CRAZY WEDDING創業者 山川咲「20代でかかった“がむしゃらの魔法”は、未来の自分へのプレゼントでした」
昨年11月22日の「いい夫婦の日」、「#結婚式に自由を」というハッシュタグがTwitterを席巻。「#ご祝儀はピン札で3万円」、「#上司どこまで呼ぶ」など、結婚式に関する不自由さを語ったツイートが多くの共感を呼び、2日間で10000を超えるつぶやきが集まった。
仕掛けたのは、完全オーダーメイドのウエディングブランド『CRAZY WEDDING』を手掛ける株式会社CRAZYだ。今年2月に初の自社会場『IWAI OMOTESANDO』をオープンさせ、日本人を結婚式のしきたりやしがらみから解放し続けている。
そのCRAZYを28歳で立ち上げたのが、山川咲さんだ。満開の笑顔で会う人皆にパワーをくれる彼女に、自身のこれまでの歩みを聞いてみると、「私の20代はパーフェクト!」と言い切った。現在は一児の母として、CRAZYのブランドマネージャとして、多方面で活躍する山川さんに、がむしゃらに走りきった20代を振り返ってもらった。
今ここにある仕事に、命を懸けた20代
「何者かにならねば」そんな強迫観念が常にあった
私は子どもの頃から、コンプレックスの塊でした。ちょっと変わった生い立ちで、大自然の中で薪を割って、野山のタンポポを摘んでサラダにするような生活を送っていたんです。もちろん周りにそんな人はいません。「咲ちゃんって、なんか違うよね」ってよく言われていました。
だんだん「私は皆と何が違うんだろう」って思い詰めて、「私には何かが欠けているんだから、人一倍頑張らないと認めてもらえない。それなら誰より笑って、誰より努力しなきゃ」って考えるようになりました。「何者かにならなければ」という強迫観念がずっとあったんです。
20代はその自分に足りない“何か”を埋めたくて必死でした。とにかく一流になりたかったし、自分の名前で仕事ができる人間になりたかった。「自分にはどれほどの力があるのか」が分からないことが、一番の不安でした。
そんな私が新卒で入社したのは、第二創業期を迎えた人材系ベンチャーです。当時はまだ社員数20人くらいで、新卒採用を始めて2年目。元々やってみたいと思っていた人事の仕事を任せてもらえるということだったし、どこよりも厳しそうな会社なのが印象的で。中でも私の上司は仕事にめちゃくちゃ情熱をかけている人で、今まで出会った中で一番“ヤバい人”だなと(笑)。「この人の下で働いたら、何者かになれる」。そう思いました。
それが“激動の社会人”としての幕開け。私は人事担当として、年間2万人近くの学生と相対し、新卒説明会やイベントのファシリテーション、採用パンフレットのディレクションなどをしていました。
その頃は、本気でこの会社を日本一にしたいと思っていたし、命を削ってでも仕事をするんだって、本当に無我夢中。会社の目の前にマンションも買いましたし、1~2時間しか寝ずにずっと仕事ばかりしていた時期もあります。
そのスタンスは28歳の時に『CRAZY WEDDING』を立ち上げた後も変わりませんでした。挑戦したい、頑張りたい、やり切りたい、結果を出したい。そんな気持ちで、「意志をもって生きる人を増やしたい」と、妥協することなく結婚式をプロデュースし続けました。
もちろん、苦しいですよ。命を懸けていましたから。毎日「絶対に結果を出さなきゃ」というプレッシャーに押しつぶれそうだったし、極端だけど「明日の朝、トラックに跳ねられて仕事が休みになればいいのに」と思ったことすらありました。
でも、どんなに苦しくて逃げ出したくなっても、「逃げちゃうの? どうするの?」って自分自身に問いかけると、「やっぱり、やります!」と背筋が伸びるんです。私にしかできない仕事にこの人生を懸けたいし、世の中に爪痕を残したい。そんなことばかり考えていた20代でした。
32歳で立ち止まって分かった、“がむしゃらの魔法”にかかっていた20代の特権
今振り返れば、私の20代の最大の強みは、「無謀であること」だったと思います。今の私が、新卒の頃の自分が目指しているものを知ったら「そんな実力で、こんなに高い目標を追ってるの!? それ実現するのに5年半はかかるだろうなあ……」なんて冷静に判断してしまう。
でも若いときは自分の目指しているものと、現実とのギャップを見極める力がないんです。自分にどれだけの力があるかが分かっていない。だけどその分、野望は大きい。ギャップが計算できていないからこそ、頑張れたんだって思います。
そう考えると、無謀なまま目の前のことに愚直に向き合って、がむしゃらに突き進んだ私の20代はパーフェクトだったな! と思います(笑)。当時は、そうやってひたすら進んでいくことが最高の未来につながっていると信じていたし、“がむしゃらの魔法”のようなものにかかっていたんですね。
でも、走りすぎると折れてしまうこともあって。それは『CRAZY WEDDING』創業時からの念願だった『情熱大陸(TBS)』に出演した後のこと。その時の私は32歳になっていましたが、「本当にここまで来れたんだ」という感覚があったし、周りも「ついにやったね」「おめでとう!」って祝福してくれました。
当時の私は、その思いを背負い過ぎちゃったんです。私はここまで命を懸けて仕事をしてきたし、皆の夢を背負っている。私がもっと頑張ればこの事業はうまくいく、このブランドをたくさんの人に知ってもらえる……。
そう思って頑張り続けていたら、ある朝起き上がれなくなって、涙があふれて嗚咽が止まらなくなりました。家に引きこもるような状態が数カ月続いて、「これはもう社会復帰できないかもしれない。これだけ努力もしてきたはずなのに、これが私の人生の結末か……」って、絶望してしまいました。
子どもが産まれて環境が変わったこともあって、今は自分に合った仕事との向き合い方ができるようになりましたが、いつまでも20代の頃のように、前に前に進むだけじゃダメなんだってことを学びましたね。それこそ自分の100%以上のものを仕事に注げるって、20代の特権だったんだなと思います。
20代の挑戦は、未来の自分へのプレゼント。自分から手放したりしないで
30代になってから体調を崩したこともありましたが、それでも今私が20代に戻ったら、同じようにまっさらな状態で、謙虚にがむしゃらに、大きな未来を信じて働くだろうなと思います。当時の同期だったメンバーとよく話すんです。生まれ変わっても、このメンバーであの会社に入って、とんでもない仕事をやりたいねって。
最近、嫌なことから逃げたいっていう20代の子の悩みを聞きますけど、人生はつらいことがあるからいいんですよ。それは「つらくても頑張ろう」ということじゃなくて、楽しいこともつらいことも両方あって、そのドラマを味わってほしいということです。結婚式のプロデュースをしているからこそ感じるのですが、人生の美しさは、つらかった思い出とか、苦しみや葛藤にこそ宿るんだと思います。
人生100年時代って言われますけど、その間ずっと平坦な人生って、逆につらくないですか? つらいことにも壁にもぶちあたらなかったら、50歳くらいで人生に飽きちゃうと思うんです(笑)。だから私はつらいことのない人生より、波のある人生がいい。絶望してしまった32歳の頃も、通り過ぎた今では、「めげていた自分もかわいかったな」って思えます(笑)
それに、「逃げること」を選択してしまうのって、頑張ってきたこれまでの人生を棒に振ることだと思うんです。
私だって反射的に逃げたいと思うことは何度もありました。もちろんブラックな会社だったらすぐ逃げ出すべきだけど、目の前のプロジェクトが苦しいとか、乗り越えるべき仕事のプレッシャーに耐えられないっていう一時の感情で逃げだしてしまうのは違うんじゃないかなと思います。
ものごとは、自分から手放したらそれで終わりです。
未来はとても大切なものだから、「こんなことで逃げてしまったらもったいない。これから大きな未来をつくっていくんだ」ってイメージしてほしいですね。
若ければ若いだけ、でこぼこの道を歩むことができます。それは人生を後で振り返ったときの楽しみでもある。20代の頃の挑戦は、その先に待っているであろう、未来のグレートな自分へのプレゼントなんです。私自身も、まだまだこれから。きっと楽しいことばかりではないけど、未来の自分への素敵なプレゼントをつくっていきたいと思います。
取材・文/石川香苗子 撮影/赤松洋太 企画・編集/大室倫子
RELATED POSTSあわせて読みたい
25歳の平均貯金額【最低でも50万円】って何で若いうちからこんなに貯金しなくちゃいけないの?
“しょぼい起業家”が説く、20代が生きづらさを払拭する術「キャバクラ化したオンラインサロンには入るな」「可愛がられる子分になれ」
ギャル男がスーツに着替えたら~入社1カ月で営業50人の上司になった元フリーターの話
HKT48→引きこもりニート→インフルエンサーに! “叩かれたってモテてたい”ゆうこすに学ぶ、折れない心の育て方
「No.1ビール売り子」おのののかが語る、20代の「素直さ」を最大限生かす営業スタイルのすすめ