「批判も周囲の目も気にしない。将来の不安もない」“おごられる”が仕事のプロ奢ラレヤーがストレスフリーでいられる理由
「年収1000万円の奢られ屋です」
プロ奢ラレヤーと名乗る男のTwitterプロフィールにはこう書いてある。なんでも、「おごられること」を生業としているらしい。新職種と言っていいのかはさておき、なぜ「奢られ屋」になったのか、そんな生活に不安はないのか、気になることを聞いてみた。
TwitterのDMで連絡を受け、面白いと思った人と会うのが基本の流れ。おごられながら聞いた話をTwitterやnoteに書くことで話題となって、「おごりたい」の連絡が増えるというサイクル。多いときは1日に3〜5人と会うこともあるが、誰にも会わない日もある。
年収1000万円
月額700円の有料noteの他、スポンサーを募ったり、プロ奢ラレヤーのTwitterアカウント名に「@〜〜」とPRしたい内容を入れる権利をオークションしたりと、その時々の実験的な取り組みで収入を得ている。確定申告は税理士のフォロワーにやってもらっているらしい。
おごられるだけで生活してるわけじゃないし、金がないからおごられて生活してるって思われるのもめんどくさいから、「年収1000万円」ってプロフィールには書いています。
おごられることは、あくまで「面白い人間に会う手段」
プロ奢ラレヤーさんがこの名前を名乗り始めるようになったのは「多分20歳くらい」のことだという。大学に入って半年ほどで中退し、3カ月間ヨーロッパに滞在。帰国してからはアルバイトでもするかと思っていたところ、「なんか変なことをやってるらしい」と噂を聞きつけた知人から食事やお茶に誘われるようになった。
さらにその知人に話を聞いたっていう知らない人からも面白がって声を掛けられるようになったんです。そうやって人に会った時の飯代って、相手が出すじゃないですか。
毎日のように誰かの誘いに応じていたら食費も掛からないし、家に泊めてくれる人も多かったから、金が減らないんですよ。「そういえば3カ月ぐらい金下ろしてないな」っていう(笑)
段々とそんな生活そのものが面白いとTwitterで話題に。こうして気が付けば今の生活がスタートしていた。
やろうと思って始めたんじゃなくて、元々の生活をそのまま資本化した感じですね。分かりやすいように軽い気持ちで名前を付けただけで、快適な生活を追求していったら結果的に仕事として成り立ったというか。
「ゲームが好きで突き詰めていった結果プロゲーマーになった」っていう感じに近いかもしれません。面白いことそのものが報酬って思えるから成り立ったんだと思います。
これまで住む場所は、おごってもらった人の家やシェアハウスを転々としてきた。そんな生活に合わせて、荷物も鞄一つに収まる程度しか持っていない。
もともと布団がなくてもどこでも寝れるし、食事は牛丼で満足、お金が掛かる趣味もない。そんな性質もあって、学生時代から就職する必要性を感じていなかったと振り返る。
高校生でもバイトで月15万円くらいは稼げるじゃないですか。そのくらいあれば余裕で生活できるし、空いた時間に遊べるじゃんと思ってました。将来の夢みたいなことも考えたことなかったですね。
プロ奢ラレヤーと名乗ってはいるが、おごられることだけで生活しているわけでも、そこにこだわっているわけでもない。おごられることは、あくまで「面白い人間に会う手段」だという。
「おごれば会える人」って認識されれば、声掛けてもらえるじゃないですか。ホリエモンに「会いたいです」ってDMは送らないだろうけど、僕の場合はおごられることが仕事だから「DM送ってみよう」ってなる。
そういう手段としてプロ奢ラレヤーを名乗ってるだけなので、おごられるだけで生活するみたいな縛りプレーをやってるつもりはないです。
そうやって人と会うことには「シュミレーションゲーム的な面白さ」があるのだと続ける。
ゲームに新しいキャラクターが出てきたらうれしいじゃないですか。人と会っている時も「新しいキャラをどう使うのか」を考えるような感覚なんですよね。
社会の仕組みとその人の持ってるカードを組み合わせたら、こういうビジネスができそうだなって、相手の人生でシュミレーションゲームをしているような感じです。
自分が快適でいられるように最適化した生活だから、大変なこともストレスもない
「おごられて生きている」ことに対して、ネットには否定的な声も多い。アンチの存在に疲弊してしまうことはないのか尋ねると、「そういう人たちは広告塔みたいなもん」と気にする様子はまるでない。
タダでやってくれてるわけだから、むしろありがたいですね(笑)。そもそも批判に傷つくのって、的を得たことを言われているからだと思うんですよ。
でも僕への批判って、僕自身に対してではなく、「働いてない奴に対してなんかイライラする」っていうのがほとんど。だから傷つくって感覚はないです。
大なり小なり世間の目を気にしてしまうこともありそうなものだが、会社などの組織に属しているわけでないプロ奢ラレヤーさんには比較の対象がない。「大学は中退したし高校にもほとんど行かなかったから、日本的なコミュニティーにいたことがほぼない」ゆえに人目を気にする感覚が希薄だし、そもそも全員から好かれようとも思っていない。
3人ぐらいから好かれてればそれでいいんですよ。例えばゴキブリって嫌われてて超かわいそうですけど、世の中にはゴキブリが大好きな人もいるじゃないですか。
もし僕がゴキブリだとして、その人たちからめちゃくちゃかわいがってもらえれば、それでいいと思うんです。無理に他の世界を見なくていいじゃんって。
とはいえ、嫌われたり批判されたりすれば反射的に不愉快になることだってあるのでは? そう疑問を口にすると、こんな答えが返ってきた。
どっちかって言うと僕はスゲー器がちっちゃいんです。イライラしやすいし、足が気になって集中できないから靴下すら履けない。だから器に水が溜まらないように、空に近い状態でいられるような生き方をしているわけです。
でもほとんどの人って、僕より大きい器を持っていても、常にギリギリまで水が入っちゃってるんだと思うんですよ。表面張力張ってるところを刺激したら、そりゃ溢れるよねっていう話です。
そもそも今の生活は、「自分が大変じゃないように最適化した結果」の生活。だから大変なこともストレスもないのだという。
おごってもらうからって気を使うわけではないし、つまんなかったらスマホいじってればいいですからね。
何が起きるかが分からない、流動的な毎日を送ることに不安に感じる人もいるが、彼にとってはこれもまた「生活を最適化した」結果だ。
明日を予測可能にする一番簡単な方法って、何もしないことなんですよ。部屋にこもっていれば車にひかれることもない。
逆に外に出るほど予測できないわけで、宇宙に行けば物理法則まで分かんなくなる。僕はそっちの方が面白いと思うタイプなんです。
そうは言っても能動的に刺激を求めるのは疲れる。だから受け身でいられるように、「面白い人から勝手に連絡がくる」仕組みをつくった。つまり、「プロ奢ラレヤーの生き方」は彼が快適だと思う方向に進んでいった結果としてたどり着いたものであって、別の人が同じことをしようと思ってできることではない。
人が使ってる武器を自分も使えるかは分からないわけで、いかに噛み砕いて自分に最適化するかだと思うんですよね。
例えば「レンタルなんもしない人」っていう人は僕を知って活動を始めたらしいんですけど、彼は正しい手法でトレースしたと思います。似たようなことをしてると思われがちですけど、全く別物なんですよ。お互いの活動を入れ替えたら1日で破綻します。
「こうなったらいい」も「こうなったら嫌だ」もないから、将来に不安も希望もない
仕事の定義はさまざまだが、仮に「世の中に何かしらの価値を提供すること」とするならば、「プロ奢ラレヤー」の仕事にはどんな価値があるのだろう。
別に価値を提供したいと思ってないけど、僕がTwitterやnoteを通じて発信したコンテンツを面白がった人の数は、役に立った数と比例する気がします。内容が何だろうと、それが価値なんじゃないですかね。
それに、もし僕みたいな人をネット上で叩く文化がなかったら、そこで日頃のストレスを発散し、日常のバランスを保ってきた人たちはどんどん鬱憤がたまるわけじゃないですか。そういう意味で言ったらすごい社会貢献してると思いますね。
何かしらの価値がないと産業は成り立たないから、うまくいってる人は価値を提供してるってこと。とはいえ、その人が価値を提供しようと思ってやってるかどうかは別の話ですよね。
例えばこの間、国によっては逮捕されるような際どいアダルトグッズを作ってる人に会ったんですけど、販売するとすぐ完売するらしいんですよ。自分がスゲー欲しいものを作れば同じような熱量で欲しがる人はいるわけで。何かするときに「役に立つ」を起点に考えなくていいんじゃないですかね。
「プロ奢ラレヤー」という生き方は、あくまでも結果論。今のような生活をしたいと思ったわけではなく、今後についても無頓着だ。
そもそも物事に対して良いも悪いもないと思ってるし、結果に対しても良し悪しを考えないんですよ。だから別に何でもいいというか。「こうなったらいいな」があるから「こうなったら嫌だ」があるわけで、僕の場合どっちもないから将来に対して不安も希望もないです。
今の生活をずっと続けようとも思っていない。「違うと感じたらやめるだろうし、その都度快適な方向に調整していくんじゃないですかね」とプロ奢ラレヤーさんは続ける。
この生活を始めて2年ぐらい経ちましたけど、なんだかんだ言ってちょっとずつ変わってるんですよ。
例えば最近、賃貸物件を借りたんです。住む場所が欲しいっていうよりは、良い音響で映画が見たかったから。今も人の家に泊まりに行きますけど、いくら面白い人でもずっと一緒にいると疲れますし(笑)
今後についての展望は別にないけど、まぁ刺激が多い方に行けたらいいですね。
取材・文・撮影/天野 夏海
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