キャリア Vol.921

「ピザ屋始めるので会社辞めます」消去法でピザ職人になった男に探る“自分の道“の探し方

“イイ20代の過ごし方”って何だ?
30代を迎えるとき、かっこよく、自分らしく働いていられるかどうかは、20代の過ごし方次第。だから聞いてみたい。つい憧れてしまう、イキイキと働く先輩たちに。「イイ20代の過ごし方って、何ですか?」

人材サービス企業の営業職として働いていた新卒4年目のある日、「ピザ窯を車に積んで商売する」と決意。翌日に退職届を出し、ピザの作り方もよく分からないまま開業準備を進め、ナポリピッツァの移動販売屋台『Pizza Bakka』をオープン——。

そんな一見無謀に思える転身をしたのが、店主の硲由考さんだ。

ピザの作り方は完全に自己流で、YouTubeや本、あらゆるピザ屋に通って技術を盗んだ。それにもかかわらず、鮫洲に出店した『Pizzeria Bakka M’unica』は、今や『食べログ』で注目のピザ店として3年連続「百名店」に名を連ねる人気ピッツェリアとなった。

とんでもない情熱や転機があってピザ職人の道を志したのかと思いきや、決め方はなんと「消去法」だったという。そんな硲さんの話には、「自分にとっての特別な何か」を見つけるヒントがあった。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

2007年、株式会社キャリアデザインセンターに新卒入社。11年に同社を退職し、約1年の準備期間を経て、12年個人事業主として独立。車にピザ窯を積んだナポリピッツァの移動販売屋台『Pizza Bakka』を開始。2014年法人成りをしてバッカ株式会社を設立。16年に鮫洲に店舗『Pizzeria Bakka M'unica』をオープン。コロナ禍では、焼きたてのナポリピッツァを自宅で楽しめる「おうちでピッツェリア」の新サービスや、冷凍ピッツァの販売をスタート
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20代の自分は超バカ。あんなヤツ、絶対一緒に働きたくない

僕は人材サービス企業での営業経験を経て、ピザ屋を始めました。ただ、ピザ屋になろうと決意する瞬間まで、ピザ屋になる気なんてさらさらなかったんです。

そもそもやりたいことがなく、もっといえば働きたくなかった。とはいえ大学を卒業したら稼がなきゃとは思っていて、当時はその選択肢には「サラリーマン」しか思いつきませんでした。

やりたいことが特にないので、せめて素をさらけ出せる会社に入ろうと、面接では自分の言葉で話すように心掛けていました。その結果「志望動機こそありませんが何でも頑張ります」というスタイルに落ち着いていって(笑)。就活では100社以上落ちたんですよ。たまたま面白がって採用してくれた前職に入ったけど、入社理由は素の自分を受け入れてくれたからでした。

入社後の自分を振り返ってみて思うのは「超バカだった」ってこと。行動力こそあれ、何も考えていなかったからですね。戦略というものが皆無で、「エンジンだけはものすごい、ハンドルのない車」と言われていました(笑)。あんなバカなヤツ、僕だったら絶対一緒に働きたくない。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

「Bakkaって名前の由来は『バカ』なんですよ」(硲さん)

そして、入社して1年経ったくらいから、このままサラリーマンやっていくのか?っていう思いが芽生えていきました。結果が出せない時ほど「本当にこれは俺が望んでいる道か?」と、悶々とすることが増えていきましたね。

入社して3年も経てば転職する同期も出てきて、「今いる会社だけが全てじゃない」ことにも気付き始め、浮かんだのが「独立」という選択肢。

とはいえ、営業で結果を出せていない自分が、そもそも独立して何ができるの?とも思って。独立っていう選択肢に憧れながらも、目を背けて転職活動をしたこともあります。

「ピザ、独立、誰もやってない」三拍子揃ったアイデアが命綱に見えた

そこからなぜ「ピザ屋で独立」という選択に至ったかというと、単純に消去法で残ったから。

ボクサー、政治家、小説家、お笑い芸人……と、独立して一人で始められそうなことを無心でリストアップした後、「できる・できない」「やりたい・やりたくない」って軸で選択肢を絞っていったんです。

「小説は好きだけど書くのは無理」「政治家は興味ない」。そうやって消していって、最終的に残るのはいつもピザ屋だけでした。

僕にとってピザは、めちゃくちゃ好きな食べ物。4歳の誕生日に初めて宅配ピザを食べて以来、ピザは「年に1回、誕生日に食べられる特別な食べ物」になり、学生時代にはアルバイト先で食べた窯焼きピザに感動して、社会人になってからもずっとピザが好きでした。

別に特別ピザ屋がやりたいわけじゃなかったし、ピザはバイト先の賄いで作らせてもらったことがある程度。それでも「これだけ好きなんだから、俺こそ一番うまく作れるだろう。俺がやらなきゃ誰がやる」みたいな、根拠なき自信だけはありました(笑)

ただ、なかなか踏ん切りはつかなくて。普通にピザ屋をやるのではなく、人とは違うことがしたかったし、今ほど知名度がなかった「ナポリピッツァ」を広めるにはどうしたらいいか、長いこと悩んでいたんです。

ナポリピッツァを知らないから、そもそもお店には来ないし、ナポリピッツァを啓蒙するような売り方をしないと意味がない。だったら、お祭りみたいな場面で売ったら気になって食べてくれるんじゃないか? でもそのためには窯を持ち運ぶ必要がある……あ、車に積めばいいじゃん!っていう。

それで車にピザ窯を積んで、ナポリピッツァの移動販売をしようと決めました。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

横浜赤レンガ倉庫でのイベント出店時の写真。車の中にはピザ窯が積まれている

それならピザだし、独立だし、誰もやってない。完璧だ!と、翌日上司に「ピザ屋になるので会社を辞めます」と伝えました。報告した会社の人たち全員から「え?」って聞き返されましたね。まぁ、何言ってるかわかんないですよね(笑)

それでも「ピザ、独立、誰もやってない」の3つが自分の中でぴったりハマって、悩んでいた自分にとってこのアイデアは命綱のように見えたんです。必死でしがみつくような感覚でした。

まぁ、実はピザの移動販売をやってる人はすでにいたってことが、後で判明するんですけど(笑)

「うちの店ならでは」がないと、営業トークはできない

会社を辞めてからは、とりあえず思いつく限りやるべきことをリストアップして、スケジュールに落として、オープンの時期を決め、行動していきました。

会社にいた頃は戦略性なんて全くなかったのに、不思議と自分でやるとなると考えるんです。ケツに火がついたことで考える力が動き出したんでしょうね。

同時に、ひたすらピザを作りました。前職の同期の実家の庭に自作のピザ窯を置かせてもらって、そこでピザを焼いて、同期の両親に試食してもらって、また焼いて……の繰り返し。マズいピザを死ぬほど食べさせられて、お二人は災難だったと思います(笑)

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

同期の両親の協力を得て、根拠なき自信から生み出されたBakkaのマルゲリータ

よく「お店で修行はしなかったのか」って聞かれるんですけど、修行って結構無駄が多いと思うんです。ピザを作る以外の仕事が大半だし、生地やピザ窯に触ることすら難しい場合もある。

それに、どこかで教わっちゃうとその店の味がどうしてもベースになりがちです。だったら、自分が納得できる、他にない味を創り出すことに徹底的に時間をかけようと考えました。とにかく最短距離で独立するために、今必要じゃないと思ったことは徹底的に排除しましたね。

当時は不安もあったけど、それ以上にドキドキとわくわくがすごくて、自分でも制御しきれなかった。暴走機関車みたいなもんです。

ただ、何とか開業できたところまでは良かったんですけど、そこで一回満足しちゃったんですよね。貪欲に仕事を取りに行くのは最初だけ。夏は暑いし、昼ドラはすげー面白いし、サボり始めちゃって。

通帳からどんどんお金が出ていって、残高が10万円を切ったところで「俺、ダサすぎるじゃねーか!」と。超しょうもなかったですけど、サラリーマン時代に培った「やれることは全部やる」の精神でとにかく行動しました。そこからは雨の日以外休まなかったです。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

「最初からやれよって感じですよね」(硲さん)

30歳になる頃には仕事も軌道に乗って、当時は主に渋谷の路地裏で営業しながら、フェスなどのイベントに呼んでいただくことも増えました。むしろ忙しすぎてちょっとしんどいくらい。

いただくお仕事の規模的に一人じゃどうにもならないことも増えて、それで最低限の人件費を生み出せるだけの場所を用意しようと、元々住んでいた鮫洲に店舗『Pizzeria Bakka M’unica』を出したんです。

「お店を出す夢が叶ったね!」と言ってくれる人もいたけれど、実は夢でもなんでもなくて。あくまでやりたいのはキッチンカーで、それを続けるための店舗だったんです。

ただ、やり始めたらやっぱり中途半端は嫌。店は店で納得いく形をがっつり求めてこれまでやってきました。

鮫洲のお店が受け入れられたのは、味もあるけど、とにかく「差別化」にこだわってきたからだと思っています。「他のピザ屋とどう違うのか」に明確に答えられないのであれば、うちの店だからこそ味わえる普遍的な価値がないじゃないですか。

ピザ窯にこだわっている、自家製ビールがある、囲炉裏がある……そういう「うちの店ならでは」の要素がないと、お客さんにも営業トークはできません。お客さんのニーズを考えて、強みを打ち出して、どう売るか考える。この発想は営業時代に教わった考え方がベースになっているなと思います。

少ない経験値よりも「楽しい」を基準に、もっと自由に生き方を選んだ方がいい

差別化の視点って、サラリーマンにとってもすごい必要な視点だと思っています。仮に自分を商品に見立てた時に、他者より自分がどう優れているのか、明確に説明できるのか。説明できない人は、能力的にも考え方的にも、経営者や上司から見てぼんやりしている人が多いように思います。

20代でサラリーマンをやっていた頃を思い出すと、当時の僕には「辞める=積み上げてきたものを失う」という怖さが少なからずありました。だけど、今はそれってめちゃくちゃ無駄だと思っています。「積み上げたもの自体に価値があるか」が本質なわけで、価値がなければむしろすぐにでも捨てた方がいい。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

同じように悩んでいる人は、「今取り組んでいる仕事で身に付くことが、他者との能力の差別化につながるのか。自分の希少価値を上げることにつながるのか」を考えるといいんじゃないかと思います。

自分を磨くことに時間を使うことが大切で、「長くいる」こと自体に全く価値はない。このことにもっと早く気付ければよかったと、その点は僕自身反省があるんです。根拠のない“退職への恐怖”は、食べ終えた味のしない果実の芯を大切に握りしめているようなものかもしれません。

そして同時に、「自分が本当にやりたいことは何か」を自問自答し続けること。経験を生かす転職に縛られるのではなく、自分がやりたいことを選択することが、とても重要だと思っています。

例えば料理人との面接でよく質問するのが、「料理好きですか?」です。この時に即答できなかった人とは、だいたい面接ではなく人生相談が始まります(笑)

料理の経験しかないから、そこにしがみつきたいのは分かる。だけど、本当にそれでいいのか。特に20代の若い人であれば、少ない経験値よりも「楽しい」を基準にして、もっと自由に生き方を選んだ方がいいんじゃないでしょうか。

「とはいえ生活にお金は必要だし……」みたいな考えに陥って、やりたいことは心の奥底にしまってしまいがち。だからこそ自分の本心は、「お金が稼げるかどうか」を排除するとわかりやすいと思います。やりたいことと稼げるかどうかはリンクしないことが多いですしね。

そうやってやりたいことが見えてきたら、やりながらやり方を修正していけばいいし、むしろそれしか方法はないと思うんですよね。

そこでいうと僕の場合、大好きなピザでこれからも商売を続けていきたいけれど、今はコロナショックで飲食店はこれまでのやり方じゃ通用しなくなりました。

新しく焼きたてのナポリピッツァを自宅で楽しめる「おうちでピッツェリア」というサービスをスタートさせたり、冷凍ピッツァの販売を始めたりと試行錯誤する毎日です。まさに走りながら修正しているところ。どうすれば楽しいこと、やりたいことを続けていけるのか。それを考えるのは苦しくもあり、楽しくもあります。

Pizza Bakka 店主 硲由考さん(35歳)

だからこそ20代の人に伝えたいのは、自分の価値を客観視して、今やっていることが差別化につながっているかを振り返ること。そしてすごく普通の言葉になっちゃいますけど、「やりたいことをやる」ってこと。

改めて思いますけど、自分がここまで無心に打ち込めることに出会えるのは、奇跡みたいなもの。それは決してお金では買えません。僕にとってのピザのような、無心で打ち込める何かに出会えたのなら、「とにかく飛びついちまえ!」と思いますね。

取材・執筆・編集/天野夏海 撮影/赤松洋太


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