キャリア Vol.690

退職の意思を伝えたら26歳で事業部長に抜擢。不満を行動に変えて、“離職率40→0%・売上5倍”を実現した男の話

叶えたい夢や、チャレンジしてみたい仕事はあるけど、なかなか自信は持てないし、タイミングだって分からない。そこで、20代のトップランナーたちが、どうやって“始めの一歩”を踏み出したのかを聞いてみた。今の活躍に到るまで、どんな不安や葛藤があったのか、そして踏み出した先には何があるのか−−。同年代の言葉に耳を傾けてみよう

会社の環境が嫌だ、上司が嫌だ、仕事内容が嫌だ……いっそのこと逃げてしまいたい。どんな人にだって、そんな気持ちに心当たりはあるだろう。それでも逃げることを選ばずに、今の場所に留まって精一杯やってみたら、自分の環境を良くすることはできるかもしれない。それを証明しているのが、株式会社ガイアックスの管大輔さんだ。

管さんは、当時事業部の離職率が約40%だったベンチャー企業のガイアックスに入社し、3年目で一度は転職を決意。しかし転職寸前で会社の課題を上司にぶつけたところ、同社史上最年少の26歳で事業部長に抜擢されることになった。その結果、会社の環境、更には自分自身の価値観までも変えることができたという。困難の場に留まることで、新たな一歩を踏み出すことができた彼のキャリアを紐解いてみよう。

浜田敬子

株式会社ガイアックス 
ソリューション事業本部長 ソーシャルメディアマーケティング事業部 事業部長 
管 大輔さん(29歳)

2013年、株式会社ガイアックス入社。転職寸前に会社の課題を本部長にぶつけたところ、26歳で事業部長に抜擢。働き方改革に取り組んだ結果、同社の離職率を約40%から0%に低下させ、売り上げを5倍にした実績を持つ

「量をこなして利益を出すなんてもう嫌だ」
仕事への不満を爆発させたら、まさかの事業部長に抜擢

――管さんはなぜ、新卒でガイアックスに入社されたんですか?

当時は「会社を辞めても、自分の名前で仕事が取れるような人材になる」ことが目標だったので、自己成長のために入社を決めました。就活生のときに「大企業に入社したら、チャンスを掴むにはまず社内競争に勝たないといけないんだろうなあ……」と思っていたんです。でもガイアックスは、当時事業部が10近くもあって、社員数は100人もいなかった。1事業10人程度の規模なら、社内競争を気にせずに、早いうちから挑戦できそうだなと。

――大学生のときから、「自分の名前で仕事がしたい」と思っていたんですね。

当時から、「自分以外の何かに依存した安定」は、本当の安定ではないと考えていました。僕は早稲田大学に通っていたんですが、大学名を伝えるだけでアルバイトの選考に受かったり、周りの反応が違ったりしたんです。早稲田じゃなくても優秀な人はたくさんいるのに、こうしてブランド力だけで自分の力が高まったように感じるのは危険だなと。同じように有名会社に入ってしまえば、本当の自分の実力に気付けないし、伸ばせないかもしれない。少なくとも僕は、ブランド力に飲み込まれてしまうと思ったんです。

――入社してからはいかがでしたか?

ソーシャルメディア運用のコンサルティングを担う部署に配属されて、いろんなチャレンジをさせてもらいました。毎日がとても刺激的でやりがいを感じていましたし、僕は自分の成果をあげることに人一倍貪欲だったので、結果も出せていたと思います。ガイアックスは「社会課題の解決を目指すスタートアップ」で、利益度外視でやっている事業も多い中、僕の部署は「利益をきちんと確保できる事業」という位置付け。だからとにかく売上を追って、皆毎日忙しくしていましたね。

――当時の事業部の離職率は40%だったと聞きました……。

そうなんです。皆大量の案件を抱えているので、とにかく疲弊していて。そりゃあ離職も増えますよね。でも組織の構造的に大きな改善もできず、ずっと「量をこなして利益を出す」というやり方が続いていました。僕は「もっと改善できることがあるのにな」といちメンバーながらに思ってはいましたが、自分の日々の仕事に追われて何もできずにいました。

――そこで、管さんも辞めようと思ったと。

会社への不満が爆発しそうなタイミングで、たまたま転職先が決まったんです。一緒に仕事をしていた大手企業の方から「うちにこないか?」と、お誘いをいただけて。給料も、当時もらっていた倍の年収を提示してもらえました。そこで会社の上司に「他社への転職を検討しています」と退職を切り出したんです。

株式会社ガイアックス 

――どんなことを話したんですか?

組織への不満を全て伝えました。いつまでたっても仕事量で稼がなければいけない組織構造、皆疲れていてチームの雰囲気は良くないし、辞めていく人の量だって半端ない。だから僕も辞めて新天地に行きたいんだと。それと同時に「もっと業務を効率化すれば、辞める人だって減るし、業績だって上がるはずなのに」と、今まで思っていたことを伝えたんです。

――上司の反応はいかがでしたか?

当時の役員に話をしていたんですけど、「そこまで言うなら、お前が事業部長をやって組織を変えてみたら?」と言われて。当時は確かに個人として成果は出していましたが、僕はマネジメントなんて一切やったことがなかったんです。「現場のことを一番分かってるやつがやればいいから」と言われたんですが、まさかの返事に驚いて、1~2週間かけてじっくり考えさせてもらいました。

――その期間に、管さんはどんなことを考えたんでしょう?

大企業に転職するのか、このまま会社に残って事業部長を受けるのか。2つの選択肢にはかなり迷いましたけど、「そもそも僕はなんでガイアックスに入ったんだっけ?」という自問自答を繰り返して、「転職はしない」という結論を出しました。

大企業は新卒の時にあえて避けていたこと、裁量が大きい会社で働きたかったこと。自分が本当にやりたかったことを考えるほどに、それはガイアックスだからこそ経験できるんだと原点回帰しました。結局、僕は転職先の給料の良さや知名度に惹かれていたし、ただ現実から逃げたかっただけなんじゃないかと思えて。「絶対に事業部長の話を受けて、組織改革の指揮を取るべきだ」と納得して返事をすることができました。

「自分の成果主義」から「仕事満足度主義」に変わったら、就任2年で離職率は40→0%、売上は5倍に

――当時26歳で事業部長。かなりプレッシャーもあったかと思いますが……。

始めは本当に何もできなかったので怖かったですよ。でも当時からいろいろな人に支えてもらって、何とか乗り越えてきました。僕を事業部長に引き上げてくれた上司には、毎週のようにレビュー(面談)の機会を設けてもらって。「○○さんにこんな質問をされていて、こう返事しようと思っているんですけどどう思いますか?」という細かい話から、「PL(損益計算書)の作り方を教えてください」ということまで相談に乗ってもらっていました。頻度は落ちましたが、このレビューは今でも続けてもらっています。

――事業部長になってからは、メンバー時代に抱いていた不満を解消するように、徹底的に働き方改革に取り組んだと聞いています。

そうですね。まず事業部にリモートワーク制度を導入したり、クラウドソーシングなどの外部サービスを使ってメンバーの雑務をアウトソースする仕組みをつくったりして、徹底的に業務効率化を図りました。

それらの改革の一番の目的は「事業部の業績をより上げる」ことだったんですけど、メンバーが「家族と過ごせる時間が取れるようになって本当に嬉しい」と言ってくれるようにもなって。本格的に働き方改革を始めて1年が経過したときには、メンバーの仕事への満足度は非常に高くなり、業績も2倍になりました。

――業績のための効率化の結果、メンバーの幸せにつながったんですね。

事業にもメンバーにも良い影響がありました。ワークライフバランスを保てるようになって幸せ度が増すと、さらに仕事でも成果を出そうと頑張ってくれるんです。そして2年目には、売上が5倍にまで上がりました。その頃には僕の事業部の取り組みが全社的に広がっていったので、会社全体で良いサイクルに入ることができましたね。

株式会社ガイアックス 

――今では事業部長を始めて3年が経ちましたが、就任前に思い描いていたイメージとの違いはありましたか?

事業部長になった当初は、自分が責任者になるからには完全に数字主義のトップダウン型の組織をつくっていくんだろうなと思っていました。ですが実際にマネジメントの立場になってみると、メンバーの満足度が一番成果に結びつくことが分かったんです。

そして満足度を上げるためにメンバー一人一人と話をするようになって、「生きていく上で一番大事なもの」の価値観は人それぞれ全く違うということを学びました。パートナーが大事な人、友人との時間が一番という人、子ども第一な人。中には、仕事はそこまで重要ではない、という人もいて。まだ独身で、仕事が一番大事だと思っていた当時の僕からすると、結構衝撃的な発見でした。そのことに気付いてからは、会社としても、それぞれのメンバーの「こうありたい」という生き方を尊重して、その生き方を実現できる組織をつくりたいと思い始めたんです。

――これまでは“自分の成果主義”だったのが、仕事のやりがいや意義を考えられるようになったと。かなりご自身の価値観が変化したんですね。

今は数字を達成するよりも、メンバーに「この会社に入社して良かった」と言ってもらえることの方がずっと嬉しいです。自分が何をもって幸せとか嬉しいと感じるのか、感情の振れ幅に気付くことができたので、個人の数字だけを追っていた頃よりも充実感がありますね。

“心地よく働ける仕事”は、うまくいく。
迷ったら「どちらが楽しめそうか」で選べばいい

――今の管さんが、事業部長として活躍される前の25歳の自分にアドバイスするとしたら、何を伝えたいですか?

自分で納得するまで考えることと、「ワクワクして、夢中になれること」を大事にすべきということですね。もし何かを選択しなきゃいけない場面があれば、「どちらが楽しめそうか」という視点で選んだらいい。

それはこの3年間で「心地良いと感じながら働いている人が多い組織は、良い方向にいく」と学んだから言えることです。そっちの方がお客さまにも貢献できますし、皆がハッピーになれますから。うちのメンバーにも、いつも同じことを伝えています。

――マネジメントする立場になってみて、分かったんですね。

あとは「圧倒的な成果を出して、貢献できる存在になっていれば、選択肢は広がるよ」とも伝えたいです。僕は当時会社の体制に不満はあったものの、目の前の仕事には全力で向き合っていました。だからこそメンバーや上司から信頼されて、自分の意見が通りやすくなっていたのかもなと。

ただ今振り返ると、当時の自分はまだまだでしたね。周りに影響を与えるような存在でもなかったし、本当に自分のことしか考えてませんでしたし(笑)

株式会社ガイアックス 

――今後はどうしていきたいですか?

事業部長になって4年目になり、今は社員の幸せや、自分の生き方まで考えられるようになりました。でも現状に甘んじることなく、そろそろまた一段階自分の力をアップデートしないといけないと思っています。

実は僕、3カ月前から家を引き払って「海外を回りながら仕事をする」スタイルを実験的に始めたんですよ。やりとりは全てオンラインで、時差を上手く使って仕事を効率化してみたら、もっと良い働き方が見つかるんじゃないかなと思って。よりワクワクする未来をつくるためにも、そうやってもっともっといろんなチャレンジをしていきたいと考えています。

取材・撮影/大室倫子 文/安藤記子


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