キャリア Vol.859

【めがねシャチョウ】新卒で外資系金融→スタンフォードを出て気付いた”バカ高い目標”の大切さーー日本最大級メガネ通販Oh My Glasses清川忠康

“イイ20代の過ごし方”って何だ?
30代を迎えるとき、かっこよく、自分らしく働いていられるかどうかは、20代の過ごし方次第。だから聞いてみたい。つい憧れてしまう、イキイキと働く先輩たちに。「イイ20代の過ごし方って、何ですか?」

服、シューズ、家具、家電とあらゆるものがオンラインで手に入るようになり、ここ数年で小売業界は大きく進化。しかし、視力検査や試着が必要な「メガネ」は、一昔前まで「ネット販売は無理」と言われていた。

その常識を覆し、「オンライン発のメガネ屋」として急成長したのが『Oh My Glasses』だ。自宅でメガネを‟とことん試着できる”仕組みをつくり、いまでは日本最大級のメガネ・サングラスのオンラインストアに成長した。

仕掛けたのは、創業者の清川忠康さん(37歳)。清川さんは大学院を卒業後、外資系証券会社、コンサルティングファームを経て、スタンフォード大学留学中にミスタータディ(現オーマイグラス)を創業。もともと小売やメガネ店の経験はまったくない。

なぜいわゆる「エリート街道」をひた走ってきた彼が、メガネ屋を立ち上げ、業界の風雲児となったのか。そこには清川さんが20代に掲げた「35歳までに成功したい」という大きな野望があった。

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

1982年大阪生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、インディアナ大学大学院に留学。UBS証券、経営共創基盤を経て、スタンフォード大学経営大学院に留学。在学中に株式会社ミスタータディ(現オーマイグラス株式会社)を創業、代表取締役に就任。主な著書に『スタンフォードの未来を創造する授業』(総合法令出版)。Twitterでは「めがねシャチョウ(@tadkiyokawa)」として起業論などを熱くつぶやく。YouTubeも若い世代を中心に注目を集めている

「35歳までに、世の中にインパクトを残せる仕事を」焦り続けた20代

僕が何となく「人生の目標」を決めたのは、高校生のとき。その頃は楽天の三木谷(浩史)さんや、DeNAの南場(智子)さん、ホリエモンさんなどいわゆる「ネット第一世代」が活躍していました。30代半ばでビジネスで成功して、世の中にインパクトを残している姿に強烈に憧れて、僕も彼らのようになりたいと思ったんです。

大学に入ってからは、「ネット第一世代」の共通項を洗い出して、自分も同じような経験を積んでいこうと考えました。そしたら「外資系コンサルティングファームか、外資系金融企業で働いていた経験がある」「ハーバードやスタンフォードなど海外の有名大学でMBAを取っている」人が多いことが分かって。

それで20歳のときに、自分の人生の大きな目標を「35歳までに、世の中にインパクトを残せる仕事をすること」と明確に定めました。そのために必要な中期目標は「外資系金融・コンサルの経験を積むこと」「スタンフォード大学でMBAを取ること」と決めたんです。

目標を立てた時点では、とにかく焦っていましたね。だって当時の僕の英語力はTOEIC500点くらいで、大学受験レベルにも満たないくらいのもの。外資系に就職するのも、スタンフォード大学に留学することも、このままでは到底無理なレベルでした。

それから本格的に英語の勉強を始めて、海外の大学院にも留学。学生時代はこれでもかってくらい勉強しましたから、就活では外資系金融企業の中でも特に仕事が厳しいとされる証券会社に入ることができました。

一流の人たちに囲まれて「ここで将来に必要な知識や経験をつけよう」と考えていましたし、MBA取得のためのスタンフォード留学に向けて勉強もしなければならない。文字通り「寝る間も惜しい」って感じです。

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

「このままじゃやべーぞ、と思って必死に勉強しました」

外資系金融に入って1年後にはコンサルティングファームに転職し、ビジネスの知識も着々と身に付けていました。

でもその時、すでに20代半ばです。外資系企業には入れたけど、スタンフォードにはまだ受かっていなくって。これからスタンフォード大学を出て、ビジネスモデルを考えて、その事業で世の中にインパクトを与えるくらい成功させる。これを35歳までにやるには、あと10年くらいしかありません。

「これは時間がないぞ」と、どんどん焦りは募って、とにかく仕事をこなすことと勉強に心血を注いでいました。

普通の若手社員なら、目の前の仕事がうまくいかなかったり、人間関係で悩んだりして立ち止まってしまうこともあるのかもしれませんが、当時の僕は「そんなことどうでもいいから、とにかく早く成長しなきゃ」って気持ちでいっぱいでした。

そしてやっと、死ぬ気の思いで勉強を続けて7年目、27歳でスタンフォードビジネススクールに合格したんです。満を持して、いよいよスタンフォードに行ける。これまでの思いがやっと報われたんだと、意気揚々と留学したことを覚えています。

「自分が目指している山頂よりも、もっと高い山」に衝撃をうけた

スタンフォード大学で僕が人生最大の衝撃を受けたのは、世界の「トップ・オブ・トップ」たちの姿でした。周りの同級生はみんな、20歳そこそこで人柄も良く仕事もできる。すでに起業して自分のビジネスをGAFAに売却している奴までいました。

「トップ・オブ・トップ」には、こんなすごい世界が広がっていたんだ――。それまで近所にある標高300mの山しか知らなかった人間が、自分なりに考えた「ものすごい高い目標」を必死に駆け上った結果、その先にはもっとすごい「エベレストという山」があったことを初めて知った、それぐらいの衝撃でした。

こんなにスゴイ人たちが世の中には存在するんだ。日本でもそれなりに優秀な人たちに囲まれてきたつもりでしたけど、それは井の中の蛙だったことに気付いたんです。

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

「しかもそういう人たちって、演劇やスポーツなど課外活動も抜群にうまくて、もちろん誰もが成績優秀。『パーフェクトヒューマン』だらけだったんですよ」

彼らにも認められるようなビジネスを作らなければ勝算はない。必死に考える日々が始まりました。並行して、世界最高レベルの経営・起業に関する授業を受け、ビジネスプランをインプットし続けていました。

そこで思いついたのが、日本のメガネです。もともと自分がメガネ好きってこともありましたし、海外から見た「メイドインジャパン」のブランド力の強さに気付いたんです。特に、福井県鯖江市の高品質なメガネフレーム『鯖江メガネ』は世界で見ても最高品質だと思いました。

その頃は「メガネはECで売れない」といわれていましたから、強力な敵もいません。そこで、いよいよ30代が迫ってきた29歳の時、スタンフォード在学中に、ECメガネショップ「ミスタータディ」を創業しました。今の「オーマイグラス」の前身企業です。

全国どこでも5本まで試着できる、返品も無料、さらに直営店でアフターサービスを受けられる。そんな独自のサービスを提供して、メガネとECをかけ合わせれば一人勝ちできると踏んだんです。

当時そこまで徹底してオンラインに振り切ったメガネショップもほとんどありませんでしたし、何より扱っているのは最高品質のもの。おかげで創業から3年でオフラインでショップを構えるまでになり、いまでは日本最大級のメガネ通販サイトへと成長することができました。

もちろんいまはまだ道半ばですし、35歳も少し過ぎてしまいました。でも37歳になったいまは、日本のメガネをブランドとして世界に広めるという新しい目標を掲げ、そのプロセスをひたすら歩んでいるところです。

また、いまはライフワークも兼ねて、自分のビジネスや留学の経験をYouTubeTwitterで発信することで、後進の育成にも力を入れています。「35歳までに世の中にインパクトを」という目標が叶ったかは正直微妙なところですが、ある程度は自分が描いていた人生を歩むことができていますね。

今の時代は“バカ高い目標”を高く持つことが圧倒的な差別化になる

僕の20代は、とにかく高い目標を掲げ、それを達成するためだけにひた走ってきました。

目標が達成できたことも嬉しいのですが、一番の成果は、その先に広がっている「もっとすごい世界」を20代のうちに知ることができたということです。一回トップを目指して走ってみなければ、その先にどんな世界が広がっているかなんて分かりませんからね。

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

よく「20代は目の前の仕事を頑張ろう」とか、最近だと「好きなことを仕事にしよう」っていうじゃないですか。でも、そんなのきれいごとだって僕は思うんですよ。

だって、目の前の仕事とか、自分が考えられる範囲の「好きなこと」に取り組んでいたって、未来は広がっていかない。僕だって、20歳そこそこの時に考えていたことなんて、今思うと「ちいせえな」って感じです。

だから視点を高く持って、「いまやりたいこと」じゃなくて「未来のためにやるべきこと」に20代を捧げた方がいいと思います。

もちろん、「やるべきこと」ばかりに追われる毎日はつらかったですよ。僕は「やりたいこと」や「好きなこと」なんて、一つもやらなかっですから。いまだから言えますけど、金融機関の仕事だって全然好きじゃなかったですし。それでも振り返れば、あの時先を見続けていたからこそ、いまの自分があるんです。

「そんなに急ぐ必要ある?」って思うかもしれませんが、30代になると家族ができたり体力がなくなったりして、20代のような働き方は難しくなってきます。事実、僕ももう若い頃のときのようには働けないですし。寝ないで仕事をするなんて、ずっと続けられないですから。

むしろ、もっと生き急いでもよかったと思えるくらいです。受験のときから慶應じゃなくて東大を狙っておけばよかった、20代前半でスタンフォードへ行って世界トップレベルの環境を見ていればな、と後悔することもあります。そうすれば、キャリアをロケットスタートさせられただろうし、もっと早く事業を軌道に乗せられたかもしれないのにと。

オーマイグラス株式会社 代表取締役CEO 清川忠康さん

いまって、そんな風に高い目標を掲げて、意識高くがむしゃらに突き進む若者って少ないですよね。だから僕がこういうと「そんなの氷河期世代の戯れ言でしょ」って言われちゃうかもしれない。

でも、僕はあえてそんな時代だからこそ、バカ高い目標を掲げて頑張れる人は、他の人と圧倒的に差別化できるんじゃないかと思います。

いま、会社が休業中とか、在宅業務中で「将来どうなっちゃうんだろう」って不安にかられている20代は多いのではないでしょうか。

だからこそ5年後にどうなりたいのかを真剣に考えて、いまから何か始めてみるとか、10年後のために必死で勉強してスキルを磨いておくとか、そういう人がこれから先の世界で圧倒的な差をつけられると思います。

20代のうちは、死ぬほど高い目標を掲げてそこに向かうための努力をする。そして、自分が上っていた山よりももっと高い山を見つけて、またそこを目指してみる。しんどいことも多いですが、そんなキャリアもいいと思いますよ。

取材・文/石川 香苗子 撮影/桑原美樹


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