「わくわくさん、仕事の夢中ってどうしたら見つかるの?」30年以上工作に没頭する久保田雅人さんに聞いてみた
今の自分は、仕事に「夢中」になっているか。それとも「ほどほど」にこなしているか……。改めて自分に問うと、自信を持って「夢中」と言えないことに、なんとなく後ろめたさを感じている人は多いのではないだろうか。
オタクと言わんばかりに仕事にのめり込む周囲の同僚を見て、「自分もあんな風に夢中になりたい!」と思っているのなら、あの“わくわくさん”の言葉を聞いておいて損はないはずだ。
わくわくさんこと久保田雅人さんは、1990年から2013年まで続いたNHKの番組『つくってあそぼ』のメインパーソナリティー。ゴロリとの軽妙な会話から生まれる楽しい工作は、23年に渡って子どもたちを魅了し続けてきた。読者の中にも、『つくってあそぼ』や子どもの頃の工作を通じてものづくりの楽しさや喜びを知った人は多いのでは?
そんな久保田さん。「とにかく人生を夢中で生きてきました」と満足げに語るが、最初から夢中だったわけではなかったという。元劇団員の久保田さんは何がきっかけでわくわくさんになり、夢中の人生を歩むことになったのか? “夢中の権化”、わくわくさんの世界にようこそ。
※この記事は姉妹媒体『エンジニアtype』から転載しています
「真剣に夢中になった者だけが生き残れる」劇団で知った現実の厳しさ
大人になると、なぜか夢中になれる人って減るんだよね。最初はどんな人も希望を持ってその世界に入るんだけど、現実の厳しさを知ると心が折れちまうんだ。思っていたよりも活躍できなかったり、周囲から向いてないって言われたりするのがきっかけでね。
自分が所属していた劇団では、役者を目指していたけれどもドロップアウトしてしまう人を山ほど見てきた。実際に板を踏んで稽古をすると、実力のなさに気付くんだな。理想と現実のギャップを突きつけられるうちに、最初はあんなに大きかった夢があっという間に小さくなってしまう。
そんな状況でも現実に負けないためには、やっぱり夢中にならなくちゃいけない。それは「バカになる」ということでもある。夢中って「夢の中」と書きますよね? 先が見えない状況でも、自分の夢の中に居続けるバカみたいな状態を「夢中」と呼ぶんだ。
厳しい現実の中で生き残っていくには、真剣に夢中になる必要がある。そのことを自分は、劇団に入って初めて知ったんだ。
今の仕事に夢中になれない人の中には、周りの優秀な人に対して劣等感を感じている人も多いんじゃないかと思う。私自身は、役者時代は劣等感ばかり抱えてたな。
アニメ声優としてのデビューが決まったとき、私は山寺宏一さんと同じ作品に出演したんだ。その時私は主役だった。ところが3カ月後には上下が逆転……。笑っちゃうよね。実力の差を見せつけられたよ。
それでも、親の反対を押し切ってこの世界に入ったもんだから、簡単には後に引けない。エキストラの仕事で食いつなぎながら、5年ぐらいはもがいたな。劣等感は抱えつつも、失敗を失敗と認めて次に活かそうと必死だった。
で、ある日偶然、久保田雅人はわくわくさんになるんです。
同じ劇団に所属していた声優の田中真弓さんが、NHKのディレクターさんに「新しい工作番組の出演者を探しているんだけど、いい人はいない?」と聞かれたときに、自分を紹介してくれたんだ。「ものづくりが得意で、喋らせると面白いから」って。もともと私は工作が好きで、劇団で使う大道具やら小道具やらを全部作っていたんですよ。
それでオーディションを受けたら、受かってしまった。わくわくさんというのは番組における一つの役ですから、これはテレビ番組の主役の仕事をいただいたも同然。ぜひやらせてくださいと言いました。
ところが後で聞くと、そのオーディションに参加したのはどうやら私一人だけだったみたいなんです。「何人も見るのは面倒だったから」と、ディレクターさんは言っていました(笑)
それを聞いて、本当にありがたいなと思いましたね。このディレクターさんに出会えたのは完全に運ですよ。運が巡り合わせてくれた人の期待に応えたい。そういう思いを持ち続けていたことも、後でわくわくさんに夢中になれた理由の一つだと思うんだよね。
「わくわくさん」に夢中になるまでに3年。自分が納得できるまでに10年
張り切ってわくわくさんになったものの、最初はひどいもんでしたよ。一体どうすれば子どもたちに工作の楽しさが伝わるのか、全く分からなかった。番組が始まってすぐ、「久保田は下手だから下ろそう」っていう話がNHKの上の方から本当に出たんだから。
その時はディレクターさんが、「新人なので長い目で見てやってください」と言ってくれたおかげで続けられたんだけど、工作を指導してくれる造形作家のヒダオサム先生はめちゃめちゃ怖かったし(今はすごく優しいです)、カメラマンさんにもしょっちゅう怒られてた。まぁ、はっきり言ってボロッカスだったな(笑)
そんな状況だったから、始まってしばらくは他の仕事も続けてたんだよ。でも、番組が始まって3年経ったとき、「これからはわくわくさん一本に賭けよう」ってようやく腹を決められたんだ。その時から、他の仕事は一切やらないことにした。怖かったですよ、長女が生まれる直前だったから。でも、3年続けてきたからこそつかめた手応えがあったんです。
番組が始まって最初の頃、私のセリフや動きは全て番組スタッフの指示通りでした。でも、3年目になると自分の意見が通るようになってきた。ゴロリとの掛け合いもすごく良くなってきた。それでやっと、わくわくさんという役に夢中になれたんだ。
ただ、自分の納得いくレベルに達したわけでは全くなかった。『つくってあそぼ』は、子どもたちに「面白い!」って思われるだけだけじゃダメなんです。「よし、やってみよう!」と思ってもらわなくちゃならない。果たしてどうすれば子どもたちをそこまで乗せられるのか。
スタジオの中に子どもはいませんから、自分で営業をかけて幼稚園を回り、実際に工作をやって見せました。子どもは残酷ですよ、面白くなければ全く反応しませんから(笑)。子どもたちの反応をインプットし、アウトプットすることを繰り返してきた結果、自分の中で再びつかめたものがあったんです。その瞬間に到達するまで、さらに3年かかったな。
そしてようやく、自分が納得できるぐらい、子どもたちに工作の楽しさを伝えられるようになってきたと実感できた頃には、わくわくさんを始めて10年が経っていたんだ。
振り返ってみると、養う家族がいながら退路を断ったのは、ある意味本当にバカだったと思う。自分のことを「手先は器用、生き方不器用」だって思いますよ。でも、夢中の人生を歩むしかない状況に自分を追い込めたからこそ、常に上を目指してこれたと思うんだな。
夢中になっていると、何か一つできるようになるんです。小さくても何かが必ず。目標は遥か遠くても、わずかな喜びをものすごく感じてきたから、いつも「もう一個やってみよう!」と思えた。そうやって小さな成長を積み重ねてきたから、久保田雅人の今があるんです。
「夢中になれるかもしれない」選択肢をたくさん持っていてほしい
最近は目の前の仕事を続けるべきか辞めるべきかすぐに判断してしまう人が多い気がするけれど、ある程度続けてみて分かることもあるんじゃないかな。最初から勝ちばかりを狙わない。失敗を失敗と認めて反省する。夢中になれない人はそれをやらずして諦めてしまうんだけど、本当にもったいないと思う。
ただ、夢中になりすぎて失敗することもあるから、それは気を付けてほしい。夢中になるっていうのは、ある意味「酔う」ことでもあるから、酔っている自分を客観的にコントロールできるもう一人の自分が、本当は必要なんだ。
自分にもいまだにやりがちなんだけど、気分が良くなるとついつまらないギャグを言って、せっかく盛り上がってた場を凍りつかせてしまうんだな……。「あんなこと言わなきゃよかった〜!!」って反省するんですよ(笑)。酔って周りが見えない自分をコントロールできるようになったら、人間大したもんだな。
最後に一つ現実的な話を付け加えておくと、ある程度の年齢になるとどの道に進むのかは決断する必要があると思う。中には、今歩んでいる道を諦める判断をせざるを得ない人もいるのは分かってる。
だから若い人には、夢中になれることの選択肢をいっぱい持っていてほしいんだ。「これがダメなら自分は終わりだ」じゃないんです。「まだこっちがあるぞ」という意気込みを常に持ってほしい。人生やり直しちゃいけないなんてことはないんだから、諦めちゃダメ。世の中には、あなたが本気で夢中になれるものが必ずありますから。
そしていつか。「これだけは誰にも負けない存在になってやろう」と思えるものを見つけたら、人間強いですよ。ゴールのない世界で、いくらでも上を目指していける。何か一つでいい。夢中になれるものを見つけて、人生の本当の面白さを知ってほしいと思うな。
取材・文/一本麻衣 撮影/桑原美樹 編集/河西ことみ(編集部)
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