キャリア Vol.1031

「心が死んでしまう前に」元筋肉アイドル・才木玲佳がプロレスラーも筋肉も“同時卒業”した理由

かつて「筋肉アイドル」として話題を呼び、プロレス選手としても活躍した才木玲佳さん。

才木玲佳

2019年7月撮影(出典

2019年には『20’s type』の姉妹媒体『Woman type』に登場し、「ツインテールでムキムキな私が好き」とゴーイングマイウェイな生き方を楽しそうに話してくれた。

「すごく覚えているのが、K-1の出場会見。私、力こぶを披露したんですね。そしたら皆が一斉にざわついて。そこで気付いたんです。そうか、これは他人から驚かれることなんだって。

そして、そのどよめきが快感になりました。そこからどんどん筋肉を大きくすることにハマっていったっていう感じです(出典)」

そう語った日から、約3年がたった2022年3月。才木さんは、突如「筋肉卒業」を発表。トレードマークの立派な上腕二頭筋を捨てて、プロレス選手も引退した。

なぜ彼女は、そのような発表をしたのだろうか。筋肉卒業を発表してから約1年がたった今、当時の決意を振り返ってもらった。

才木玲佳

才木玲佳さん
1992年5月19日生まれ、埼玉県出身。2014年、「K-1GYM総本部&WRESTLE-1主催 GENスポーツパレス餅つき大会&ファン感謝祭」でオフィシャルサポーター「Cheer(ハート)1」の“現役慶応女子大生”新メンバーに。15年にプロレスデビューを飾り、筋肉アイドルとしても活動の幅を広げる。19年8月にプロレス試合中にあごを骨折、20年には「ゴールドジム ジャパンカップ」のウーマンズフィジーク部門で準優勝。22年3月に筋肉卒業を発表

※この記事は『Woman type』に掲載した記事を転載しています。元記事はこちら

ムキムキな自分が大好き。その思いにうそはないけれど……

「筋肉アイドル」という肩書を捨ててからの私は、タレントとして埼玉県の広報番組でリポーターをしたり、時々バラエティーやクイズ番組に出演したりしています。

2019年に『Woman type』さんの取材を受けた時は、鍛えるほどに体が変わっていくことがすごく楽しかった。

筋肉もプロレスも好きでやっていたことで、誰に何を言われたって辞めるつもりはありませんでした。

「お風呂上がりとか、服を着替えるときとか、鏡が目に入りますよね。そこで、鏡に映る自分の全身を見るたび思うんです、『今の自分の体、好きだな』って(出典)」

でも、その後、徐々にモチベーションが下がっていってしまったんです。正直、明確なきっかけがあったわけではありません。ただ、あえて理由をあげるなら二つ。

一つは、好きだったはずの筋トレに義務感を覚えてしまったから。

筋トレにハマり始めた時期はとにかくトレーニングが楽しくて、どんどん筋肉を大きくすることに夢中で、週5でジムに通っていました。

でも、だんだんと前ほど「行きたい!」とは思わなくなってしまって。週に1回行くか行かないか、みたいなことが増えていきました。

でも筋肉アイドルとしてはジムに“行かなければならない”。

「筋トレへのモチベーションが下がっている」「今週は1回しかジムに行ってない」なんて言えず、筋肉アイドルとしての自分と、素の自分の本心との間で葛藤していました。

ムキムキな自分が好きだったこと、筋トレにハマっていたことにうそはありませんが、結局のところ、私は筋肉に人生をささげることはできなかったんです。

ボディービルダーの方って、筋トレや筋肉が本当に好きなんですよね。

ゲーム好きな人がゲームばっかりやっちゃうのと同じで、好きだから毎日やりたい、好きだから自然と毎日続けられる、みたいな感じ。

でも、私の場合は食べることも大好きで。食事と筋肉をてんびんにかけたときに、筋肉のために大好きな食事を我慢するっていう、筋肉第一の生活を続けるのがつらくなってしまったんです。

才木玲佳

もう一つの理由は、筋肉だけを求められることに対して、モヤモヤを感じるようになったこと。

もともとは好きで鍛えていた筋肉が少しずつ仕事になっていったのですが、途中から「筋肉だけ」を求められているような気持ちになってしまったんですよね。

あこがれていた俳優業のオファーも、ムキムキの妖精や怪物、筋肉ヤンキーと、筋肉ありきのキャスティング。

当時は筋肉をアピールポイントにしていたので当然ですし、ありがたい話だったんですけど、それ以外で呼んでもらえることがほとんどなかった。

結局、私は筋肉でしか見てもらえないのか」という寂しさと、筋肉以外に強みがない自分に対する悔しさで、心が沈んでしまうようになったんです。

そして、その期間はどんどん長くなっていきました。

正直に言うと、筋トレ欲が一番下がっていた時期は、ボディービルの大会に出場したとき。

そもそも大会出場を決めたのもモチベーションを上げるためでした。出場を表明したら、いやが応でもやらなきゃいけないですから。

そこまで自分を追い込まないとやる気が出ないほどになっていたのです。

そうやって「筋肉アイドルだし、頑張らなきゃ!」と自分にむちを打ち、過去一の体に仕上げて、めちゃめちゃコンディションが良い状態で大会に出場。

もちろん仕上がった体はカッコよかったので「この体をキープしていたい!」という気持ちもありましたが、やっぱり「食べたい」という欲が勝ってしまった。

私史上最高の体になっても、鍛え始めた頃のようなモチベーションには戻れなかったんです。

加えて、2019年にプロレスの試合中にあごを骨折してしまい、復帰が難しかったこともあって、「筋肉卒業」を決意しました。

筋肉「封印」ではなく、「卒業」の理由

「筋肉卒業」を発表したときは、悲しむ声が大半だったと記憶しています。

応援してくれていた人には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、一方で「しょうがないかな」とも思いました。

2019年にインタビューをしていただいたときと同じ感覚です。

「どんどんがっしりしていく私に、これまで応援してくれていた男性ファンからは否定的な声も。

でもこればっかりはしょうがない。だって私は事務所にやらされているわけでも何でもなく、自分の好きでやっているんだから。

応援していただけることはありがたいけれど、その人たちの望む『かわいいれいたん』像に自分を寄せようとは思えない(出典)」

ネガティブな意見がある中で、「どんなれいたん(※才木さんのあだ名)でも応援するよ」という反応をしてくださった方もいたので、受け入れてくれるファンの方を大切にしようと。

ドライに聞こえてしまうかもしれませんが、私は「来るもの拒まず、去るもの追わず」思考なんです。そこは前回取材をしていただいた時と変わっていません。

とはいえ、筋肉卒業に関してはすごく迷いました。やっぱり自分の武器である筋肉を捨てることで、お仕事も減るだろうと思ったからです。

実は当時のマネジャーさんからは、「筋肉卒業を宣言せずに、『筋肉はあるけど出さない』という封印のかたちを取ろうか」という話も出ました。

でも、それだと私がしんどいなと思ったんですよね。何となく逃げ道を残している感じがしてズルいなと思いましたし、中途半端に筋肉キャラでい続けることはできなかったんです。

私はもともと0か100かで考えてしまう性格。ケジメをつけるためにも卒業宣言は必須だったと思っています。

才木玲佳

それに卒業発表をした場合としなかった場合で、どちらの方が幸せに生きられるかをてんびんにかけたとき、私は前者の方が圧倒的に幸せだと感じました。下がり続けるモチベーションを隠して、うそをついて生きるほうがつらい。

そう思っていたので「筋肉卒業」を発表したときは、ようやくありのままの自分でいられるような気分で、本当にスッキリしました。​​

筋肉キャラは分かりやすかったですし、キャラクターがある分、仕事がしやすかったのは事実です。そうやってお仕事をいただけることに対しても、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

でも、筋肉キャラとしての自分に寄せられる期待に応えようと、無理をしていたこともあって。「炊飯器でご飯を炊くときにプロテインを入れています」など、少しオーバーに言っていたこともあったんです。

だから、「もうキャラを作らなくてもいいんだ」というすがすがしい気持ちが大きかった。もし卒業を宣言していなかったら、心が死んでしまっていたかもしれないなと思います。

今の目標は「元・筋肉アイドル」からの脱却

筋肉を卒業する前の私のように、周囲から求められる自分を演じている人は少なくないんじゃないかなと思います。会社で求められるキャラ通りに振る舞ったり、どんなに忙しくても頼まれたタスクを断れなかったり。

そんなときは、そういう自分を続けるのと、辞めるのと、どっちが幸せなのかを考えてみるといいんじゃないかな。

新しく進む道がうまくいくかは誰にも分からないけれど、「今よりは幸せじゃない?」って思えたら、きっと踏み出せると思うんです。

才木玲佳

私は今後、タレントの活動をしながら、俳優の仕事にもチャレンジしたいと思っています。

今はまだ「元・筋肉アイドル」と紹介されることもあります。でも、これから今の私のままで結果を残せたら、肩書はきっと、ただの「俳優」や「タレント」に変わっていくはず。

そうなることを目指して、今は演技のレッスンやワークショップ、シナリオライターのスクールに通い始めました。

そうやってまずはチャレンジしてみて、自分が好きかどうか、できるかどうかを見極めていけたらと思っています。

これまでの私は、自分のアピールポイントを筋肉に限定していたから、苦しくなってしまいました。

だからこれからは、自分の道を一つだけに決めるのではなく、選択肢を多く持ちたい。そうすれば、もっと自分の世界を広げられるんじゃないかなと思っています。

取材・文/於ありさ 撮影/赤松洋太 編集/天野夏海


RELATED POSTSあわせて読みたい


記事検索

サイトマップ