ライフネット生命・森亮介のスゴさ「20代で鍛えた“当事者意識”が自分を支えてくれた」
世界でも先駆けの“インターネットで手続きができる生命保険会社”として、2008年に出口治明さんと岩瀬大輔さんが創業したライフネット生命。出口さんは60歳でライフネット生命を起業し、新たな市場を開拓。岩瀬さんは37歳で代表取締役に就任、著書『入社1年目の教科書』(ダイヤモンド社)はベストセラーとなり、“影響力のある経営者”として世間の注目を集めていた。
そして現在代表取締役を務める森亮介さんは、28歳でライフネット生命に入社。2017年に出口さん・岩瀬さんを含む経営陣から指名を受けて取締役に就任し、翌年には34歳の若さで岩瀬さんから代表のバトンを引き継いだ。
「常に“憧れの人”がいて、その人とのギャップを埋めたいと思い続けていた」という森さんが、どのような20代を過ごし、そこで何を学んだのか話を聞いた。
就職の理由は「カッコいい!」の気持ちから。進路はミーハーに決めた
私は高校2年生くらいまで理系科目が得意な学生でしたが、当時流行っていたテレビドラマの影響を受けて検察官に憧れて(笑)。大学は法学部に入り、法律の勉強をしていました。ただ私は文系科目が苦手だったので、途中で法曹の道に進むのは難しいなと認識を改めました。
それで外の世界に視野を向けようと、ゴールドマン・サックス証券の就職説明会に参加。当時はいわゆる企業買収や合併の話題が新聞に出始めていた頃で、その黒子として活躍するM&Aアドバイザーという職業を知り、「かっこいい! こういう仕事をやってみたい!」と漠然とした憧れを持つようになりました。こう話すと、すごくミーハーに思われるかもしれないのですが……自分が素直に「カッコイイ!」と思えるかどうかが職業を選ぶ上での判断基準だったように思います。
職場はイメージしていたとおりバリバリと働くところでしたが、20代は修行の期間だと考えていたので、むしろ私はその環境に感謝していて。普通に過ごしていたら決して経験できないような濃密な時間を過ごせたことが、今でも私の支えになっています。
とはいえ、仕事を始めて最初はなかなか結果に結び付きませんでした。次々と成功事例をつくる同期もいるのに、私の場合はひたすら我慢の日々が続いて。2年目の終わりくらいになってようやく日の目を見る案件に出会い、そこから先は順調に成約につながる案件に数多く携わることができたと思います。
ライフネット生命に転職したのは、ニューヨークでの出来事がきっかけです。入社3年目の時にニューヨーク勤務の社内公募制度があって。「これくらい挑戦しないと、この先はないな」と考えて手を挙げたところ、上司のサポートもあって、あれよあれよと転勤が決まりました。
そしてニューヨークにいる時にクライアントから「日本企業のライフネット生命という会社が面白いらしいね」と聞かされました。その時にライフネット生命について徹底的に調べてみると、とても魅力的な事業だと惚れ込んでしまって。
28歳で、ちょうど今後のライフスタイルを見直したいと考えていた時期だったこともあり、心機一転、新たなチャレンジをすることを決めました。
入社1年目で「先輩に手伝わせてしまった」ことを激しく後悔
私が20代の頃の出来事で、今でも原体験になっているのは社会人1年目の終わりに経験したプロジェクトの失敗です。大事な案件が佳境に入ったときに、新人だった私は「自分でできます」と引き受けた仕事が積み重なって処理できなくなってしまい、あるタイミングで任せられた仕事の手綱を離してしまいました。
自分でできなかった作業は先輩が手伝ってくれて何とか終わらせることができましたが、結果的にプロジェクトは失敗してしまったんです。直接の要因は、クライアントに大きな決断をさせられなかったことであり、当時一番下の立場だった私はあまり関係がないようにも見えるのですが、当時の私は強烈に「自分の責任」だと感じていました。
新人の自分は、本当は上司の仕事を奪い取るくらいの仕事をしなければいけなかった。私ができる仕事は全て巻き取って、上司は私にはできない一段上の仕事をするべき。そうすればさらに上の人に余裕ができて、一番上の上司はクライアントに決断をさせるためのコミュニケーション等に力を注げたはずなのです。
しかし自分が手綱を離した瞬間に、ところてん式に全員が下をカバーしなくてはならなくなったという実感があり、それがものすごく悔しくて。プロジェクトが失敗した時に号泣したことを今でも覚えています。
その後、我々が手掛けるはずだったプロジェクトのニュースが別の企業によって実現したという記事が新聞の1面に出て。私はその記事を切り抜き、5年以上ずっと自分の机の前に貼っておきました。それを見ると、本当に悔しかった思いが蘇ってくるからです。
本当に私が自分の仕事を手放してしまったことが原因で案件がダメになったかというと、その因果関係は分かりません。でもそれからというもの、「全てのことを、自分ごと化してものごとを見る」ということを信条にしています。何事も常に自分の問題として捉え、どう行動すべきかを意識するようにしてきました。
こうして1社目で社会人としての基礎を教えてもらった私が、ライフネット生命に転職してからは、企画部で対外的な案件の対応を行っていました。その後、「ライフネット生命の商品開発に込めた価値観は、もっと世の中に広まっていいはずだ」と考え、自ら営業部門に異動を希望したんです。
営業本部長としてクライアント対応の日々を送っていたところ、突然34歳になって代表取締役に選ばれました。代表就任の話は完全にサプライズで、いきなり前任の岩瀬に部屋へ呼び出されて言われて。もちろん戸惑いもありましたが、後継者として信頼してくれたことは素直にうれしかったですね。
遠い将来のことより、目の前の仕事に集中しよう
仕事にはかなり真剣だった分、20代はよく泣いていましたが(笑)、振り返って後悔はしていません。前職時代の先輩がよく「反省すれども後悔せず」と言っていたんですが、まさにそうだなと思いますね。
入社1年目で手綱を手放してしまった時も、「もう二度とああいうことをしないようにしよう」と心に誓い、その後同じ失敗はしていません。悩みが出てきたときも、正しいか正しくないかよりも、「これを逃したら後悔するだろう」と思った方を選ぶようにしています。
一方で、私はあまり計画的な方ではなくて、長期的な自分のキャリアを考えるのはすごく苦手です。よく面接や上司との面談の時など「将来は何をしたいの?」という質問を受けると思いますが、そういった問いに答えるのが苦手で。
20代の頃は、3~5年ぐらいの周期で「憧れる人像」が変わっていました。学生時代に憧れたのはドラマの中の検察官でしたし、前職への入社当時は直属の先輩。その方は専門的なテクニカルな知識だけでなく、初対面の人にも胸元に飛び込んでいけるのに、時にはすごく厳しい交渉もできて。その憧れの先輩の行動を真似するように働いていました。さらにライフネット生命に転職した時も直属の上司をベンチマークしていました。振り返ってみると、身近な人をお手本にしていますね(笑)
30代になった今は、誰かに憧れるというよりも、「こうありたい」と自分の目標像を考えて仕事に取り組むようになりました。20代の頃は「こうありたい」が自分の中に思い付かなかったから、身近なかっこいい人を手本にしていたのだと思います。
憧れの対象があると、その人とのギャップを考えて埋めたくなって、そうすると自ずと「自分に足りない部分を強化しよう」と目標を立てるようになりますよね。
「この人みたいになりたい」と思って差分を埋めるように働いていると、必ず本来の自分より少し背伸びをした仕事をすることになります。努力しないとその差は埋めることができないので、がむしゃらに働かなくてはならなくなるんですよね。
時にはどこに向かっているのか分からなくなったり、「こんなことをしていいのかな?」と不安に思うことも非常に多かった。でも、その時に気付いたのは、そうやって「精一杯仕事をしていると、絶対に見てくれている人がいる」ということです。
少し背伸びをした努力を積み重ねていくと、応援してくれる人が自然に増えてきて、いつか大勝負する時にいろいろな人が助けてくれるようになります。おそらく、今の私があるのも、そういった自分を見てくれる人たちがいたからではないでしょうか。
だからこそ遠い将来のことを考えるより、前を向いて目の前のことに必死になって取り組むことが、何より大切だと考えています。遠い将来のキャリアを考えることも時には必要ですが、それよりも直近の2~3年間をどう過ごしていくかを真剣に考えて、何か問題があったらそのときにまた改めて考えればいい。まずは目の前の仕事から、ということを20代の方にはアドバイスしたいと思いますね。
取材・文/キャベトンコ 撮影/赤松洋太
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