キャリア Vol.841

“ダメ社員”がヨーヨー界初のシルクドゥソレイユ演者になるまで「25歳までは、死んでるも同然でした」

“イイ20代の過ごし方”って何だ?
30代を迎えるとき、かっこよく、自分らしく働いていられるかどうかは、20代の過ごし方次第。だから聞いてみたい。つい憧れてしまう、イキイキと働く先輩たちに。「イイ20代の過ごし方って、何ですか?」

18歳でヨーヨーの世界大会で優勝し、30歳で日本人初のスピーカーとして「TED」に登壇。その翌年から、史上初のヨーヨーアーティストとしてシルク・ドゥ・ソレイユのツアーに出演し、ソロ演目を熱演。そして今年、「世界で活躍する日本人」として小学校の英語教科書に掲載されることが決まったBLACKさん。

この経歴だけを見ると輝かしい道のりを順調に歩んできたように思えるが、実は大学卒業後に一度は就職し、“普通の会社員”生活を経験している。「20代前半はどん底だった」と振り返るBLACKさんに、30代で自分の夢を掴むまでの道のりを聞いた。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

東京都出身。2001年、米国フロリダで行われたヨーヨー世界大会で優勝。青山学院大学卒業、2年間のIT企業勤務を経てプロのパフォーマーとして独立。13年、日本人初のスピーカーとして『TED』に登壇。14年より、シルク・ドゥ・ソレイユ『KURIOS』に出演。シルク史上初のヨーヨーアーティストとしてソロ演目を担当し、500回以上のショーを好演。20年に「世界で活躍する日本人」として小学校の英語教科書に掲載される

「ダメ社員」のレッテルを貼られた世界チャンピオン

僕は14歳のときにヨーヨーと出会い、大学1年生で世界チャンピオンになりました。とはいえ、一般社会での僕の評価が変わったわけではありません。

ヨーヨーの世界では有名でも、普段の生活ではオリンピック選手やプロスポーツ選手のように注目されることもない。だから大学時代は、「ヨーヨーで食べていくのは無理だろう」という現実と向き合いながら過ごしました。そして周囲が就職活動を始めると、僕も同じように始めたのです。

本音では「世界一にまでなったのに、普通に就活するしかないのか」と思いましたよ。でも迷って出遅れたら不利になる一方だったので、「とりあえず」という気持ちで何となく始めてしまった。

とりあえず複数の企業にエントリーし、IT企業にエンジニアとして内定をもらうとすぐに承諾、就活を切り上げました。

これは「この会社にぜひ就職したい」と思ったわけではなく、「一刻も早く就活を切り上げ、ヨーヨーに注力したい」という短絡的な考えで、最初に内定をくれた同社に決めたに過ぎませんでした。

本来なら、就活は自分の生き方と向き合う良い機会だったはずです。でも当時の僕は、自分の人生と真剣に向き合うことから逃げてしまった。それは大きな反省点です。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

こんな調子ですから、働き始めてからも仕事は楽しくないし、成果も出せない。当時の僕は、間違いなく社内随一のダメ社員でした。実際に上司からはっきり言われたこともありました。「君はダメだね」と。しかも本当にその通りなので、何も言い返せない自分がすごく情けなかったことを覚えています。

ヨーヨーの世界ではカリスマ的存在だったけれど、その狭い世界の外に出ると、何の役にも立たない。自分は生きている価値のない存在なのだと感じて、毎日がつらくて仕方なかった。

仕事は業務量も多く、終電で帰る日々が続いていました。オフの時間も頭が疲れすぎていて思考することができず、ただ休むだけ。「今の環境は、会社にいようがいまいが、生きているとは言えない。まずはこの環境を脱しなくては」。そう考えるようになったんです。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

ただその時点でもヨーヨーを仕事にできるとは思えなかったので、会社員という雇用形態は維持しつつ、職種を変えようと考えました。エンジニアという職種が自分に合っていないだけで、他の働き方ならまた違うのかもしれない。そう思い、人材紹介エージェントに相談に行ったのです。

転職するにあたり、これまでの人生の棚卸しをすることになりました。本来なら就活のときにやるべきだったことを、ここでようやく取り組むことになったわけです。

その結果、気付いたのは「自分は人の役に立ちたいのだ」ということ。

当時は、自分だけでなく後輩のヨーヨーチャンピオンたちもまた、社会から十分に評価されているとは言い難いと感じていました。そこで、「もし自分がシルク・ドゥ・ソレイユのような世界的な舞台に出演できれば、ヨーヨーに対する社会的評価も高まるのではないか」そう考えたんです。

自分のやりたいことは「エンジニア以外の会社員」ではなく、ヨーヨーの社会的評価を高めること。それこそが、自分ができる「人の役に立つこと」であり、自分にとっての幸せなのだと気付いたんですね。

結果的に「会社員としての転職」ではなく、「ヨーヨーパフォーマーとしての独立」をするという決断をしました。

「いつシルクに呼ばれても恥ずかしくない自分になる」

とはいえ、その時点でもヨーヨーで食べていける保証がないことに変わりはありません。

「それなのによく決断しましたね」と言われることがありますが、会社員時代の僕は死んでいるも同然だったので、どんな道を選んでもこれより下がることはないという気持ちでした。生きていると実感できる状態に戻れただけで、僕にとってはプラスだったのです。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

「シルク・ドゥ・ソレイユの舞台に立つ」という目標を達成したのは、会社を辞めてから6年後の2013年、30歳のときのこと。つまり20代後半は、目標に向けてひたすら研鑽を積んでいた時期、と言えますね。

シルク出演という目標を達成するまでには、日々の地道な努力はもちろん、ターニングポイントとなる大きな出来事もありました。

例えば、憧れていたシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーの方に会えたこと。その方はジャグリングの世界では神様のような存在なのですが、幸運にも僕がパフォーマーとして独立した年に初来日しパフォーマンスされる機会があったので、ぜひ生で見てみたいと思い、開催地の静岡まで足を運びました。

幸運は重なり、パフォーマンスへのアドバイスをもらうこともできました。彼に僕のパフォーマンスの映像を見せると、「ヨーヨーの技は悪くないが、体さばきはダメだね。ダンスを習うといいよ」と言ってもらって。

実は「ダンスで体さばきを矯正すべき」というのは以前から気付いていました。けれど僕は小さい頃から運動が苦手で、二の足を踏んでいたんです。しかし神のお言葉でしたから(笑)、25歳でバレエを習い始めました。

25歳からバレエを始めたというと「もう遅いのでは?」と思う人も多いと思います。

僕自身もそう思うことはありましたが、ダメ元で鍛錬を重ねた結果、姿勢の矯正・柔軟性の向上につながり、シルク・ドゥ・ソレイユのダンス審査合格にも大きく寄与しました。

何を始めるにも遅すぎることは無いのだ」という学びは、今も自分の行動指針に影響を与えています。

また、彼と一緒に食事をする機会もあったのですが、同じ鍋を囲んで「神様も普通にご飯を食べるんだ」と感じた経験も大きかったと思います。

それまでは「彼のようになれたらいいけど、僕には無理だろうな」と自分と神様の間に壁を感じていましたが、実際に会ってみて「神様も普通の人間なら、同じ人間である自分もこの人に近づけるかもしれない」と思えた。この気付きは、初めから諦めずに夢に立ち向かう原動力となりました。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

次のターニングポイントは、ようやく掴んだ「シルク・ドゥ・ソレイユのオーディション合格」に“ほとんど意味がなかった”こと。

実は、オーディションに合格してもすぐに舞台に立てるわけではなく、何千人もいる候補者のリストに加えられただけだったんです。契約などもは何も無し。

しかもシルクの既存のショーにヨーヨーパフォーマーの出演枠はなく、今後新しいショーをつくることになったら呼ばれることもあるかもしれない、という程度の可能性しかありませんでした。

オーディションには合格したのに、正式なアーティストではなく契約も無い。目標である「シルク・ドゥ・ソレイユ出演」に対し、ある意味アプローチ方法が途絶えてしまったようにも感じました。

少々モチベーションが下がる思いもありましたが、声を掛けてもらえる可能性もゼロではない。それよりも、今の自分のパフォーマンスは、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の看板を背負うには不十分ではないか? いつ呼ばれてもいいように、自分を高めるべきではないか。

それこそが、本来の目的である「ヨーヨーの社会的評価を上げる」ために今取り組むべきことだと気付きました。

だからこれまで以上に技を磨くのはもちろん、金属加工会社と交渉して舞台で映える特注品の大きなヨーヨーを開発してもらったり、作曲家に依頼してオリジナルの音楽をつくってもらったりと、「これが自分の作品だ」と思えるパフォーマンスづくりに打ち込みました。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

使用している特注のヨーヨー。「使い心地だけでなく、色や大きさなどこだわって設計しています」

「幸せの定義」を決めれば、人生の選択がラクになる

そんな中、一つの大きなチャンスが巡ってきました。世界最高峰の講演会とされる「TED」が史上初のオーディションを開催することを知ったのです。

TEDも社会的影響力が大きい舞台ですから、ここに出演すればヨーヨーのイメージアップという目標に近づけるのではないかと考えました。そしていつかシルクの舞台で披露しようと温めていた演技をオーディションで実演し、日本から唯一の合格者として採用されたのです。

TEDの本番で披露したヨーヨーパフォーマンスも高い評価を頂いたので、その成果を伝えようと映像をシルクに送りました。すると「すぐにでもショーで使いたい」と返事がきて、半年後にカナダで開催された単発のイベントに出演。

それが好評で、さらに半年後にはシルクの長期公演に出演が決まり、史上初のヨーヨーアーティストとしてソロ演目を任されることになって。こうして、僕は会社を辞めたときに掲げた目標を達成することができました。

ヨーヨーパフォーマー BLACKさん

「シルク・ドゥ・ソレイユ出演」という目標を達成できたのは、もちろん多くの幸運にめぐまれた部分も大きいです。なので、「サラリーマンを辞める決断は正解だったか」と聞かれると、簡単にYesとは言えません。それは結果論です。

ただし「不幸せと感じる現状からの脱却を図った」という行動は正しかったと思います。サラリーマンとして転職するにせよ、パフォーマーとして独立するにせよ、一度きりの人生の中で「自分の幸せを大事にする」のは、正しいはずですから。

だから今、将来のキャリアに迷っている20代の人たちにも、自分の「幸せ」の定義を見つけてほしい

自分は何が好きで、何に喜びを感じるのか。どのように生きるのが、自分にとって幸せな人生なのか。それをできるだけ早い段階で明確にしておくと、その後の人生における選択がラクになるし、後悔しなくなります。

すぐに幸せの定義が見つからない人は、経験の母数を広げることをオススメします。まずは好き嫌いせず多くを経験することで、自分の「好き」の方向性が見えてくるでしょう。

僕も決してアクティブなタイプではありませんが、「ここはチャンスだな」とか「ここは動かなきゃダメだ」とピンと来たら、絶対に行動することにしています。憧れの人にアドバイスをもらえたことも、バレエを始めたことも、TEDに応募したことも。全ては過去の行動が、今の僕をつくっていることは間違いありません。

取材・文/塚田有香 撮影/赤松洋太


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