2カ月でクビ、売上げゼロ…“ガムシャラ営業”で自爆した僕が、100社以上を営業支援する会社の代表になれたワケ
「20代の頃、営業として何度も挫折を経験してきました。それでも、自分には営業しかないと思ったんです」ーーそう語るのは、株式会社営業ハック代表の笹田裕嗣さん。
大学在学中に始めたテレアポのバイトは2カ月でクビ。社会人3年目にチャレンジした営業の仕事は数カ月連続で「売上げゼロ」。
それでも挫けずに営業としてのキャリアを歩み続けた結果、26歳で営業支援会社の代表を務めるまでになった人物だ。
現在は営業代行事業・コンサルティング事業で100社以上の営業支援を手掛けており、自身が運営する営業コミュニティーでは200人を超える営業職のメンバーから仕事やキャリアの相談を受けている。
挫折から始まった営業キャリアを、20代でブレークスルーできたきっかけは何だったのか。笹田さんに聞いた。
成約はたったの2件だけ。2カ月でクビになったテレアポ営業
笹田さんの営業キャリアのスタートは20歳、大学生の頃だ。
高校まではずっと野球部。進学したのは文系の学部。「将来に役立つ専門スキルが自分にはない」と感じていた笹田さんは、ダスキンの法人向け営業の現場でインターンとして働き始めた。
「野球部で鍛えられてきたこともあり、『気合と根性』を武器にとにかくたくさんお客さまの元に足を運びました。すると、お客さんに可愛がってもらえるようになり、面白いように成約が取れて。
その後は、飛び込み営業で結果を出せたからと高をくくって、別の会社でテレアポ営業に挑戦することにしたんです」
しかし、ここでまさかの大撃沈。テレアポ営業では2カ月でたった2件しかアポイントが取れず、クビ宣告された。
「この時期は、僕の第一暗黒期ですね。テレアポがうまくできずに自信喪失した時期でした。
後から気付いたのですが、飛び込み営業の時って、とにかく頑張っていた『だけ』だったんですよ。飛び込みだと対面で話す分、お客さまに頑張っていることを直接見せることができるんです。それで、何となく情けをかけてもらっていただけでした。
そこで『頑張ったら成果につながる』という成功体験を持っていたので、テレアポ営業も同じだろうと思ってしまったんですよ。
でも、本来アポが取れなければ、アプローチの手法が適切かどうか、商談成約率はどうかと商談におけるステップを分解して、自分のボトルネックを考えなければいけない。クビになったテレアポ時代はその発想がなかったんですよね」
テレアポ営業をクビになった後は、対面営業ができる職場に戻った笹田さん。
前職での失敗、そこから得た学びを生かし、「頭を使う営業」へとシフトすることを決めた。
社会人3年目は売り上げゼロ。第ニ暗黒期に知った「営業としての幸せ」
大学を卒業後は人材系の企業に就職。インターンで培った営業経験を生かすことができ、入社1〜2年目にして営業成績は社内トップレベルにまで成長。入社3年目には、社内ベンチャーの新規立ち上げと、そのプロジェクトを率いる事業部長に抜擢された。
しかし、この社会人3年目が笹田さんにとって第二の暗黒期に。なんと売上げがゼロになったのだ。その理由を笹田さんは「商品を売りたくなかったから」だと話す。
「新卒1〜2年の頃は、自分の成長や出世のために目の前の仕事をただがむしゃらに頑張っていれば社内で評価されました。
ロールモデルとなる先輩たちもたくさんいて、この人たちを超えたら自分は成長できるはず、このまま頑張れば素敵な未来があるはず、と信じていたんです。
ところが、入社3年目にいきなりポジションが上がり、目指したいロールモデルがいなくなってしまって。先のビジョンが描けなくなり、これからどうしたらいいのか分からなくなってしまったんですよ。
加えて、社外の人と関わるようになり、商材に対する不毛さを感じ始めました。必要がない人に、不必要な商材を売りつけたり、他の商材がベストなのに自社の商材を売ったりしなければならない。
そういう押しつけの営業で顧客を幸せにできるイメージが湧かなくなってしまったのです」
結果的に、笹田さんの売上は激減。数カ月の間、売上ゼロの地獄の日々を過ごした。
しかし、この第ニ暗黒期は笹田さんの営業キャリアにとって、ターニングポイントとなる。
半年間「売りたくないものを営業して売れなかった」経験が、奇しくも営業としてのあるべき姿に気付かせてくれたのだ。
「仕事にもやもやしながらも、社外とのつながりができたことで今の仕事だけが全てではないと気付かされました。それから、営業に関するセミナーやイベント運営の副業を始めて、そちらで順調に成果を伸ばすことができたんです。
そして、会社の外に出ても稼いでいけると分かった時、改めて『営業としてどう生きていくべきか』を考えるようになりました。そこでようやく、『営業として幸せに働くための二つの条件』を見つけられたんです」
その条件の一つが、「商材が売れていること」、もう一つの条件が「自分が売りたいものを営業できていること」だったと笹田さん。
この二つの条件を満たせる環境を求め、社会人4年目にしてフリーランスの営業職として働き始めた。
笹田さんはこの20代でくぐり抜けた“暗黒期”をきっかけに、「目の前のことをただがむしゃらにこなすだけの営業」から、脱することができたのだ。
経験を結果につなげる最適解は「歩みを止めないこと」
順風満帆とは言えない営業キャリアを歩んできた笹田さんだが、「全く売れなかった暗黒期だけを切り取ると『あんな経験はしたくなかった』と思うけれど、なかったことにはできない。それなら、今の自分に生かせばいい」と言い切る。
「例えば、僕が今SNSで発信している内容は、当時の自分に向けたものになっていて。それが、今の若手営業職の人たちに響いているようです。だから、あの時ガムシャラにやって悩んだことや苦しんだことは無駄ではなかったんだなと思います。
そして、人はつらいことやきついことがあると『もう無理』だと行動を止めてしまいがちです。でも行動をしなければ変化は何も生まれません。僕は幸いにも、そういった『いじけている時間』が少なかったと思います」
そんな笹田さんが現在新たに挑戦するのは、「営業マネジャーのマネジメントスキル向上」のための支援だ。
「昨年はいろいろな企業に営業向けの研修を提供させていただきました。その中で、営業担当が悩む要因は何なのかを考えさせられた1年でした。
そこで多くの営業マンの悩みの根本にあるのが、マネジメントに関わることだと気付いたんです。それなのに、営業の管理職にマネジメントで何をしているか問うと、大体は1on1や飲み会を開いているだけだったりすることが多いんですよ。
けれど、先ほどお話しした通り、営業が幸せになれる条件は『売りたいものが売れている状態』で、それを維持できれば自然と現場のモチベーションは上がっていくはず。
プレーヤーの頑張りを成果に変える支援がマネジメントの役割だとすると、話す時間を増やすよりも、納得できる商材や手法を考えて用意してあげる方がよっぽど重要です。それらを提唱していくのが、今年の僕のミッションだと思って活動を続けています」
各社の管理職の意識・行動を変えることは一筋縄ではいかない。それでも笹田さんは結果を出すまで思考し、アクションを続けていく。
長いキャリアの中では、誰しもヘコむことはあるし、停滞期を感じることもあるだろう。しかし何かをきっかけに、結果や成果を出せる人というのは「腐らずに歩みを止めない人」なのだ。
歩みを止めなければ、ブレークスルーのきっかけに出会うことができる。笹田さんのキャリアから、学ぶことができた。
取材・文/阿部裕華 編集/大室倫子(編集部)
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