ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 服部恭之
?エンジニア人生をまっとうできる会社に? プロジェクトには300人を超える応募者が集まり、最終的に服部が選ばれた。「選考のなかで徐々に人数が絞られて、最後には僕1人になりました。『該当なしかもしれない』と言われたので、そこからが大変でした」 相手よりも1点上回ればいいという競争ではなく、事業として成功するモデルを示さなければならない。その高い壁を突破する原動力が、「誰かがやらなければならない」という気持ちだった。ソニーで仕事をした者として、こんなことを考えていた。「戦後の焼け野原のなかから出発した井深(大)さんや盛田(昭夫)さんは、『日本の技術、日本の製品を世界中に広めてやる』と奮起して、それを成し遂げました。当時はトランジスタが最先端だったけど、今ならITでしょう。2人がこの時代にいたら、きっと僕と同じように考えるはずです」 だから、7年余り在籍したソニーを退社した今も、服部は自分のことを「ソニーマン」だと思っている。 現在、コネクティのSaaSプラットフォーム事業は、CGM(ConsumerGeneratedMedia)ポータルの分野を中心に順調に拡大しつつある。CGMポータルは企業が自社サイトへのエンドユーザーの参加を促し、その滞留を図るための仕組み。変化の早い分野だけに、SaaSの強みも活かしやすい。大手企業もこれを利用し、ポータルを開設し始めている。 最後に、服部に数年後に目指す企業像を聞いた。その答えは明快である。「エンジニアが家族を連れてきて自慢できる会社、エンジニアとしての人生をまっとうできる会社です。日本ではプログラマからSEやPMになることを当然視する風潮がありますが、それは違うと思うんです。プログラマは、プログラマであり続けることがカッコイイ。そんな、技術者が働くうえでのスタンダードを生み出す会社にしたいんです。そして世界に通用するテクノロジーカンパニーを目指したい」 1946年、ソニーの前身である東京通信工業は東京・日本橋に生まれた。その直後、井深大は設立趣意書に有名な一文を書いている。「真面目なる技術者の技能を最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」。服部は確かに、ソニースピリットの継承者である。(文中敬称略) |