

鈴木 賢(すずき けん) 1985年生まれ、埼玉県出身。慶応大学卒業後2008年にリクルートへ入社。無料情報誌やwebアプリ版R25などの編集・制作にかかわる。2012年、睡眠障害、うつ病を併発し会社を辞めミャンマーへ渡る。ステイジアキャピタルミャンマーに参画してヤンゴンの不動産開発に携わった後、2017年にゼンソリューションを創業。現在は引越し事業や建設資材販売などを中心に展開している。
私の10年来の友人である鈴木賢さんが、ミャンマーで起業したと聞いたのは約5年前。「fledge」でライターをすることが決まった時、真っ先にインタビューをお願いしようと思ったのが彼でした。
世間ではまさにエリート!と言われるような道を歩いてきた彼が、なぜミャンマーへ渡ったのか。綺麗事だけでは語れない、たくさんの思いが詰まったインタビューです。
※この記事は、『働き方メディア Fledge(フレッジ)』より転載しています。
鈴木 賢(すずき けん) 1985年生まれ、埼玉県出身。慶応大学卒業後2008年にリクルートへ入社。無料情報誌やwebアプリ版R25などの編集・制作にかかわる。2012年、睡眠障害、うつ病を併発し会社を辞めミャンマーへ渡る。ステイジアキャピタルミャンマーに参画してヤンゴンの不動産開発に携わった後、2017年にゼンソリューションを創業。現在は引越し事業や建設資材販売などを中心に展開している。
鈴木賢(以下、鈴木):今、ミャンマーの経済は急成長中で、これから20年は上がっていくしかないような状況です。だからミャンマーには希望があって、明るい人ばかりですよ。ちなみにヤンゴンはバイクが禁止。移動は基本的に車ですね。
鈴木:僕は11歳までシンガポールにいて、1997年に日本に帰ったんだけど、そのときにアジア通貨危機が起きて。それでアジア全体がゴタゴタしたあとにシンガポールが高度経済成長期に突入。そのときの盛り上がりを肌身で感じて見たかったなーってずっと思っていました。これからそれを見れるアジアの国ってミャンマーしかないのかなって。それでミャンマーに来て、今はそのとき感じたかったダイナミズムを全身で感じています。
鈴木:会社を辞めた友人達と5人でミャンマーに渡って、元々はカレー屋をやろうとしていたんです。だけどその時期に物価が急激に上昇して。試作品も作っていたんですけど、とても利益を上げられない状況だったので中止にしました。でも「ミャンマーで事業をやる!」って言って会社を辞めてきてるし、もう引っ込みはつかない(笑)そこからは、5人でシェアハウスをして、1日100円で生活してました。しかも共産主義システムで、誰かが稼いできた金は5人で分配するっていう(笑)今思えば、こっちにきてからは常に人と違う生き方、働き方をしていますね。
鈴木:縁のあった不動産会社から不動産の仲介や開発を請け負っていましたが、開発の認可が下りないなどの事情で、食べていけなくなってしまい、独立して別のことをやるしかなくなりました。そこで、キャッシュフローや利益率の点から見て、引越し事業がすぐに始められる事業としては一番良いことに気づきました。尚且、ミャンマーで引っ越しの専門の業者もなく競合もいなかったんです。トラック屋はたくさんありますが、梱包もしないしただ運ぶだけなので、プチプチとダンボール持っていくだけでも喜んでもらえます。
鈴木:日本ではリクルートに入って4年半、最初は紙媒体をやっていて、その後はR25などのwebアプリの編集と制作をやっていました。
鈴木:自分の立場も上がってきている中で睡眠障害とうつを併発して、無断欠勤を何度もしてしまい、周りに迷惑をかけるようになってしまいました。会社と自分、どちらのためにも辞めたほうがいいなと思っていた時に、休職か退職のどちらかを選んで良いと言われた瞬間に、退職を選択しました。
鈴木:とにかく日本という国や周りから逃げたかったですからね。全部をリセットして、自分のことを誰も知らない人たちのところへ行きたかったんです。転職先としても、大手企業の新規事業など、魅力的な話はたくさんありました。でも当時は本当に症状がひどくて、また迷惑をかけてしまうのではという思いが強かったですね。こうやって話しているときでも、いきなりパーンって意識が飛んでしまったり、朝まったく起きれないってことが頻繁に起きてましたから。それで会社を無断欠勤しては、うつ状態になるという悪循環でした。
鈴木:周りのみんなに理解をしてもらうまでには時間がかかりましたね。4年半かけて関係を築いてきたので、今は自分に合った働き方を認めてもらえています。
鈴木:はい、いっぱいいますね。日本ではほとんどの企業で認めてもらえないと思うけれど、外資系の企業では守ってくれる人が多くいると感じますし、それぞれに合った働き方を認めてもらうしかないと思います。こういったメディアにインタビューされる人って、スーパーマンみたいな人が多くて「こんなやつになれねえよ」って人が多いじゃないですか(笑)でも僕はそんなに好きなものもないし、身の回り人にちょっと良いことができればいいなと思っているだけです。どうすれば心地よく生きていけるのか、その生活にはどれくらいお金がいるのかってことばかり考えています。
鈴木:毎日ディズニーランド並のワクワクを感じられます。つけ麺屋さんがオープンしたらそれだけで革命が起こったみたいにつけ麺の話題でもちきりになるし、LTEの回線が通ったときも、Youtubeが見れる!って感動していました。日本で生活していたらこんなこと絶対思わないでしょ?こっちに来てから、日本の当たり前が、実は超ハイレベルだってことに気がつきました。
鈴木:水道から出る水が飲める国なんてほとんどないですよ。コンビニもあってインターネットも快適で、日本で働く限り発展とか新しいことに出会えないんです。こっちにいると、小さなことが大きなニュースになるから、それをきっかけにみんな交流したり、業界を超えてコミュニケーションが取れる。
鈴木:本当にそうです。日本人同士でもそうだし現地の方とも近いです。ミャンマーで落としを物したら、気づいた人が教えてくれます。東京の電車で落としても誰も見向きもしないでしょ。コンビニに入っても絶対挨拶するのが普通なのに、日本で挨拶したら逆にびっくりされちゃいますもんね。
鈴木:そういう日本のドライさに耐えられないってのもありました。病気もあるけど、色々重なってもう無理だよ!って。こっちで交通事故に遭ったとき、そのときたまたま居合わせたタクシーの運転手さんが、最後まで付き添ってくれたことがあるんです。本当にただの善意だけでなんの打算もなく。そんなことがたくさんあるわけです。日本の都会では感じられない温かみがありますね。
鈴木:日本にいたときは、自分の存在価値ってなに?と疑問だったけれど、ここにいるとすごい人間でなくたって、役に立てる場があるし、こっちでは人がやってないことをやり続けることができるんです。
鈴木:子どもを預けるところがないので、託児所の事業もやりたいと思っています。とにかく困っている人を助けること。それしか考えていないです。こっちに来てからずっと、どんな小さなことでもめちゃくちゃ感謝されるんです。その小さな積み重ねで、生きてる意味や自分の存在価値を感じることができました。自分を信じてくれる人がいたから事業を始めることができたし、いくら周りに騙されるぞって言われても、僕はこれからも人を信じてやっていきます。
鈴木:人が喜んでいるところを見れるところ、あとは直接感謝をされるところですね。サイトのPV数とか、販売数とか、昔はそういう仕事をしていたけれど、少なくとも今のやりがいは数値ではなくなりました。
鈴木:そうですね。ミャンマーでいいなら来てみれば?って思います。僕でも、他でも、必要としてくれるところはいくらでもあります。そこをみつけて滞在してして普通に生活してみたり。とにかく日本じゃない国で生活してみることで、世界は広がると思います。
鈴木:そうですね。だって、全員が自分のことを知らないんだから、恥もくそもないですし、いきなり違う人生を送るのも楽しいですよ。日本だとどうしても、自分のキャリアとかプライドに縛られてしまいがちですからね。みんながみんな向いてるわけではないと思いますが、日本に疲れているとか、違和感を感じているのであれば、違う国で生活してみるのもいいと思いますね。
鈴木さんの言うように、海外に出てみると日本では感じられない人々の温かみを感じることは多々あります。私たちを囲む何もかもがハイレベルな日本では、無意識のうちに疲れを感じてしまい、自分以外のものに目を向ける余裕がなくなってしまっているのかもしれません。
鈴木さんの言葉とミャンマーの明るい雰囲気は「いつでも好きな場所で、人生をリセットしたっていいんだよ!」と背中を押してくれている気がしました。鈴木さんありがとうございました!
written by あさみ