プログラム言語の「COBOL」が誕生したのは、いまから半世紀以上昔の1950年代。当然、現代のように個人がコンピュータを所有していた時代ではありません。
「生みの母」は53歳でCOBOL開発、海軍准将にまでなった
COBOLは1959年、アメリカで誕生しました。元々大型汎用機において、主に事務処理を行うために開発されました。コンピュータ言語の中でも、英語に近い文法で記述されているのが特徴です。このCOBOL開発を主導したのは、なんと女性プログラマでした。「COBOLの母」とも呼ばれるグレース・ホッパーです。
彼女は、プログラムのエラーをとる「デバッグ」という言葉の生みの親ともいわれています。グレースは、1906年ニューヨーク生まれ。幼い頃から数学、とくに幾何学が好きという「リケジョ」のはしりです。ニューヨーク州のバッサーカレッジから名門イエール大学の大学院に進み、数学と数理物理学で修士号、数学で博士号を取得。その後、母校のバッサーカレッジで教べんをとっていた彼女は、第二次世界大戦がはじまると軍隊に入ることを決心します。
ただし、数学で博士号までとっていた彼女は前線で戦ったわけではなく、士官としてハーバード大学の船舶計算プロジェクトに配属されました。そこで、最新鋭のコンピュータシステムと出合います。しかし、保守的だったハーバード大学は女性を教授には採用せず、研究の主導権もとれません。行き詰まった彼女は酒におぼれて警察沙汰を起こし、さらに自殺未遂も図ったそうです。
戦後、コンピュータの商用利用が進み、43歳にして実力主義の民間企業に入社したグレースは、コンパイラの作成という重要な任務に携わります。そして、機械語でしかプログラムできなかったコンピュータに英語(に近い言語)を教えるのに成功しました。COBOLは、ペンシルバニア大学と国防総省で行われた標準化委員会において、特定のコンピュータに依存しない公共のプログラム言語として認められました。グレース53歳のときです。
この1959年9月18日がCOBOLの「誕生日」とされています。グレースは生涯軍人であることを誇りにし、コンピュータの講演で各地を飛び回るとともに、海軍のPRにも努めました。最終的には准将の階級にまでのぼりつめています。
誕生から半世紀を経ても、業務アプリケーションの75%を動かす
COBOLは「Completely(完全に) Obsolete(時代遅れで) Boring(つまらない)」などと陰口をたたかれることもありますが、今なお現役で、立派に多くの企業の社内システムや金融機関のネットワークなどを動かしています。
なんと、世界のATMトランザクション処理のほぼすべて、業務アプリケーションの4分の3で稼働しているといいます。2千億行のコードが存在していて、1日ごとに数百行の新たなコードが生成されているのだそうです。