「他の仕事で一流を目指すならまずセールスを極めよ」歌舞伎町のカラオケ店員から業界大手企業の社長に成り上がった男が語る、営業経験の価値
本当は営業以外のことがやりたかった。にもかかわらず、入社した会社では営業に配属され、そのまま漠然と営業をやっているため、機会があれば営業の仕事をやめても特に未練はない、と思っている人もいるだろう。しかし、その経験とそこで得たスキルは、自分の人生を変える大きな可能性を秘めている。
ミュージシャンから歌舞伎町のカラオケ店長、エンターテインメントクラブのマネジャーと、夜の世界を経験した後、教材販売会社の営業職に転向し、30代で社長にまで登り詰めた川口徹氏は、まさにそれを実践してみせた男だ。
「営業ができれば夢はかなう」と語る川口氏は、波瀾万丈なキャリアを経て、自ら起業し、自分が本当に生きたかった人生を手に入れた。さまざまな職を経験してきた彼だからこそ、たどり着いた答え、「営業経験の価値」とは一体何か。
「営業」との出会いは夜の歌舞伎町で
学生時代の川口氏は営業回りをするミュージシャンとして、企業の忘年会やキャバレー、米軍キャンプのクラブなどで演奏していた。当時のギャラは夜通しギターを弾いても、一晩5000円。大好きだった音楽がどんどん嫌いになっていったという。
「休みの日はギターを見ることすら嫌になっていました。音楽は仕事ではなく、趣味でやるものだと思い、転職を考えたんです」
その後フレンチレストランのウエーターや、歌舞伎町のカラオケ店の店長を経て、カラオケ店と同じビルの地下にあった、クラブのオーナーに引き抜かれた。プロミュージシャンの演奏がウリで、大手企業の経営者や役員、起業家などのVIPが多く訪れるその店で、やがて支配人となった川口氏。起業家たちと交流を深める中、「彼らと自分との差は一体何なのか」と考えるようになっていったという。
「彼らの生活は昼の時間も自由な割に、一晩に数十万円も使って遊ぶことも少なくありませんでした。一方、私は明け方まで命を削るように働いても月収は30万円そこそこ。一生懸命働くこととお金を稼ぐことはイコールではないのだ、一体この差は何なのか、と思ったのです」
当時、妻と二人の子どもを養っていた川口氏にとって、当時の生活から抜け出したい気持ちが強くあった。やりたいことは特にないが、まともに昼の時間に働き、起業家たちのようにしっかり稼ぐ人生を送りたい。そこで、彼らに「自分もそうなるには、どうすればいいのか」と聞いた。
「すると、返ってきた答えは、『まず営業をやってみろ』だったんです。彼らが言うには、『営業で成功したら、その後は何でもできる』と。会社で働くにしても、起業するにしても、“営業”は絶対に必要なスキルであると。『今、自分のやりたいことがないのなら、どこかの会社に入り、まずはコミッション営業をやって力をつけろ』と言われました」
一念発起した川口氏。ポマードで固めたリーゼントから短髪にし、革ジャンからスーツに着替え、6社を受けるも全滅。7社目にようやく受かった会社が、自己啓発業界の大手企業、エス・エス・アイだった。
「俺はもう、夜の世界には戻らない」
念願だった「昼の世界」に飛び込んだ川口氏。しかし、商品知識はおろか、営業未経験で転職した彼にとって、平均単価100万円の成功プログラムを売ることは難しかった。
「80名分の顧客リストを渡され、見よう見まねでテレアポを始めました。が、その頃の私は『自分の給料の数倍もする商材を買う人なんていないだろう』というネガティブな確信を持って営業をしていました。また、『お客さまが求めたことを提供する』というサービス業のマインドに慣れてしまっていた自分にとって、『営業』は『売りつける』というイメージが強かった。自ら商品を勧めることへの抵抗が大きかったんですね」
その結果、待っていたのは電話を切られ続ける日々。断られることを恐れ、やがて時報にかけて会話しているふりをするまでに落ちこぼれた。歌舞伎町では数十名のスタッフをまとめていた自分が、すっかりダメ営業マンに成り下がり、月収はたったの18万円。家族を養わなくてはならない川口氏にとって、生活費すらまかなえない金額だった。
転職して2カ月が過ぎる頃、「やめたい、逃げたい、でも、また夜の世界に行くのか」と彼は葛藤した。しかし、隣のデスクでは、敬語もおぼつかないような若者が月収100万円を稼ぎ出している。「このままやめるのはもったいない」。そこで、商材の一つであったナポレオン・ヒルの『巨富を築く13の条件』という書籍を読んで突破口を探すことにしたのだ。
「目に飛び込んで来たのは『船を焼け』という言葉でした。これはある将軍が敵国を攻め、強大な戦力に立ち向かう際に、率いてきた軍隊に放った言葉で、そこには『乗って来た船を焼き、退路を断って背水の陣で臨め』とありました。入社してからの2カ月間、いつ逃げようかと思っていた私には衝撃でした。ここで無理でもまだ逃げ道はあると無意識に考え、毎日、売れない営業仲間と一緒に愚痴ったり、歌舞伎町時代の仲間と飲んだり、転職先を探したりもしていました。これでは売れるわけがなかったんですよ」
自分の中にある甘えに気付き、「全てを捨てて、やってやる!」と決意した川口氏。妻に「半年間集中してやらせてくれ」と頼み、歌舞伎町の仲間にも「俺は夜の世界には戻らない。営業で成果を出すまでは会いにもこない」と誓った。
「そこからは本気でしたね。毎朝鏡の中の自分に向かって成功イメージを語りかけ、稼ぎたい金額を唱え続けました。決断した翌日から、すでに一度当たった顧客リストに再び当たっていくと、すぐに見込み客ができたんです。やると決めたら、営業トークの響き方まで変わるものかと驚きました。それからどんどん売れるようになり、3カ月後には新人賞まで獲得したんです」
ここから川口氏の大躍進が始まる。入社2年目には年間個人売上2億円を超すトップセールスとなり、最年少で取締役就任、さらに、30代で社長にまで登り詰めたのだ。
夢をかなえるために使う3年はたいした代償じゃない
川口氏は「これまでの経験上、自分が出会った成功者には、皆セールスマンシップがある」と話す。
「セールスでは、ただ頑張れば結果が出るというものではありません。扱う商品やサービスを通じて『相手の問題を解決する』という強い気持ちが必要です。そして、人の行動心理を理解し、マーケティングを行い、売る仕組みに落とし込むことができなければ、売り続けることはできないのです。裏を返せば、それができるだけのマインドとスキルがあれば、自分のやりたいことを仕事に変えることもできますし、社内でかけがえのない存在になり、目指すポジションを獲得していくこともできる。少なくとも私の周囲の成功者たちは、営業を『自分のやりたいことをやるための手段』として活用していました」
多くの人は、「今、できること、していること」のみに目がいきがちだ。そこにとらわれて「今の自分にできることは何なのか」を探して漂流するだけでは、ただ時間を浪費することになると川口氏は言う。
「今できることではなく、5年後、10年後の自分を見据え、今やっていることが将来にどう活きるかを考えてみる。そしてその将来に向けてまずは3年間、営業の仕事に集中してみてください。本気で取り組めば、自分にできることは大きく広がります。それに、長い人生の中、やりたいことや夢をかなえるためにその3年間を使うと思えば、たいした代償じゃない。私たちは無限の可能性の中に生きていて、そのために今があるのだということを忘れないでほしいと思います」
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取材・文/上野真理子 撮影/柴田ひろあき
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