングの基礎がマスターできると助言を受け、すぐにスクールに申し込みに行ったという。週末には専門学校に通い、朝から晩までひたすら勉強した。
「目の前のお客さまへの責任を果たすためには、1年目だからって甘えていいわけじゃない。1年目だろうと10年選手だろうと会社の顔・代表であるのは変わらない。経験はすぐに得られるものではないから、まずは知識です。勉強して、本を読んで、気持ちを入れ替えました」
素直に勉強して知識を得たことで、それまで「点」だった情報が「線」になり、「面」となり、ビジネスに対する理解はどんどん深まっていく。当然、商談での会話の内容もこれまでとは別物になった。
「商談時の話題として、お客さまが『どうサービスを提供しているか』のビジネスモデルで会話をするケースが多いですが、本当に大事なのは、その先の「マネタイズ」の構造。『価値提供の対価としての代金をユーザーからどう得ているのか』まで考えを及ぼさないと、お客さまの真の価値は分からないし、課題も見えてこない。マネタイズの構造を正しく理解し深堀りできるようになると、会話の質も高まって、お客さまの本質的な価値や課題を理解できるようになるんです」
またその知識は、“見た目とのギャップ”という武器としても使えたと話す。
「関西人の母から、『あなたはそんなに美人じゃないから、色で記憶に残しなさい』と教えられていたので、いつも原色の赤やピンク、黄色のスーツを着ていたんです(笑)。するとどうしてもチャラチャラした、いかにも薄っぺらいタイプに見えるみたいで。ただ、話し始めると『あれ?意外とよく分かってるかも……』と感心してもらえる。マイナスからプラスの印象に転嫁することが信頼に発展する。GAPや意外性は、信頼関係をつくるために大事なんだと学ぶこともできました」
「悔しくて、恥ずかしい。身の丈を超えた仕事をしましょう」
「ビジネスにおける良質な血と肉をつくるために、下積み経験は大事」と森本さんは話すが、毎日定時に出社し、与えられた仕事をこなしているだけで、なんとなく下積み感がある会社員。そんな毎日を“良い下積み”に変えるためには、どうすべきなのか。
「同じ時間を使うなら、一つ一つの行動の質をいかに上げるかが重要です。とはいえいきなり効率的にはできないから、最初は量をこなす必要があるでしょう。何が良質なのかを嗅ぎ分ける嗅覚が研ぎ澄まされていくし、優先順位も見えてくる。近道はないということです」
そして、若手時代という“武器”を最大限に活かすべきだと語る。
「これまで出会ったエグゼクティブクラスのビジネスパーソンの方が口を揃えて言うのは、『今の自分があるのはスポンジのように吸収できる20代があったから』ということ。実績も経験もブランドも、仕事で培ったプライドもない。何もないからこそ、捨て身で挑める。挑戦すると当然、修羅場や逆境、試練と向き合うことになる。それを乗り越えようと努力する、工夫もする。変化対応力やレジリエンス力が養えたのはそういったチャレンジがあったからこそ……と言われていました」
試練や修羅場を得るためには「自分の身の丈を超える挑戦・チャレンジをして、恥ずかしくて悔しい思いをすること」が大事だ。
「私は入社3年目まで採用難易度が高い流通業界を担当していたんですが、ようやくこれまでの成果が出るタイミングで異動になったんです。理不尽さを感じて『こんな会社、辞めてやる』と思っていた時に、たまたま奇遇にもご縁のあったリクルート創業者の江副さんから『“創る”の意味を調べてみろ』と言われました。そうしたらある辞書に、『壊すこと』と書いてあったんです。これまでの再現ではなく、新しい価値の創造…いわゆる新たな自分の価値を創り出そうと思ったら、過去の成功体験を全部捨てろ。そんなことを言いたかったんじゃないかなと思って、異動を受け入れたんです。結果的にはその異動がターニングポイントとなって大きく成長できたし、その経験が今の自分に繋がっていると思います」
「No」を言わないビジネス人生が、チャンスと“森本千賀子の応援団”を生んだ
新卒1年目から営業成績1位、全社MVPを受賞し、誰もが認める売れっ子だった森本さんだが、意外にも地味な下積み仕事も積極的に行ってきた。
「入社1年目の頃から、朝一番に出社して、皆の机を拭いていました。机の上に置いてある先輩の資料を見て勉強もしちゃったりしてね」
「そんな雑用は無意味」と甘く見ることなかれ。“そんな雑用”から、森本さんは数多くのチャンスを掴んできた。
「何か人にやってあげると、必ずブーメランみたいに恩返しが何倍にもなって還って来るんですよ。リターンを狙ってやっていたわけではないけど、小さい頃からそんなことを祖母から教わってたので、頭と体で分かっていました。例えば誰よりも丁寧に議事録を書いたら『見やすいし、助かるから』と新入社員ながらにプロジェクトに入れてもらえたり。些細なことでも、それが自分のブランドになっていくのを体感していたんです」
地味な仕事にも取り組み、できる限り「No」を言わないビジネス人生を過ごした結果、“森本千賀子の応援団”があちこちにできた。
「頼まれごとや相談に対しては、基本的にどんな状況でも応えてきました。不思議なもので、自分が応援してあげた相手は、私の応援団にもなってくれる。だから今回の株式会社morichとしての“独立”に対しても恐れはなかったんです」
25年間連れ添ったリクルートの看板を自ら外した今も、森本さんはこれまで以上に活躍の幅を広げている。 だが、「ビジネスを知らないまま『営業って楽しい!』で一時的に売れちゃってたら、今の私はいなかった」。そう振り返る通り、自らの血と肉をたくましく鍛えた20代が彼女のベースをつくっている。
仕事を始めて3年目、5年目……と経験を重ねるごとに、新人の頃の悔しさや恥ずかしさからは遠ざかっていくもの。だがそんな時にこそ、あえて身の丈を超えて自分に試練を与える。その経験は、何十年と続くビジネス人生において、かけがえのない糧になるはずだ。森本さんのキャリアが、それを証明している。
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取材・文/天野夏海 撮影/大室倫子(編集部)
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