ホームレス→ヒモ→営業職で年収1億円!どん底から這い上がった男が語る、「稼ぐため」のマインドセット
国税庁が発表した『平成27年分民間給与実態統計調査』によると、20代後半の平均年収は男性が383万円、女性が306万円。ひとまずこのラインを下回る同世代は、相場より「稼げていない」と分類されるのが今の日本の労働社会の現実だ。
胸の中にうずく「もっと稼げるようになりたい」という願望。しかし、学歴も資格も職歴も人脈も“ないない尽くし”の自分に、一発逆転のチャンスなどあるはずない。そう諦めてしまう人も多いのではないだろうか。
だが、「何の学力もスキルもない人間でも起死回生を図れるのが、営業職だ」と説く男がいる。その人こそ、現在、4つの会社を経営する実業家・左治木達郎氏だ。
左治木氏の歩みを辿ると、27歳まで貯金ゼロ。しかもホームレスにヒモ経験もあり、27歳で営業に転身するまでスーツを着る仕事とは一切無縁だったという。そこから営業マンとして驚異の出世を遂げ、ピーク期は年収1億円をも売り上げた奇跡の逆転男の、何もない人間が「稼ぐための」成功術を聞いた。
わずか1日で大学退学。そこから1年間の沖縄ホームレス生活へ
2003年春、同級生の多くが大学入学を迎え浮き足立つ中、一人大学に退学届を叩きつけ、流浪の旅に出た男がいた。それが、当時18歳だった左治木氏だ。
「昔から学校という集団が大の苦手。みんな同じ服を着て、思想も単一的。大学もやはり同様で、ここにいても何も刺激にならないなと直感したんです。それで、入学式当日に退学を決意。大学に通ったのは、その日1日だけでした」
破天荒すぎる決断だが、型にはまることを好まない左治木氏らしい行動でもあった。学生の肩書きが外れ、何者でもなくなった18歳は、突如「南の島へ行きたい」と鞄ひとつで沖縄へ。もちろん知り合いも仕事のアテもない。ただ何となく南の島に行けば、何かがあるような気がした。洋々たる青い海は、まだ10代の左治木氏の輝かしい未来を象徴しているかのようだった。ところが――
「沖縄でダイバーの仕事を見つけたんですけど、1週間でクビになりました(笑)。部屋は住み込みの寮だったから、その日のうちに追い出されてしまって。お金も住む場所も失った。そこから私のホームレス人生が始まったんです」
左治木氏は、規格外の半生をまるで何でもないことのように話す。住むところを失った左治木氏は、さらに南へと向かい、西表島に到着。何とか働き口は見つけたものの、住まいはよく言えば風通しの良い、文字通りの掘っ立て小屋。虫は遠慮なく入ってくるし、台風が来ればひとたまりもない。「ほとんど外で寝てるのと変わらない感覚でした」という場所で、約1年間、気ままな人生を送った。
「西表島は陸地の90%が森林というような大自然の島。コンビニもないから、食事は自分で魚を釣って調達します。貨幣経済なんてどこ吹く風。狩りの上手い男が一番カッコいい男というような価値観の島で毎日何にも考えずに過ごしていました」
男は稼げなければ価値がない。そう言われた瞬間、心の導火線に火がついた
焦りは、なかった。何となくいつか自分はすごいことをやれるはずだという根拠のない自信が、「安定した生活」とは程遠い道を行く左治木氏を支えていた。その自信を試すべく、やがて再び東京へ。居住地は、都庁付近の公園。まぎれもないホームレス青年だ。左治木氏の20代前半は、人から見れば「どん底」そのものだった。
「その後、何とか家を見つけて。いろいろ仕事を経験しました。肉体労働に夜の商売。たぶん50職種くらいはやったんじゃないですかね。複数の女性の家に転がり込んで、生活の面倒を見てもらっていたこともあります。いわゆるゴリゴリのヒモでした(笑)。それから23歳で結婚して子どもが生まれたんですが、変わらずフラフラしていましたね」
しかし、根拠のない自信にも、徐々に卑屈な翳りが見えはじめる。左治木氏の自信に影を落としたのは結婚生活の終わりだった。彼の安定しない生活に、幼い子どもを育てる妻が耐えられなくなったのだ。
「もうあなたを応援していく気になれない、と言われてしまったんです。しまいには『社会不適合者のクズ!』とまで罵られて、子どもも連れていかれました。そこでやっと、“何者でもない自分”に焦りを感じ始めたんです」
同い年の連中はビシッとスーツを決めて、一人前の社会人として活躍している。年収なんて比べるまでもない。離婚して初めて気付いた「くすぶり続ける劣等感」という名の導火線に火をつけたのは、偶然知り合ったある経営者からの何気ない一言だった。
「『男の役割は狩り。現代の獲物はキャッシュなんだから、男は稼げなければ価値がない』その一言を聞いた瞬間、闘争心に火がつきましたね。経済的に突出したものがなければ、この社会では影響力も発言権もないんだということを思い知らされました。お金は信用が数値化したもの。だったら自分の価値をそれで示してやろうじゃないかって、これまでの自分の生き方を根本から変えることにしたんです」
一念発起した左治木氏は、ベンチャー企業の創業に参画。ビジネス経験ゼロにもかかわらず事業立ち上げから参画し、営業マンとしての才能を一気に開花させた。
担当したのは、セミナー運営や無形商材などを中心に、売れる商品を自分で開拓しながらBtoC向けに販売していく営業代行事業。それまでスーツなんて一度も着たことはない。しかし、驚くほどに成果が出たことで、あっという間に売上は1億円を超えた。どんどん年収が伸び、ピーク期は前年の40倍という驚きの数字を叩き出し、念願だった己の価値を数字で示したのだった。
営業は日本語さえ喋れれば誰でもできる。左治木氏を押し上げた2つの武器
「極論を言えば、営業は日本語さえ喋れれば誰にもできる仕事。たとえばITエンジニアのような技術職でトップに上りつめようとしたら、相当の専門知識を身に付けなきゃいけない。でも、営業は違う。ちゃんと日本語さえ話せれば、誰にだって成功のチャンスはある。夢のような職業だと思います」
左治木氏が営業で圧倒的な成果を残すことができた要因は2つ。
1つは、モチベーションに左右されない不屈のマインドだ。左治木氏には、モチベーションの浮き沈みというものが存在しない。やると決めたら全力を尽くすだけ。どんなにハードでも決して心が折れることはない。一見、常人には真似できない精神構造に思われるが、左治木氏は「マインドの変革こそが何よりも重要。それを実現する力は誰もが持っている」と訴える。
「マインドというと仰々しく聞こえますが、要は内面のこと。実際に成果を出す人って、なぜか『そりゃ成果出すよな』って考え方をしていると思いませんか?思考、行動、習慣、そういう内側にあるものを変えていくことは、誰でも、どんなタイミングであってもできるもの。だから私もそういった自分のありたい姿をイメージして、日々、常にマインドのアップデートを考えています。そして徹底した自己肯定と、そんな自分をさらに超えてみせるという自己否定の繰り返しが、モチベーションに左右されない不屈のマインドをつくるんです」
そしてもう1つの成功の秘訣は、「人の心を動かす価値を創ること」であると左治木氏は主張する。
「営業の本質って、単なるモノ売りではなくて『人の心を動かす価値を創ること』だと思います。そのトレーニングをするために、うまい棒を1本10万円で売る研修をしたこともありますよ。1本10円のうまい棒を1万倍の値段で売ろうと思えば、必然的に売るものが商品ではなく『何らかの価値』になりますからね」
自分には稼ぐ能力がないと諦めている人もいるだろう。だが、「何もなかったクズ人間の私が、たった5年でここまでできたんですから」と左治木氏は温かく呼びかける。
大学中退からホームレスになり、職を転々としながらくすぶり続けた日々。『社会不適合者のクズ!』の烙印を押された20代。そんな状況で「いつか自分は成功するはずだ」と言ったら、きっと周りの人たちは笑うだろう。しかし他人の目に負けることなく、自分を信じて突き進んだ先にこそ、“過去の自分では想像のできなかった場所”に辿り着くことができた。
「他人の声なんて気にしない。自分にはもっと大きなことができるはずだ」そう自分の可能性を信じ続ける限り、人生に限界はない。
取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太
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